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第十六話 密室の生徒会長執務室

 事態は深刻だった。


 色素が薄く、まるで光を放つ様に煌めく髪に、透明感のある白い肌。銀細工の様な美しい睫毛の奥にある澄んだ碧眼が、至近距離からこちらを見つめている。思わずため息が出る程美しいルシアンが、ヴィオラの肩にそっと頭を預けていた。

 

「…やっと二人きりになれたね」


 肩に頭を乗せたまま、首筋に唇が触れそうな距離でルシアンが囁く。


 近い。あまりにも近かった。激しく波打つ鼓動の音で落ち着かない。思わず身を引こうとすると、彼の大きな手が優しく腰を支えた。


「そんなに警戒しないで」


 困ったように微笑みながら、彼はさらに肩へ体重を預けた。


(…どうして?……どうしてこうなったの!?)


 ヴィオラは頭がパニックになっていた。冷静さを奪う程の、破壊力が彼にはあった。


 遡れば数十分前、地蝕調査団が到着したアウレア学園は、突然の出来事に騒然となった。国の精鋭達を一目見ようと、生徒達が校庭に溢れかえったのだ。安全確保と円滑な調査の為、午後からは休校措置が取られた。一般の生徒達は寮に帰り、待機を命じられた。


 朝から疲弊していたヴィオラには、好都合な展開だった。ようやく一人になれる。そう思い寮へ向かおうとした矢先、ルシアンに呼び止められたのだ。


『少し時間を頂けますか』


 そう告げられ、生徒会室の奥に隠された、生徒会長のみが立ち入りを許される秘密の執務室へと案内された。王家の結界が張られたその部屋は、外界の音すら遮断された完全な密室であった。


(…地蝕について、彼が知っている事を聞き出すいい機会だわ)


 そう思い、警戒せず後をついて行ったのがいけなかった。


 入室するや否や、執務室のソファーにヴィオラを座らせ、ルシアンは当然のように隣へ腰を下ろし、ふわりと肩に体重を預けてきた。


「逃げては駄目だよ」


 耳元で囁く穏やかな声に、ヴィオラの肩がびくりと震える。


「校庭裏で、弟君にもしていただろう? あんなふうに頭を撫でて、優しく抱き寄せて……」


 さらりと流れる黄金の髪が頬をかすめる。甘い香りが鼻先をくすぐり、思考が真っ白になった。


「ヴィオラに触れられるのは、私だけの特権にしてくれないと」


 吐息が首筋を撫でる。


(ち、近い……!)


 顔に熱が集中し、鼓動が一気に高くなる。ビクリと身体を震わせると、ルシアンは満足したように腕を回し、さらに距離を縮めてきた。


「……見ていたのですか?」


 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。


「もちろん」


 ルシアンは悪びれる様子もなく微笑む。


「弟君とは随分と距離が近いんだね」


 その笑みは穏やかなのに、どこか拗ねた子どものようでもあった。


「これからは、私以外の男に触れさせては駄目だからね。もちろん家族だからと言って、弟君も駄目だから」


 真顔で言われても困惑してしまう。何の冗談かと思って苦笑いをするしかない。しかし、本人は至って真剣らしい。


(そんな顔をされたら……断れないじゃない)


 思考が追いつかなかった。王国中の令嬢が憧れる生徒会長が、たかが家族である義弟の頭を撫でていたくらいで嫉妬するなんて。


 理解できない。それなのに、言葉の端々から伝わる寂しさは、不思議と胸に響いた。しかも、肩へ預けられた重みを愛おしく感じてしまう自分がいて、慌てて首を横に振った。


(駄目、落ち着いて。これは契約。婚約者の演技なんだから)


 そう言い聞かせても、まるで効き目がない。ルシアンは安心しきったように肩へ頬を寄せ、小さく息を吐いた。


「……落ち着く」


 その一言が、反則だった。


 王族らしい威厳も、生徒会長としての凛々しさもない。ただ年相応の青年が、信頼する相手へ甘えているだけの声だった。


(そんな顔、ずるい……)


 胸が締めつけられる。


 こんな表情を見せられたら、拒める人などいるのだろうか。気付けばヴィオラの手は、無意識のうちに金色の髪へ伸びていた。


 恐る恐る指先で撫でる。


 さらりと絹糸のような柔らかい感触が指の間を流れた。ルシアンは目を細め、小さな猫のように擦り寄る。


「……もっと」


「え……?」


「もっと撫でて…」


 その甘える艶っぽい表情と声に、心臓が鷲掴みにされる。身体の奥からじわりと込み上げる熱に逆らえず、ヴィオラは何度も優しく髪を梳いた。


 そのたびに彼の表情は少しずつ和らいでいく。まるで長い間張り詰めていた糸が、ようやくほどけていくようだった。


(こんな顔……誰にも見せていないのかしら)


 王子でも、生徒会長でもない。


 ただ、一人の男として無防備に甘えてくるルシアン。その姿を知ってしまったことに、胸の奥が温かくなる。同時に、鼓動はもう限界だった。


(そうだ。別のことを考えればいいのよ…)


 午前中の出来事に、無理やり思考を切り替える。


 突然、地蝕について取り上げ“魔法災害”と持論を諭した担任教師。


 結界魔法の痕跡に違和感を抱いている、天星魔道研究院の院長。


 生徒会役員のメンバーは保護してくれると言ったが、いつまでも隠しきれない。逆にこのままでは、時守の一族を匿ったとして彼らにも被害が及ぶ可能性もある。


(…関係ない人たちを巻き込むわけにはいかないわ……)


 この学園を離れるしかない。


 誰にも見つからない遠い場所へ…。


「ふふ」


 ルシアンが小さく笑う。


「今、また一人で抱え込もうとしていたね?」


「えっ?」


「先ほどまで顔が真っ赤だったのに、今は真剣に逃げることを考えている」


 そう言うと、彼は肩から頭を離し、自然な動作で身体を横たえた。


 ぽすり、と軽い音が落ちる。


 気付けば、その頭はヴィオラの膝の上に収まっていた。


(ひ、膝枕……!?)


 ヴィオラは声にならない悲鳴を必死に飲み込む。


 ルシアンは満足げに目を細めると、先ほどの蕩けていた顔から一変、鋭い眼差しで妖艶に微笑む。


「……悪いけど、逃さないよ?」


「……!?」


「…もっと早く二人で話をするべきだった」


 すうっと息を吐き、天井を見上げた。何か覚悟を決めた様な表情のルシアンに、ヴィオラは身体を強張らせた。


 告げられたのは、信じられない言葉だった。


「何処に逃げても、このままでは世界そのものが崩壊するからね」


 ヴィオラは思わず息を呑んだ。指先が震える。一面砂漠と化した風景が、突如脳裏に思い浮かんだ。不気味な時計台。燃えるような空に浮かぶ無数の歯車。あれは未来に起こることだったのだろうか。


「…どうして、そう思うのですか?」


 ルシアンはゆっくり目を閉じた。一人で悲痛に耐えるように、唇を強く噛み締めている。


「王家には、代々秘匿されてきた記録がある。百年以上前、王家は時守の一族へある研究を依頼した」


「研究……?」


「“未来固定化計画”」


 さあっと血の気が引いていく。ヴィオラには聞いたことのない言葉だった。


「戦争、飢饉、疫病、王族暗殺。未来視によって危機を知り、それを回避する。だが王家は、それでは満足しなかった」


 ルシアンは苦く笑う。


「未来を変えるのではなく、未来そのものを固定しようとした」


「……固定?」


「誰も逆らえない未来。誰にも変えられない未来。最初から結末だけが決められている世界」


 ヴィオラの背筋を冷たいものが走る。


「そんなこと……」


「本来なら不可能だ」


「だから時守の力を借りたんだよ」


 沈黙が流れる。


「だが、時間は人が所有してよいものではなかった」


 母親の言葉が胸によみがえる。


『時間を固定しようとすれば、必ず歪みが生まれる』


 あの時は、意味が分からなかった。けれど今なら理解できる。


「未来を一本に縛れば、切り捨てられた無数の可能性は、行き場を失う」


 ルシアンはゆっくり瞳を開いた。


「その歪みが、瘴気になる」


「そして瘴気が溢れた場所では、時間そのものが悲鳴を上げるんだ。それが地蝕、いや“時蝕”だ」


 ヴィオラは息を止めた。過去視で見た、決壊した川を思い出す。川岸で跳ねていた魚達が“時喰いの魔獣”と重なって見えた。彼らは加害者なのではない。被害者なのだ。


 部屋が静まり返る。ヴィオラは言葉を失っていた。まさか──時間を守るはずの時守が、自ら時間を歪める計画に関わっていたなんて……。


「十年前。サクスム子爵領で起きた地蝕」


 ヴィオラの心臓が大きく跳ねる。


「あれは偶然ではない」


「王家が進めた『未来固定化計画』──その最初の失敗だった」




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