第十四話 ガルディアスの困惑
広大な校庭に淡い土煙が立ち昇る。幾重にも重なった巨大な転移陣が眩く輝き、その中心から一人の騎士が静かに歩み出た。
無駄のない所作、張り詰めた空気すら支配するような威圧感。凛然たるその姿は、まさに王国の剣と呼ぶに相応しい。
ガルディアス・サクスムは思わず息を呑んだ。
(この御方が、王国騎士団長…)
これほど大規模な転移魔法を目の当たりにする機会など、一生に一度あるかないかだった。まして、その先に立つのはヴァンヴェール王国を支える最高峰の精鋭達だ。王国の英知と武威を担う者達が、一堂に会している。その姿をこの目で見られるのだ。それだけで胸が震えた。
事の始まりは、昼休みに突然現れた一筋の水流だった。
水面のように揺らめく青白い流れ。それは生徒会特別監査役、エレノア・ルミナスの魔法である。彼女は卓越した水属性魔法の使い手であり、水流を媒体とした伝令術を得意としていた。
生徒会からの召集に、この魔法が用いられるのはもはや恒例となっている。
『地蝕調査団が到着しました。生徒会役員は速やかに校庭へ集合してください』
短く簡潔な伝令。だが、その一言だけで十分だった。ガルディアスの胸は高鳴り足早に校庭を目指す。
王国最高峰の叡智と力が集う地蝕調査団。その歴史に名を刻む英雄達が、今まさにアウレア魔法学園へ降り立ったのだ。
「諸君。我は、王国騎士団長ガイアス・ローズマリーだ」
低く、よく通る声が校庭に響き渡る。ざわついていた空気が一瞬で静まり返った。
先頭に立つ壮年の騎士――王国騎士団長ガイアス・ローズマリーが、一同を静かに見渡す。その臙脂色の瞳には、一切の隙も油断も存在しない。
「此度の地蝕発生に際し、我々は王命によりアウレア魔法学園へ派遣された地蝕調査団である」
重々しい声が響いた。その緊張感に、その場にいた生徒達は自然と背筋を伸ばす。しかし、次の瞬間その空気は一変した。
「これはこれは。我が国の誇り高き、王国騎士団長殿がいらっしゃるとは」
アウレア魔法学園生徒会長であり、ヴァンヴェール王国の第二王子でもある、ルシアンの声が響いたからだ。
「まさか…」
校庭裏から現れた彼にガルディアスは困惑した。その隣には、昨日学園を救った救世主でもある、ヴィオラ・リュウール伯爵令嬢が居たからだ。その後ろには、義弟であるアージェン・リュウールと、生徒会副会長のセシリア・ローズマリーの姿も見える。
(…我らが生徒会長殿は何を考えているのだろうか?)
時守の一族の生き残り。
白銀に光る髪と桃色の毛先、彩煌の異なる神秘的な瞳の神々しい彼女が脳裏に浮かぶ。ヴィオラは自分の素性が露見するのを恐れずに、我々を救ってくれた女神だ。
その彼女を生徒会長は、『守りたい』と言った。勿論、ガルディアスも同じ想いだった。彼女がいなければ間違いなく自分は死んでいたからだ。弟たちにも、二度と会えなかっただろう。だから今度は命を懸けて、ヴィオラの身の安全を守るべきなのだ。
王国の精鋭達が揃う地蝕調査団の前からは、身を隠しておくべきだ。眼鏡で本来の姿を隠しているとはいえ、彼女を伴うのは自殺行為に映った。
「ルシアン殿下。御足労痛み入ります」
王国騎士団長ガイアス・ローズマリーは、第二王子へ恭しく一礼した。しかし、ルシアンはその礼を受けても笑みを崩さない。
「歓迎の言葉より先に、一つお聞かせ願えますか」
穏やかな声音なのに、校庭の空気が一段と冷えた。ガルディアスは、いつもルシアンの威厳に感服する。有無を言わせない物言いは、命令でも服従でもなく、一瞬で制圧するものだった。
「地蝕発生から丸一日が経過しております。王国が誇る地蝕調査団ともあろう方々が、随分とのんびりしたご到着ですね」
その一言に、ガイアスの眉が僅かに動いた。奥に光を宿した碧い瞳が、真っ直ぐ騎士団長を射抜く。なぜすぐ救助に動かなかったのか。そう問い詰めていることは明白だった。
「……それは」
言葉が続かない。歴戦の騎士団長が口ごもる姿に、団員達も居心地悪そうに視線を逸らした。その場に重苦しい沈黙が流れる。
その時だった。
「ガッハッハッハッハ!!」
腹の底から響く豪快な笑い声が、張り詰めた空気を一瞬で吹き飛ばした。団員達を掻き分けるように、一人の巨漢が前へと歩み出る。
日に焼けた褐色の肌、身の丈ほどもある大剣を背負った、豪放磊落という言葉を体現したような男――ロウ・ディフェンソルである。
(師匠!!)
ガルディアスは幼い頃、住んでいた子爵領地で地蝕被害に遭い、両親を失った。その時、調査団として地蝕を鎮めた精鋭の一人、それがロウ・ディフェンソルだった。
彼は生き残った、ガルディアスと二人の弟を保護し、剣術と魔術を教えてくれた。お陰で領地も少しずつ復興し、領民の生活も元に戻りつつある。ガルディアスにとってロウは、命の恩人でもあり、大切な師匠でもあった。
「団長殿をいじめてやるな、王子様!」
豪快に笑いながらガイアスの肩を叩く。
「遅れた原因は、頭の切れる王子様なら気づいているんじゃないか?」
「……ロウ」
低い制止の声にも、ロウは意にも介さない。
「大型転移陣を展開できる魔術師なんざ、この国じゃ一人しかいねぇ」
「ヴァイセルク・リュウール魔導師団長」
その名に、ヴィオラの肩がぴくりと震えた。
ルシアンも表情一つ変えずに耳を傾けている。
「ところがどっこい」
ロウは腹を抱えて笑った。
「地蝕発生の報告を受け、大型転移陣に魔力を練り始めている魔導師団長のところへ、一筋の閃光が走った。星魔法の矢だ。それには書状が括りつけられていてなぁ」
「それを読んだ途端、泡を吹いてぶっ倒れちまってな!結局、大型転移陣を展開できる状態じゃなくなっちまった」
「代わりに宮廷魔術師団の連中が総出で術式を組み直したが、あの規模だ」
「完成まで丸一日。だから到着が遅れたって訳さ」
朗らかに語ってはいるが、静かな威圧感が込められている。ガルディアスはそんな師匠の様子に、ゴクリと唾を呑んだ。
「あの星魔法には見覚えがあった。なあ、王子様よ。魔導師団長に何を送ったのか聞いても構わねぇか?」
ルシアンは静かに目を閉じた。そして何事もなかったかのように微笑んだ。
「なるほど。つまり、原因は私がリュウール伯爵令嬢に送った求婚状だった、と」
「!!!」
爆弾が投下されたように、周囲がどよめきに包まれる。その声を掻き消すように、ロウが豪快に笑った。
「ガッハハッハ!!まさか、王族から愛娘への求婚状とは!そりゃ天下の魔術師団長殿もブッ倒れるわ!!」
「リュウール伯爵には、後日改めて謝罪するとしましょう」
そう言って、静かにヴィオラへ視線を向ける。
「紹介が遅れましたが、彼女は私の婚約者のヴィオラ・リュウール伯爵令嬢です。そして、彼は義弟のアージェン・リュウール伯爵令息です」
校庭を包んでいたざわめきが、徐々に静まっていく。その空気を切り裂くように、一歩前へ進み出たのはアージェンだった。胸に右手を添え、貴族として非の打ち所のない一礼を捧げる。
「リュウール伯爵家嫡男、アージェン・リュウールにございます」
静かでありながら凛とした声音が校庭に響く。
「此度は、地蝕発生にもかかわらず遠路よりお越しいただき、心より感謝申し上げます」
その立ち居振る舞いには、年齢を感じさせない気品があった。ガイアスは満足そうに頷く。
「うむ。そなたがリュウール魔術師団長の御子息か。父君には日頃からお世話になっている。父君に並ぶ程の、優れた結界魔法の使い手とか」
「勿体なきお言葉です」
アージェンは再び一礼し、一歩退いた。その隣で、ヴィオラも静かに歩み出る。眼鏡の奥から長い睫毛を伏せ、裾を摘まんで優雅に礼を取る。
「リュウール伯爵家長女、ヴィオラ・リュウールと申します」
柔らかく澄んだ声。誰もが目を奪われるほど洗練された所作だった。
「この度は、父がご迷惑をおかけ致しまして申し訳ありません」
丁寧に頭を下げる。その姿に満足したルシアンは、得意げに微笑む。
「今回の地蝕を鎮めたのは、リュウール伯爵家に受け継がれる結界魔法です。彼らが尽力しなければ、我々はここに生きて立つことは叶わなかったでしょう」
緊張した雰囲気が、地蝕調査団に行き渡った。事情は何であれ、後手に回り瘴気が静まった後に到着した事は事実だ。彼らが鎮めなければ、確かに将来有望な生徒達の未来は途絶えていた事だろう。
「学園を救ったリュウール伯爵家へ、最大限の敬意と感謝を示したいと思っております。その証として婚姻を申し込むことは、王家として当然の礼儀だと判断しました」
その言葉に、生徒達の間からどよめきが広がる。
「リュウール伯爵家が地蝕を……」
「だから殿下は求婚をしたのね」
「王家直々の感謝だったのか……」
ガルディアスはようやく腑に落ちた。ルシアンの意図に気づいたからだ。彼らを救世主として認めさせてしまえば、堂々と傍に置くことも、守ることも辻褄が合う。ヴィオラの眼鏡さえ外さなければ、正体が露見することもない。納得のいく妙案だった。
「リュウール伯爵令息、リュウール伯爵令嬢。この度は尽力、誠に感謝する」
ガイアスが恭しく頭を下げる。
「わが娘、セシリアも含む生徒会の諸君も尽力したと聞き及んでいる。よく健闘したな、セシリアよ」
「はっ。父上。身に余るお言葉、ありがとうございます」
後ろに控えていたセシリアが、緊張した面持ちで敬礼をする。いつも堂々としている彼女が萎縮している姿は、珍しい光景だった。
「それでは長話もここまでにして、理事長室にご案内致します」
「うむ。よろしく頼む」
調査団が理事長室へ向かって歩き出した、その時だった。
「よう、ガルディアス!」
聞き慣れた豪快な声が響く。
「元気そうで何よりだなぁ!」
人混みをものともせず歩み寄って来たのは、ロウ・ディフェンソルだった。
「師匠!!」
思わず頬が緩む。普段は威圧感がある身体も、この人の前ではちっぽけな存在に感じてしまう。ロウは豪快に笑うと、昔と変わらぬ力加減で背中を叩いた。
「ガハハッ!背ぇも伸びたなぁ!見違えたぞ!」
衝撃で肺の空気が抜けそうになる。それすら懐かしかった。
「それは師匠のお陰です。あの日、救ってもらった命がなければ、今ここに俺はいません」
静かに頭を下げる。ロウは照れくさそうに頭を掻き、豪快に笑い飛ばした。
「堅ぇ堅ぇ!」
その笑顔は昔と何一つ変わっていない。ガルディアスの胸に、懐かしさが込み上げた。
その時、ふと視線の端に、小柄な少女の姿が映る。
「……?」
ヴィオラ・リュウール伯爵令嬢。
彼女は少し離れた場所に立ち尽くし、ロウだけを見つめていた。震える唇、固く握り締められた両手。
眼鏡の奥で揺れる瞳には、今にも涙が零れ落ちそうなほどの熱が宿っている。まるで、長い歳月を経てようやく会いたかった人を見つけたかのように。
その切実な眼差しは、一瞬たりともロウから目を逸らせないでいた。
(……ヴィオラ嬢?)
ガルディアスは困惑する。なぜ彼女が、師匠をそんな目で見つめているのか。
師匠とヴィオラが知り合いだなど、一度も聞いたことがない。それなのに。あの表情だけは、決して作り物ではなかった。
胸の奥底に閉じ込めていた想いが、堰を切ったように溢れ出している。
そんなふうにしか見えなかった。




