第十三話 校舎裏のひととき
陽だまりが差し込む校舎裏。温かさと涼しさが同居し、芝生に寝転ぶと大地のひんやりとした感覚が身体を包み込み、気持ちがいい。人通りは少ない為、いつも昼休みはここで過ごすのが日課になっている。アージェンとヴィオラの秘密の場所だった。
「…義姉さん、アイツと婚約を決めるなんて…どういう事なのか説明してくれる?」
疲弊しているヴィオラに追い打ちをかける一言だった。朝から不機嫌を隠そうともしないアージェンが、ヴィオラの肩へ頭を預けた。
教室に入るや否や、御令嬢達の質問攻めに遭った。彼女達の勢いは凄まじかった。目を輝かせて迫ってくる剣幕に、なすすべもなかった。昼休みになり、やっと避難し一息ついたところだった。
「…あれは策略の内よ」
短く答える。しかしアージェンの機嫌は直らない。不貞腐れたまま、肩へ額を押し付けてくる。
その柔らかな紫紺の髪を撫でると、彼は僅かに目を細め、猫のようにその掌へ頬を擦り寄せた。
(本当に……甘えん坊ね)
「……どういう意味?」
ずいっと至近距離で睨まれる。潤いを含んだ上目遣いで睨まれても怖くない。ただ心臓に悪いだけだ。
「あの生徒会長、時蝕の原因を知っているみたいだったわ」
「…なんだって?」
アージェンの表情が強張る。当然だ。地蝕は原因不明の災害とされ、人々は瘴気による天災だと信じている。発生場所も、時期も、誰にも予測できない。その現象に、ルシアンは迷いもなく『原因がある。』と言い切った。
「……彼は何か真相を掴んでいる」
ヴィオラは静かに目を細めた。
「時蝕の原因も、時守の一族が滅んだ理由も。そして、私達さえ知らない何かを」
春風が二人の間を吹き抜けた。静かに髪を揺らし沈黙を作る。生徒会長からは、得体の知れない不気味さを感じていた。しかし、逃げられない。いや、逃げてはいけない。そう直感が告げていた。
「だから私は、自分から敵の懐へ飛び込むことにしたの」
じっと息を殺しながら生きていても、きっと何も変えられない。知りたい事実も手に入らない。それなら危険を顧みず、相手の思惑に踊らされるフリをしたらいいじゃないか。
「利用されるくらいなら、先に利用した方が良いじゃない?それだけの話よ」
アージェンはしばらく黙り込んだ。やがて、小さく息を吐く。
「……本当に?」
「え?」
「本当に、あいつと結婚するつもりはない?」
不安げな銀灰の瞳が見つめる。その真剣な表情に、ヴィオラは思わず吹き出した。
「当たり前じゃない!私は真実を知るために婚約しただけよ。恋愛感情なんてこれっぽっちもないわ」
その言葉を聞いた瞬間、アージェンは胸の奥につかえていたものを吐き出すように、ほっと息を漏らした。
「……なら、いい」
そして再びヴィオラの肩へ頭を預けると、まるで独占するように、彼女の制服の袖を掴む。その義弟の姿にヴィオラは苦笑した。
(家族が離れると思って寂しかったのね…。本当に猫みたい)
そう思いながら、さらさらとした紫紺の髪を優しく撫でる。するとアージェンは気持ち良さそうに目を細めた。
「…っ!」
次の刹那、ヴィオラは反射的に右眼を押さえた。熱を持つと同時に脳裏に情景が流れ込む。未来視だ。
―――――――
見慣れた学園の校庭。そこに巨大な魔法陣が幾つも展開されていた。複雑に絡み合う銀色の紋様と幾重にも重なる魔力回路。一目見て分かるほどの、高度な転移陣だった。しかも国家規模で運用される大型の軍用転移術式だ。
次の瞬間、眩い光が空へと伸び、空間そのものが揺らいだ。轟音にも似た魔力の奔流が吹き荒れた後、眩い光柱の中から、銀色の外套を纏った十数名の人影が姿を現した。
王立天星魔導研究院、王宮騎士団、宮廷魔術師団、聖堂治癒院。錚々たる顔ぶれが、アウレア魔法学園の地に下りる。胸元に刻まれた紋章が彼らの目的を物語っていた。
地蝕調査団。
学園中の生徒達が校舎の窓から身を乗り出し、ざわめき始める。
『地蝕調査団だ!』
『王都から来たのか!?』
『すごい……初めて見た……!』
しかしヴィオラは、そんな事などどうでもよかった。光の中から最後に現れた、一際大きな影。
山のような巨躯に、日に焼けた褐色の肌。背中には巨大な剣を背負っている。
『ガッハッハッハ!! 久しぶりの学園だなァ!!』
その豪快な笑い声には聞き覚えがあった。
「……ロウおじさま!!」
母親であるヴァーベナの護衛騎士だった、ロウ・ディフェンソル。
幼い頃、肩車をして髪をくしゃくしゃと撫でてくれた。姫さんと優しく呼んで、旅の話を沢山聞かせてくれた。
もう二度と会えないと思っていた人…。その人が、確かに、生きていた。
―――――――
「ロウおじさま!!」
「義姉さんっ!」
歓喜で身体中の血液が沸騰する。信じられない気持ちでいっぱいだった。
(生きてた…。生きていたんだ!!)
「ジェー!!」
「ど、どうしたの!?また未来視?」
「そうよ!ロウおじさまが生きていたの!」
「……え?」
アージェンの服を掴んで興奮気味に伝える。
「王国の“地蝕調査団”がこれからこの学園に来るわ!その中にお母様の護衛騎士だった、ロウおじさまが居たのが視えたのよ!!」
歓喜に震えるヴィオラとは対照的に、アージェンの顔から血の気が引いていく。まるで、決して聞いてはいけない名前を耳にしたかのように。驚愕の表情で固まっていた。
「……義姉さん」
「…誰その人?」
「…え?」
理解できなかった。幼い頃から共に過ごしてきたアージェンが、母ヴァーベナの護衛騎士だったロウ・ディフェンソルを知らない?そんなはずがない。忘れるはずがない。
「ジェー、何を言って…」
その時だった。
ドォォォォン!!
校庭の方角から、空を貫く巨大な光柱が立ち昇った。
「……!」
風が揺れ、生徒達のどよめきが校舎裏にまで届いた。
「地蝕調査団が来たのよ!!」
ヴィオラは立ち上がり、校庭に駆けだそうと身体を動かす。早く彼の姿を見たかった。懐かしい彼に会いたかった。しかし、アージェンが腕を引っ張り、それを制した。
「義姉さん駄目だ!!」
「ジェー!」
切羽詰まった義弟の顔に戸惑う。なぜ止めるのかが、理解できなかった。仕方が無い。そう思い、加速魔法を唱えようとした。
「…っ!…ジェー?」
身体を動かすことができなかった。アージェンに強く抱きしめられ、身動きを封じられたからだ。すっかり大きくなった身体に、ヴィオラの小さな体躯はすっぽり埋まってしまう程だった。何処にもいかないように、いなくなってしまわないように。大事なものがすり抜けていかないように。強く抱きしめる。
「義姉さん…。行かないで」
今にも泣きそうな声だった。
「どうして?」
「…義姉さんが奴らに見つかるのが嫌だ」
「大丈夫よ。少し会いに行くだけよ」
「…でも王国の奴らは信用できない。お願いだから、行かないで。義姉さんが遠くに行ってしまいそうで怖いんだ…」
悲痛に歪みながら懇願する。彼の瞳が熱を帯び、ヴィオラの姿を捕らえた。苦しい。胸が締めつけられるように、苦しかった。
――その時だった
「おや」
ぞくり、と背筋を冷たいものが這い上がる。
「随分と仲がよろしいのですね」
二人の間に割り込むように、穏やかな声が響いた。振り返ったヴィオラは思わず息を呑む。
そこに立っていたのは、生徒会長ルシアン・ヴァンヴェールだった。
いつものように完璧な笑みを浮かべている。だが、碧い瞳だけが全く笑っていなかった。春の陽気さえ凍りつかせるような、静かな威圧感にヴィオラは思わず背筋が粟立った。
「会長……。何故ここに?」
「ああ」
ルシアンは柔らかく微笑んだ。すらりと伸びた指先で校舎を示す。その先には、生徒会室の窓がみえる。
「可愛らしい婚約者が弟君と逢瀬を楽しんでいる姿が見えまして」
さらりと言ってのける。ヴィオラの眉がぴくりと動いた。
「婚約者である私を差し置いて、随分と大胆なことをなさる」
「……」
「少々、自覚が足りないのではありませんか?」
穏やかな口調だが、その一言一言に隠しきれない苛立ちが滲んでいる。そんなルシアンを、ヴィオラは理解できなかった。
アージェンは義弟だ。家族と触れ合うことの何が問題なのだろう。
「……殿下」
ヴィオラを抱き締めたまま、アージェンが静かに口を開く。
「僕達は家族です」
「ただの家族の触れ合いですよ」
「へぇ?」
ルシアンが目を細めた。
「私の婚約者を、あんな顔で見ておきながら?」
「……」
「それで“家族”とは」
くすり、と小さく笑う。
「君は随分と業の深い家族愛をお持ちなんですね」
次の瞬間。
「きゃっ――」
ヴィオラの身体が引き寄せられた。気が付けば、ルシアンの腕の中に捕らわれる。黄金色の髪がさらりと頬を掠めた。広い胸板に包まれ、甘い香りが鼻先をくすぐった。
驚いて見上げれば、至近距離で碧眼が細められる。柔らかな声の奥底に、冷たいものが宿っていた。
「それが本当に家族愛だと言うのなら」
「弟君」
「君は相当、狂っているね」
バチリと、視線と視線がぶつかる。目に見えない火花が散った。張り詰めた空気が漂う。しかし、その空気をルシアンが掻き消した。
「……地蝕調査団が到着しました」
先程までの私情は跡形もなく消え去る。そこにいたのは、私情を捨てた王族としてのルシアンだった。
静かにヴィオラを見る。
「ヴィオラ」
「……はい」
「そして弟君」
有無を言わせぬ、絶対者の眼差しで告げる。
「二人とも、私と共に来てもらいます」
その静かな一言に、逆らえる者は、誰一人として存在しなかった。




