第十一話 禁忌の魔法
ヴィオラは疲弊していた。
容姿端麗で令嬢達の憧れの的である生徒会長に、朝から婚約騒動に付き合わされたのだから無理もない。昨日の地蝕、朝に視た過去視、そして突然決まった婚約ーー。頭の中は整理が追いつかず、思考は完全に麻痺していた。
重い足取りのまま教室の扉を開けた、その瞬間だった。
「ヴィオラ嬢っ!!」
「本当に婚約なさったんですの!?」
「殿下とは何処で出会われたのですの!?」
「どちらから告白されたんですの!?」
「婚約式はいつですの!?」
令嬢達が雪崩のように、一斉に押し寄せて来た。普段は目立たない様に存在感を消し、空気のように扱われ、見向きもされなかったというのに、今では完全に注目の的だ。もう、平和な学園生活など終わったも同然だった。
「えっ、あの……」
身の危険を感じるほどの圧力に、逃げ道はない。ヴィオラは壁際まで追い詰められた。
(お願い……勘弁して……)
内心では泣きそうだった。高位貴族の令嬢も、見目麗しい令嬢も相手にしないと噂されている、生徒会長ルシアン・ヴァンヴェール。その彼が突然求婚したのだ。どんな手で心を掴んだのか、令嬢達が理由を知りたがるのも当然だった。
だが、その真実はあまりにも味気なかった。彼は時守の力を必要としているだけだ。彼女達が思い描いているような、ロマンチックなエピソードは何もない。
こちらも真実を知るために婚約を受け入れた。愛や恋などは存在しない。ただ互いに利用し合う、契約結婚に過ぎなかった。
「どうやってあの生徒会長を振り向かせたんですの!?」
「お互いどこに惹かれたんですの?」
「どうやって婚約に漕ぎ着けたのですか!?」
(そんなに知りたいの!?)
血走った目で迫ってくる姿は、完全に猛獣の群れだった。ヴィオラは天を仰いで途方に暮れる。その時だった。
「……始業の鐘が聞こえなかったのか?」
コン、と教卓を指で叩く音が響く。視線を向けると、一人の教師が不機嫌そうな顔で教壇に立っていた。
「朝から随分と賑やかだな」
低く冷たい声が響く。担任教師、ザイデルバスト・エクトルだ。淡い菫色の髪を無造作に流し、銀縁眼鏡の奥では、氷のような蒼い瞳が教室全体を静かに見渡している。感情の読めない冷たい眼差し。その表情には笑み一つ無かった。
「席に着け」
短い一言だった。それだけで教室は水を打ったように静まり返る。令嬢達も、そそくさと席へ戻って行った。
(助かった……)
ヴィオラは安堵しながら席へ腰を下ろす。しかし、その安堵は長く続かなかった。ザイデルバストは何も言わず黒板へ向かい、白いチョークを黒板へ走らせる。
『魔法史 第十八章 禁術と魔法災害』
その文字を見た瞬間、胸がざわついた。
(……嫌な予感がする)
「今日は予定を変更する。魔法史学書百八十六ページ」
静かな声が教室へ響く。紙をめくる音だけが規則正しく続いた。
「昨日、本学園で発生した地蝕について取り上げる」
その一言に、生徒達がざわめく。
(どうして、その話を……)
ヴィオラは焦りを悟られないよう、机の下で拳を握り締めた。ザイデルバストは教壇から教室を見渡し、淡々と問い掛ける。
「まず諸君に問おう。君達が今学んでいる、魔法とは何だ」
数人の生徒が顔を見合わせ、一人の男子生徒が立ち上がる。
「生活を豊かにする力です」
「魔物討伐や治療にも使われています」
「その通り」
ザイデルバストは頷いた。
「魔法は人々の生活を支える文明の礎だ。しかし、便利な力に反して危険も伴う」
その一言で教室の空気が引き締まる。黒板へ一本の線を引き、『魔法=力』と書き記した。
「同じ炎の魔法でも、暖を取るために使えば役に立つ。だが、街へ放てば家を焼き、街を滅ぼす」
チョークが黒板を滑り、さらに一本線を引く。
『使い方』
「つまり問題なのは、魔法そのものではない。力をどう使うか。そして、誰が使うかだ」
「だから諸君は、この魔法学園で魔法を学ぶのだ。それは、強力な魔法を扱えるようになるためではない。諸刃の剣である魔法を正しく扱うためだ」
凛とした声が教室に響く。妙な緊張感が教室全体を包んでいた。誰もが、“魔法は危険なもの”とは思っていないのだろう。しかし、昨日の地蝕で初めて身の危険を痛感した。使い方を改めて学ぶことを、先生は指し示したいのだ。
「そして、ここから本題だ。地蝕とは何か」
一人の男子生徒が立ち上がった。
「大地に溜まった瘴気が亀裂から溢れ、土地を侵食し、魔物を生み出す災害です」
「よろしい。概ね正解だ。では問いを変えよう」
「何故、地蝕は発生するのか」
教室が静まり返る。
「瘴気が溜まるから……」
「魔力暴走では?」
「自然現象だと聞きました」
様々な答えが返ってくる。ザイデルバストは静かに首を横へ振った。
「現在の学説では、瘴気の集積による自然災害とされている。しかしまだ、はっきりとした原因は解明されていない」
「しかし。学説は真実とは限らない」
ヴィオラは思わず顔を上げた。彼は教卓へ寄り掛かり、腕を組んでいる。無表情の担任教師からは、何の感情も読み取れなかった。
「昨日の地蝕。諸君は違和感を覚えなかったか?」
教室中が息を呑む。
「規模、発生地点、瘴気の濃度、魔物の数。そして――」
「鎮圧までの速さ」
(……!)
ヴィオラの鼓動が跳ねた。ザイデルバストは黒板へ新たな文字を書き込む。
『原因』
「物事には必ず原因がある。詳しくは瘴気の発生原因ではあるが、地蝕を発生させた原因は何だったのか」
誰もが口を閉ざし、教室内を沈黙だけが支配した。その様子を見て、ザイデルバストは小さく目を細めた。
「瘴気は通常、強大な魔力の残滓や、邪悪な感情が長い年月をかけて変質し、生み出される。だから過去の地蝕は戦場跡や辺境の地で、多く確認されてきた。それなのに昨日、地蝕が発生した場所はどこだった?」
「アウレア魔法学園です。」
「そうだ。」
ザイデルバストは静かに頷く。
「王国で最も厳格に魔法が管理され、未来の魔導師を育成する場所。その場所で、大規模な地蝕が起きた」
静寂が流れる。
「偶然か。自然現象か。…私は、それだけでは説明がつかないと考えている」
「魔法とは、使い手の意思を映す力でもある。もし誰かが魔法の扱いを誤ったり、禁忌の魔法へ手を伸ばしたなら…」
チョークが黒板を叩く。
『歪み』
「その歪みが瘴気を生みだす。瘴気が積み重なれば、地蝕という災害へ至る。」
教室に息を呑む音が広がる。彼もまた、ヴィオラやルシアンの様に、真実に気が付いている。
「つまり、一つの仮説が成り立つ。昨日の地蝕は自然災害ではない。誰かが魔法を使い、意図的に生み出した、魔法災害だった可能性だ」
(……!)
ヴィオラの胸が強く締め付けられる。母親の声が脳裏によみがえった。
『時蝕の原因は、いつだって人の願いだから。』
(この人……どこまで知っているの?)
ザイデルバストは教室をゆっくり見渡す。その冷たい蒼い瞳が、一瞬だけヴィオラを捉えた。心臓が跳ねる。まるで胸の内まで見透かされたような錯覚が全身を駆け巡った。だが、彼は何事もなかったように視線を外し、黒板へ新たな文字を書く。
『禁術』
「ゆえに王国は、一部の魔法を禁じた」
時間魔法。
魅了魔法。
魂魔法。
闇魔法。
「力そのものが悪なのではない。だが、人の欲望は時として、魔法を禁忌へと変える」
教室は静まり返っていた。
「だからこそ歴史を学ぶ。歴史は過去を知るためではない」
一拍置いて、冷ややかな瞳で生徒達を見渡した。
「同じ過ちを、二度と繰り返さないためにある」
何処か遠く、哀愁の籠もった瞳で生徒たちを見つめる。彼のその表情が、ヴィオラの脳裏に焼き付いて離れなかった。




