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エスピトラ〜妖怪の便利屋〜  作者: ボマー
第一章 のほほんライフとちょっぴりバトル編
21/22

荒れ狂う龍人を制止せよ

『緊急事態が発生しました。従業員は速やかに避難してください』

けたたましいベルとともに避難警報が鳴る。

警報を聞いた従業員達は、非常口から避難する。

ゾロゾロと正面玄関に集合していく。

そこで二人の従業員が、コソコソ小声で話している。

「何?緊急事態って」

「いや俺に聞かれても」

「火事かな」

「だったら火災の警報鳴らすだろ」

「じゃあ何?」

「だから知らないって。社長か輪尾さんの指示待つしかないだろ」

二人は知らない。

今、建物の中で龍人が暴れ回っていることに。


  ▲  ▲  ▲  ◆  ▲  ▲  ▲


ガチャッ―――

先ほどまで楽しく雑談していた四人。

解錠された音を聞いて、一斉にドアを見る。

ドアが開かれた。解錠したのは―――

「私、社長秘書の輪尾と申します。今は緊急事態ですので自己紹介は簡潔に」

「え?緊急事態?どういうこ―――」

「急いで避難してください」

ひなとが聞くも、輪尾は答えなかった。

「私が案内いたしますので、早く避難を」

「オグ―――いや、憎龍が暴れているんだよね」

輪尾の言葉を遮り、次郎が聞いた。


場が静まりかえる。

「なぜ、分かったのですか」

「僕とオグは今も繋がっているからね。憎龍に切り替わったのを感じたんだ。なんていうか、禍々しいおーら?みたいのが廊下の奥から漂ってきてる」

「え!?オグさんが憎龍に!?」


こうは言ったものの、憎龍のことを詳しくは知らない。

ただ、かなりまずい状況だということは分かる。

憎龍はただ壊して壊して壊し続けると聞いた。

300年ほど前にオグが完全体の憎龍になり、一つの村がなくなってしまったという話も聞いた。


もし憎龍が暴れているのなら、製作所にいる全員の身が危ない。

「従業員の皆さんは!?」

「警報を鳴らして避難を促しました。キャリ子さんから『全員の避難を確認』との通知がありましたから、大丈夫でしょう」

「キャリ子さん……?」

「ああ〜。剛が造った、お茶を運ぶロボだな。あのロボ、そんな機能もあったのか」

「あ、あの!ナルさんとオキミさんは!?」

「剛力里くんに運ぶように指示を出して―――」


そこまで言いかけ、輪尾は口を押さえた。

目を見開き、「しまった」と言わんばかりの顔をしている。

「運ぶように?お二人は今、自力で避難できないんですか―――?」

輪尾はすぐには答えなかった。

彼は激しく動揺していた。顔から大量の汗を流し、目は左右に激しく揺れている。


しばらくして。

「はい―――。お二人とも、自力で歩くこともできない状況にあります」

「どうして―――」

輪尾は一つ深呼吸をして、説明を始めた。

狒々川が人造妖怪を造ったこと、ここにいる四人を人質にしてエスピトラの社員達に戦闘を強要したこと、ナルとオキミは勝利したが満身創痍であること。

全て洗いざらい話した。


「オグさんが憎龍になったのも、人造妖怪と戦ったからなんですね」

「はい」

「剛のやつ何やってんだ。50にもなって」

「開き直るつもりはありませんが、それは置いておいてください。とにかく今は避難を」

輪尾は部屋の外からドアを開け、部屋から出るように促した。


「それもそうだな。―――ん?そういや元凶となった、うちのバカ息子はどうした」

「社長は倉庫にある最終兵器を取りに行きました」

「最終兵器?」

「自分が責任を持って憎龍を止めると」

「待て。まさか、憎龍と戦うつもりじゃ―――」

「そのまさかです」


それを聞いた軟泡の顔がみるみる青ざめていく。

「はあ!?憎龍と戦うって!?無謀だそんなこと!今すぐやめさせろ!下手したら死ぬぞ!?」

「無駄です。あの人は、一度固く決めたことは曲げないのです。父親であるあなたは、それをよく知っているはずです」

「……」

軟泡は黙り込んでしまった。

分かっているからだ。息子がとても頑固であることを。

それでも手と唇を震わせて、感情を抑えている。


「皆さんはとにかく避難してください。皆さんを無事に帰すことが、私が狒々川に受けた命令です」

「そんな、でも狒々川さんが―――」

「大丈夫。死なせはしません」

そう宣言する輪尾の顔には、自信があった。

「憎龍と渡り合えそうな方を、助っ人に呼んでありますから」

「助っ人って―――?」

「それよりも早く逃げましょう。ここだって安全とは限らない」


「それは大丈夫だよ。僕がいるから」

次郎が横から言った。

「それはどういうことですかな、次郎さん」

カモッシーが不思議そうに聞く。

「憎龍は絶対に、僕と傍にいる人は襲わないんです。憎龍がターゲットにしている人の傍に、僕がいた時も、その人を襲わなかったし」

「次郎さんは特別なんですなぁ」

「そうですね。憎龍が暴れるのも『宿主がそれを望んでいる』と思い込んでいるからでしょうし」

「望んでいるのですか?」

「まさか!望むわけないじゃないですか!」

次郎は違う違うと手を振って、必死に否定した。


「勝手にやっていると」

「ん〜。憎龍は、自分の中にある“憎しみ“こそが僕の本心、だと考えているみたいで。それの渦巻くままに暴れているって感じですかね」

「思い込むにもほどがありますよ!」

「そうですよね―――」

「ん?」

カモッシーが顎に手を当て、首を傾げた。

「でも、理由としては“次郎さんが望んでいるから“ということですよね」

「え。まあ、そうなりますね」

「そんなに次郎さんファーストなら。次郎さんが『やめて』って言えばやめてくれるのでは?」

「いいえ。僕の言うことは聞いてくれないんです」

次郎は俯いた。横髪が顔を覆い、表情は見えない。


「憎龍いわく、僕は“欠けた不完全な次郎“ですから」

「欠けた不完全な」

ひなとが呟くと、次郎が顔を向け困ったように笑った。

「前に憎龍が現れた時に、それを言われたんだ。確かに今の僕は、憎しみを切り離しているから、不完全ではあると思うんだよね」

そこまで言うとため息をついた。

「憎しみの抜けた僕は、話を聞く価値も無いみたいだよ。前も何度も『ダメ。暴れるのやめて』って言ったんだけど、全然聞いてくれなくて」

「そうなんですか」

「それだから。僕は暴走を止めることはできなくても、攻撃を受けることはないと思う」

「では、そちらの三名と一緒に逃げてください」


輪尾の言葉に耳を疑った。

三名、ということは―――

「輪尾さんはどうするんですか」

「私は狒々川の援護に回ります」

「バカか!?無謀だと言っただろ!死にたいのか!」

軟泡が血相を変えて叫んだ。

「大事な場所を守るためなら、命も賭けられますよ」

「でも―――」

「私だって妖です」

ひなとは止めようとした。

しかし輪尾と向かい合った時、何も言えなかった。

輪尾が力強く放ったその言葉に。覚悟が強く現れたその顔に。

自分の心配は余計なのだと、感じたからだ。


「後で絶対に合流するぞ!?死ぬなよ!?」

軟泡はひなととカモッシーを持ち上げた。

「うわあっ!」

「何を!?」

「わしが運んで行く!次郎はついてこい!」

「うん。輪尾くん、絶対に死なないでね」

「分かっています」

四人が部屋から避難し、輪尾が一人残された。

「覚悟はできている」

一人、空に呟き、歩き出した。


  ▲  ▲  ▲  ◆  ▲  ▲  ▲


破裂音を響かせ、一つの部屋に入り込んだオグ。

いや、彼女はもうオグではない。憎龍だ。

斬之助の腹を裂き、質問に答えた。その次の瞬間に乗っ取られてしまったのだ。

オグの意識はなんとか体を取り戻そうとしている。

しかし、これがなかなか難しい。

ある程度ダメージを負わないと取り戻せそうにない。


憎龍はその間に好き放題壊して、暴れまくる。

手当たり次第に物を壊し始めた。

憎龍は今、自分が何を壊しているのか分からない。

それでも構わない。ただ壊したいのだ。

手に掴んだ物を潰す、足に当たった物を蹴り飛ばす、両手が塞がったのなら噛み砕く。

体の中の憎しみが渦巻いて仕方ない。


…あいつもあいつもあいつもあいつも。皆が憎い。

自分はずっと苦しかったのに。嫌でも、誰かのための都合の良い人間でいないと、生きられなかったのに。

笑顔でいた。無害でいた。憎悪を抑えた。

殴られても、蹴られても、犯されても、頭を踏みつけられても、火傷を負わされても、唾を吐きかけられても、どれだけ酷いことを言われても怒らなかった。

困ったように笑ってみせた。悲しげな顔をするだけにした。涙を必死で抑えた。

怒ったら泣いたら、もっと酷くなるから。

自分の思いを訴えても『お前は人間未満の存在なのだから』と聞いてくれなかったから。

父を、母を、住処を、自由を、夢を、希望を、命を―――全部奪われた。

味方はいなかった。皆、敵だった。皆が自分から奪っていった。自分を悪戯に傷つけた、存在そのものを踏みにじった。

それでも無害な存在であり続けたのに―――


あの小僧が、あの小娘が、現代人(あいつら)が憎たらしい。

なぜ笑っている、なぜ幸せそうなんだ。

何にも怯えることなく、のほほんと平穏に暮らしている。

お前達の悩みなんて、本当にくだらない。

それが虐めなのか?普通じゃないから死にたいだと?

そんなことで悩むのか、苦しむのか。

どこまで贅沢を望めば気が済むんだ。貪欲な奴らめ。

同じ人間なのに。時代が違うだけで、風潮が変わっただけで、環境が違うだけで、こんなにも差があるのか。

自分はささやかな幸せさえ手に入れられなかったのに。

他の人間がそれを手に入れることも。それ以上を望むことも、ひたすら許せない。

これほど愚かで小さくて、弱い人間共なら尚更。

自分を苦しめた人間じゃなくても、生まれた時代が全然違う無関係の人間でも。

幸せでいるのが許せない。そんな奴らの幸せなんか壊してやる―――…


憎龍の脳内に響き渡る、それらの言葉。

これこそが紛れもない、次郎の本心なのだ。

その言葉を受け取る度に、壊したい衝動が疼く。

この衝動は止められない。抑えきれない。

壊し続けると「自分は父に貢献している」と感じる。


それなのに。オグは次郎の本心に耳を傾けない。

なぜ叶えてあげない。宿主のために、敬愛する父のために、なぜ力を使わない。

どうして、不完全な次郎の言うことを真に受ける。

『たくさんの人に、笑顔で幸せでいてほしいんだ』

こんな望みは一時的な気の迷いにすぎない。

憎しみを切り離したばかりに、自分の本心を見失っているのだ。

そんな望み、聞く必要などない。

お前にも聞こえているはずだ。

父の本心が、この世界の全てを憎む怨嗟の数々が。

これを叶えることこそが、“親孝行“というものだ。

―――それが憎龍の考えだった。



「随分と損害を与えてくれたなぁ、憎龍」

突然、後ろから声をかけられた。

振り返ると廊下に剛がいた。

彼は大きなロボットに乗っている。

中心に球形の操縦席がついており、上半分がガラスでできている。

その球から漆黒の骨組みばかりの腕と足が伸びている。

左手ににはマシンガンが、右手には短刀がついている。

ボディに塗られた01の白い文字が際立っている。

「なんだそれは」

「俺の最終兵器だ。これでお前を止める」

「ほう。そんなおもちゃで、か?生真面目な奴だと思っていたが、意外と冗談も言うのだな」

「冗談じゃない。本気だ!」


答えると同時に、憎龍に銃を向けて乱射した。

憎龍に全ての弾薬が撃ち込まれた。

しかし―――

「やはりおもちゃだな。痛くも痒くもない」

頭に手を突っ込んだと思えば、拳を握って引き抜いた。

手を開くと、銃弾が一気に落ちた。

先ほど撃ち込んだ全ての銃弾が。

胸や腹に撃ち込んだはずだが、頭から出てきた。

「驚いたか?体内の憎しみに流れを発生させ、銃弾を頭まで持ってきただけだ」

オグの時よりもより器用に、より緻密に体内を操作できるようになったらしい。


「だろうな!効くわけないよな、ただの銃弾だし!」

「無駄な抵抗は止めて、とっとと逃げたらどうだ」

「逃げてたまるか!大事な会社は、従業員の命は、俺の命に代えても守り抜く!」

「そうか。それならば―――ここで死ね」


瞬きをした、その一瞬。

憎龍は既にガラスの面に張り付いていた。

「なっ……!?」

ガラスを叩き割ろうと、拳をぶつけている。

ガラスはヒビを入れられたものの、まだ割られてはいない。

「硬い。この拳を持ってしても割れんとは」

「くっ―――」

ロボットの右手を動かし、刀を憎龍に振るう。

刃が肉に突き刺さる、鈍い感覚があった。

「なるほど。この刀にも【妖力吸収】が彫られているのか」

口調から苦しみや痛みを感じない。

図鑑を読んでいるような感覚で、得た事実を述べただけだ。

「なぜ避けなかった」

憎龍なら。いや、オグだったとしても。先ほどの攻撃は避けられたはずだ。

「お前の造った最終兵器とやらの性能を知りたくてな」

「ナメやがってぇ……!」

頭に血が上るのが分かった。


「自分の発明をバカにされるとすぐ怒るところ、変わっていないようだな。容姿についてはバカにされても怒らないのに」

「知ったようなことを!」

自分のことを知っているような話し方が、気に入らなかった。

それはオグが言うべき言葉だ。


自分を幼い頃から見てくれたのはオグだ。

勉強を教えてくれと乞うことができたのはオグだ。

女性が苦手でも、唯一目を見てしっかり話すことができるのはオグだ。

お前はオグではない。彼女には到底なれない。

人の心を知らぬお前は、壊すことだけを望むお前なんか、いらない。

胸に溢れるオグへの敬意と、憎龍への敵意。

その思いを込めて、短刀をさらに奥まで深く突き刺す。

「無駄だ。この程度の妖力、失っても瞬時に回復できるぞ」


「だったらこれはどうですかね!」

憎龍の背後には既に輪尾がいた。

手に構えているのは光線銃―――これはHHKBlast00。

あらかじめ溜めた妖力を、引き金を引くタイミングで光線に変換して放出する銃である。

剛が趣味で造った発明品で、実は試作品だ。

輪尾が引き金を引いた瞬間、緑色の光線が憎龍の腹を貫いた。

「ほう。これはなかなか―――」

しかし、すぐに修復されてしまった。


「もう一発―――がっ!」

輪尾が再び銃を構えた瞬間、憎龍が輪尾の首を掴んだ。

「輪尾!」

「阿呆かお前は。なんの防具も纏わずに、我の前に立ち塞がろうとは」

「ぐっ、うっ―――」


「やめろ憎龍!」

剛はロボットから飛び下り、憎龍に体当たりを試みた。

何の仕掛けもない、ただ純粋に直進するだけ。

当然ヒラリと躱されてしまう。

「我とお前の差は歴然だろう。その程度の力と妖力で勝てると思っているのか?そんな無駄な足掻きをして、こいつが死んでもいいのか?」

憎龍は、苦しそうな輪尾をこちらに見せつけてきた。

憎龍に勝つことなどできない。輪尾が人質である。

こんな状況でやることなど、一つしかない。


剛はゆっくり、憎龍の前に頭を垂れて平伏した。

「やめてくれ、頼む。輪尾は大切な後輩なんだ」

「先の闘志はどこへやら。後輩が人質になった瞬間に、我に屈するとはな」

憎龍は冷笑を浮かべ、剛を嘲笑った。

「ひ、狒々川……せんぱ、い―――」

「俺の命はどうなっても構わない。だけどそいつだけは、輪尾にだけは死んでほしくないんだ」

頼むと、剛はさらに深く頭を下げた。


(おもて)を上げろ、剛」

憎龍の言葉に従い、剛はゆっくり頭を上げた。

「お前にとって、こいつはそんなにも大切な存在なのだな」

「ああ―――」

「分かった。それなら―――」

憎龍は笑みを浮かべた。

今まで見せたことがないくらい、邪悪でおぞましい笑みを。

「あえて殺してやろう。お前の目の前で」

「は……?」

剛は憎龍の言ったことが分からなかった。

憎龍が、輪尾の首を掴んだ右手に力を入れる。

「があっ―――!!」

首が折られる、その寸前。


憎龍の右腕が切断された。

傷口はきれいに斬られていて、黒い液体が噴き出している。

憎龍は目を見開き、ただただ驚いているように見えた。

輪尾は意識を失ったようで、床に倒れてしまった。


剛は自分の目の前に立つ、()()()に目を向けた。

そいつの持つ刀が、憎龍の腕を斬ったのだ。

なぜ来たのかは分からない。でも―――

「輪尾を助けたってことは、味方と考えていいのか?」

「味方も何も。輪尾さんがボクを呼んだんだし」

「そうだったのか―――」


倒れた輪尾に目を向ける。

やっぱり、こいつを秘書にして正解だと改めて思う。

いつも自分の足りないところを補ってくれる。ミスをしたならカバーしてくれる。

「お前がいないとダメだな俺、本当に」

「そういうの後でいいから。戦況教えてよ」

「……ドライだな」

「何か言った?」

「いや何でもない。よし!お前が味方なら心強いな―――何としてでも憎龍を止めるぞ、ルナ!」

剛は立ち上がり、憎龍を睨みつけた。


「うん。で、戦況は?」

ルナは淡々と物事に取り組む性格だ。

一つ一つの出来事に、あまり関心を示さないのである。

「少しは付き合ってくれてもいいだろ―――」

「なんの話かな」

「まあ、いい。戦況を簡潔にまとめると、今はこちらが劣勢だ」

「だろうね。君達二人じゃ、憎龍の足元にも及ばない。いや、そう言うのも高く見てる感じかな」

「手厳しいな」

「嘘を伝えても意味ないよ」


「随分とほのぼのしているな。そんなことをしている間に、ほぉら―――」

憎龍がこちらに右腕を見せてきた。

煽るように曲げたり伸ばしたりしている。

既に修復し、しっかり動くらしい。

「治っちゃったね」

「お前のその刀があれば、どうにかなるだろ」

「まあね。これは感情を切ることができる、特別な刀だから」

「感情を切れる刀か―――」

剛は横目で、白く輝く刀を見つめた。

権化やクロノカタマリなどは感情系妖怪と呼ばれる。

感情系妖怪を倒す専用の武器は、世界でも数少ない。

よくもまあ、そんな貴重な武器を持っていたものだ。


「来るよ―――」

憎龍がルナに襲いかかってきた。

鋭い鉤爪がルナの顔―――から逸れて、真横でピタリと止まった。

「話に聞いた通り、面倒な術だ――」

次に憎龍は、ルナの足元に黒い沼を忍ばせ、そこから大量の手を出した。

真下からルナに襲いかかる。が、真っ直ぐルナに向かわず、右に逸れたり左に逸れたりしている。

これが、あれなのか。噂に聞く彼女の術。

「それが【流し】なのか―――」

「ん。まあね」

ルナは別に何のことでもないように答えた。


ルナだけが持つ【流し】という術。

自分に向かってくる、様々な物の軌道を横に流す能力だ。

真っ直ぐ向かってくる拳も、直線の光線も、氷も炎も雷も、全てルナから逸れてしまうのだ。

「無敵かよ―――」

「オンオフ切り替えられるなら、もっと良いんだけど」

「ん?切り替えられないのか?」

「うん。ずっとオンのまま。能力使いっぱなし」

「はあ!?妖力切れしないのか!?」

「使う妖力は少ないから。ただちょっと疲れる」

「嘘だろ―――」

まさかずっと能力を使っているとは。

呆然としていると。


ルナが刀を振るい、黒い手を薙ぎ払おうとした。

が、その前に手は沼に消えた。

「憎龍。君とは初めましてだよね」

「そのような軽い調子で話すな」

「別にいいじゃん。お互いに知らないわけじゃないし」

「今からお前の命を奪うやもしれぬのだぞ?」

「ボクの命を、か。やってみればいいよ」

憎龍はしゃがみ込み、両手を沼に入れた。

そして出した手には、ナタが握られている。

憎龍がナタでルナの首を挟むように斬りかかってきた。

しかし、ナタの刃先は上に逸れてしまった。

二つの刃が重なり火花を散らす。

「ナタもだめか」

その隙に、ルナが憎龍の腹に刀を突き刺そうとする。

が、その前に憎龍は沼に溶け込んだ。


今度は首だけを出し、顔をしかめた。

「攻撃の当たらんお前など、戦っても意味がない。ここで退場してもらおうか」

次の瞬間。

沼が盛り上がり、ルナに覆い被さった。

「ルナ―――!」

沼が平面に戻った時、ルナの姿は無かった。

沼がこちらに迫ってくる。


剛の目の前まで沼が来た。

すると沼から憎龍が飛び出してきた。それと同時に、剛に襲いかかる。

鋭い鉤爪が剛の額めがけて迫りくる―――が

鉤爪は剛に当たらず、見えない壁に弾かれた。

「チッ―――【結界術】か」

舌打ちをして、心底悔しそうに呟いた。

「お前とオグの知らないところで、俺だって色々頑張ってたんだよ」

その後も幾度も、剛に爪で襲いかかる。

しかし結界はかなり硬いようで。一撃も当たらない。


憎龍が拳を固め、動きを止めた。

「ふっ。はあああああ―――!」

声を上げながら、渾身の一発を放つ。

拳は結界と激しく衝突し、火花を散らせた。

そしてついに―――結界を割った。

「うおわっ!」

衝撃に耐えられず剛が後ろに倒れた。

憎龍も力を込めすぎたようで、少しふらついた。


剛が顔を上げた時、憎龍と目が合った。

冷たい突き刺すような視線が、剛に底知れぬ恐怖を感じさせた。

(ここで怯むわけにはいかない―――!)

負けじとこちらも睨み返す。

「心のままに、逃げてしまえば良いのに。無理して命を捨てることもないのだぞ?」

この言い方。やはり気づいているようだ。

剛が憎龍を恐れていることに。

でも。ここで逃げるわけには、会社を捨てるわけにはいかないのだ。

「お前を止めるために、命だって賭けると決めた。お前が出てきたのは、元はと言えば俺のせいだからな。覚悟はとうにできてる」

「無駄死にすると、親切にも教えてやったのに。呆れたものだな。この死にたがりが」

「何とでも言え」

剛は立ち上がった。


憎龍はそんな剛を見下し、鼻で笑った。

「はっ。今の結界で、かなり妖力を使っただろう。形式を持たぬお前が今から、どうやって我に勝とうと言うのだ。ただ死ぬだけだ」

「うっ―――」

憎龍の言うことは正しい。

先の結界で妖力をほとんど使ってしまった。

妖力切れも近い。【結界術】はもう使えそうにない。

戦う意思を示したのは良いものの、もう打つ手はない。

今、自分にできることがあるとしたら。自分が殺される時間分の、時間稼ぎくらいなものだろう。

(どうする、俺―――)


考える間にも憎龍はじりじりと近づいてくる。

鋭い牙を剥き出しにして笑っている。

脅すように鉤爪を見せつけてくる。

完全に勝利を確信しているのだ。

「クソ―――」

悔しいが。もう、どうすることも―――


「憎龍!」

後ろから声がした。

振り返るとそこにいたのは―――

「次郎さん!?」

パタパタとこちらに走ってきた次郎。

傍まで来たかと思えば、急に抱きついてきた。

「ちょっ。いきなり何する―――」

「やめて憎龍!剛くんを、彼の会社を壊さないで!」

必死な表情でやめるように訴えている。

「父上。くっ―――」

憎龍は悔しそうな表情を見せた。

鉤爪を構える下ろすを繰り返して、攻撃を迷っているように見える。


やがて。諦めたのか、腕を下ろした。

「剛から離れていただきたい」

「嫌だ。離れたら、剛くんを襲うでしょ?」

「こいつも殺す対象ですからね」

「こいつも?まだ他にもいるの?」

憎龍は呆れの籠もったため息をついた。

「一人は分かるでしょう。その他にも、猛烈に殺したい奴らが何人かいますがね」

「だめだ!絶対にそんなことさせない!」


次郎が剛から離れた。かと思えば、憎龍の前に手を広げて立ち塞がった。

「通せんぼのつもりですか」

「通りたいなら、僕を殺してから行ってよ」

「くっ―――」

憎龍の顔が悔しさに歪む。美しい女性の顔が、もとの面影もないほどに醜く歪んだ。

「あなた、という……人、はぁっ―――」

喉の奥から絞り出すように呻いた。

どうやら次郎のことは、どうしても殺せないらしい。


「くっ!がはっ―――」

突然。憎龍が黒い液体を吐き出した。

人間で言えば吐血した状態だ。

「なっ……なんだ急に」

一体何が起こったのだろうか。

剛が混乱していると、再び憎龍が嘔吐した。

「憎龍!?何で―――」

想定外すぎる事態に、次郎も驚いている。


「ぐっ、貴様かああああ―――!」

沼が再び盛り上がり、中からルナが出てきた。

手には刀と―――拳銃を持っていた。

「ルナ!無事だったのか!」

「ん。まあね。【流し】は水中とか、何かに包まれた環境でも使えるし」

ルナは憎龍に発砲した。

銃弾は憎龍の右脇腹に命中し、その箇所が弾けた。

「なっ―――【妖力分散】できる銃弾か」

妖力が分散した右脇腹には穴が空き、黒い液体が滴り落ちている。

(腹を修復できてない。この銃弾に彫られた【妖力分散】、威力が強いんだな―――)

自分が食らったなら、とうに絶命していただろう。


「ぐうっ―――そのような武器も持っていたのか」

「うん。ボクの相棒が発案したんだ。前足も後ろ足も無いから、造ったのはボクだけどね―――」

ルナが目を少し細め、拳銃を見つめる。

どこか、懐かしむように。

「戦闘中に余計なことを考えるな!」

憎龍がルナに殴りかかるも、やはり拳は逸れてしまう。

「そろそろ限界なんじゃない?」

「なんだと?我が限界を迎えていると?」

ルナは憎龍に向き合って話し始めた。


「最初から変だと思ってたんだよね。なんで完全体にならないんだろうって、疑問だったんだ」

その言葉を聞いた憎龍は、鼻で笑って答えた。

「気まぐれだ。龍の姿で一網打尽にするのも良いが、この姿で一つ一つ確実に壊すのも良いかと―――」

「違うでしょ」


憎龍の言葉を遮り、ルナが否定した。

「妖力が足りなかったんだよね。沼に入った時に気づいたんだ。ボクを包み込む憎しみに、妖力が追いついていないことに。取り戻せなかったってことは、誰かに吸われちゃったんでしょ」


憎龍は無言で目を見開いていた。

瞳が微かに揺れており、動揺が感じられた。

「桜寿様に聞いたよ。君が完全体になるには、君が持てる分の上限か、それを上回るほどの妖力が無いとダメだって」


ルナが憎龍に一歩近づいた。

「君は完全体にならなかったんじゃなくて、()()()()()()んでしょ。そして。オグさんよりちょっと見栄っ張りな君は、それを悟られたくなかった」

憎龍は顔を俯けた。表情が見えない。

「そろそろ妖力切れが近づいてるんじゃない?」


ルナは憎龍の真横に顔を近づけた。

そして耳に口を近づけ、囁いた。

「今なら取り返せる。頑張って―――オグさん」

次の瞬間。

憎龍がふっと、静かに倒れた。

「なっ―――どうしたんだ」

「憎龍……?」

それだけではない。少しずつ沼に体が入り込んでいる。

体が徐々に沼に沈んでいく。

やがて、憎龍の体は完全に沼に入り込んだ。


少し経って。

沼から姿を現したのは―――

「剛くん、ルナさん、そして父さん。大変ご迷惑おかけしました……」

申し訳なさそうな顔をした―――オグだ。


「オグ!取り戻せたのか」

「ええ、まあ。なんとかルナさんのおかげで」

「良かったよ。オグさんに戻ってくれて」

「本当に、ありがとうございます」

オグはルナに深く頭を下げた。


そして。

「オグ」

名前を呼ばれ、オグは振り返る。

「父さん」

大好きな父が、そこにいた。

二人は向き合い、共に微笑んだ。


「久しぶりだね」

「久しぶりと言っても7ヶ月ぶりですよ。会っていない間も、メールでやり取りしてたじゃないですか」

「そうだね。あ、そういえばルナちゃんも久しぶりだよね」

次郎はルナに近づいた。

「警察のお仕事、大変だと思うけど頑張ってね」

()()にいた頃に比べたら、あんなの全然大変じゃないよ」

「そうなんだ〜」

ニコニコ笑う次郎を見て、剛が思うことは。

(相変わらず、のほほんとしてる人だなぁ)

それだった。


「終わったようですね―――」

和気あいあいとした四人に、近づいてきたのは。

「輪尾!」

壁を伝いながら歩いてきたのは輪尾だ。

剛はすぐさま駆け寄る。

「動いても大丈夫なのか!?無理はするんじゃないぞ」

「けほっ。まだ少し苦しさがありますが、呼吸はできます。それよりも。社長にはやることがありますよ」

「やること?」


首を傾げる剛を見て、輪尾は額を押さえた。

「従業員への説明ですよ。皆、もう30分くらい駐車場で待っているんですから」

「なっ。もうそんなに経ってたのか―――」

「ええ。とりあえず私達は駐車場に行きましょう」

「そうだな」

剛は輪尾を横から支えながら、共に歩いて行った。


  ▲  ▲  ▲  ◆  ▲  ▲  ▲


ひなとと軟泡、カモッシーは裏口にいた。

非常口から避難し、とりあえず裏に回ったのだ。

ナルとオキミは意識を失ったまま、座らされている。


輪尾と離れてから、もう30分は経っていると言うのに。

戻ってこないため、不安でたまらない。

「輪尾さん、遅いですね」

「まさか、死んでるんじゃないだろうな―――」

様子を見ようと軟泡が戻ろうとした、その時。


向こうから、オグとルナと次郎の三人がやって来た。

「オグさん……ですよね」

控え気味に聞いてみる。

「そうですよ、ひなとくん。私です」

答えを聞いて、ひなとはほっと胸を撫で下ろした。

「次郎!?お前、いつの間にいなくなってたんだ」

「ごめんなさい。憎龍を止めなくちゃと思って」

次郎の答えに軟泡が額を押さえる。

「ルナさん?どうしてここに」

「輪尾さんに呼ばれたんだ。助っ人としてね」

「そうなんですね―――」

何がともあれ、今回の騒動も解決したようである。



その後、オグは『壊したのは私ですから』と、精力的に製作所の復旧に取り組んだ。

その結果、騒動の二日後には工場が再稼働した。

ナルとオキミは、テルビーエの病院で一ヶ月ほど入院することになった。

ひなとは一時的にカモカモ研究所で過ごすことになった。


そして剛は―――

「二度とあなたが変な騒動を起こさないように、きちんとスケジュール管理しますからね。ロボット製造もしばらくはダメです」

「はい。分かりました……」

輪尾のスケジュール管理の下、事業を再開した。


この騒動が桜寿の耳にも入り、オグは一ヶ月間、桜寿の家で働きながら監視されることになった。

こんな事態になってしまったため、エスピトラは臨時休業を余儀なくされた。


  ▲  ▲  ▲  ◆  ▲  ▲  ▲


翌日。

エスピトラの事務所にやって来たオカ研部だったが。

「『諸事情により、二ヶ月ほど臨時休業とさせていただきます。ご理解の程、よろしくお願いします』―――いや、昨日何があったの!?」

張り紙を読んだ押頼がツッコんだ。

「え〜。また休み〜?それにここから二ヶ月も〜」

御影が残念そうにため息をついた。

いびつは唖然として、口を少し開けたまま止まっている。

「仕方ない、ですね。今日も帰りますか」

優生が帰るように促した。

「だねー。運悪いなぁ、最近」

「また二ヶ月後か〜。長いよ〜」

「また二ヶ月後、また―――」

各々、何かぼやきながらも。オカ研部の四人は諦めて帰っていった。


これで一章完結となります。


ルナの言う“組織“も二章以降で説明いたします。

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