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19.おかえり

「さあてそろそろ決着つけるよ」


 炎の向こうから勇者の声が聞こえた。

 同時に火勢が増して、より強く僕の体を焦がした。


「魔王」

「うむ」


 相変わらず打てる手はない。

 だけど不思議と心は落ち着いていた。


「あいつ、やっぱり強い?」

「認めたくはないが。まあそうだな」

「勝ち目はない?」

「普通にやれば、そうだ」

「普通にやらなければ?」

「それでも無理だろうな」

「ふうん……」


 僕は少し考えた。

 正確には考える振りだ。

 考える余地なんて本当はなかった。


「じゃあやろう」

「いいのか? 失敗すれば死ぬぞ? 今謝れば貴様一人くらいなら助けてもらえるかもしれんぞ?」

「どうせ僕は助からないって言ったのは魔王じゃないか」

「は。忘れてはおらんかったか」

「で、僕はどうすればいい?」

「奴を殴り飛ばせ。全力でな」

「分かった」

「どうやって、とは訊かんのだな?」

「魔王がお膳立てしてくれるんだろ? なら任せるよ。こっちも任せて」

「ずいぶん生意気な口を利くではないか」


 魔王は苦笑まじりに言った。


「しっかりやれよ」


 唐突に。

 力が収束し、強烈に振動する気配がした。

 弾け、押され、よろめく。


「つッ……!」


 僕は耳を押さえた。

 鼓膜を直接貫かれたかような痛みが耳の奥にあった。

 キンと響いてくらくらする。

 吐き気に堪え、地面に手をついた。

 火傷だらけの手の甲。筋肉の足りないひょろい腕。


「え?」


 僕は呆気にとられた。

 もう一度腕を見る。

 人間の腕だ。

 化け物の体じゃない。


「チャンスはそんなに長くはないぞ」

「……魔王?」


 周りを見るが姿はない。

 声もかすれて聞き取りづらい。


「あやつの力を一時的に阻害した……その間に確実に仕留めろ……」


 はっとして視線を転じると、勇者が呆然と立ち尽くしていた。


「な……な……っ!?」


 あんなに荒れ狂っていた炎の嵐が忽然と消えている。

 勇者が自らの手を見下ろして叫んだ。


「これは……どういうことだ!」


 会場にいた誰一人その言葉の意味は分からなかっただろう。

 僕と勇者以外、誰も。

 いや、僕だって正確なところは分かっていなかった。

 だが分かっていることもあった。


「ヴィー! 答えろ! ヴィー!」


 わめく勇者に一歩一歩近づいていく。


「くそ、一体何が……何を……」

「力が使えなくでもなったのか?」


 声をかけると勇者がびくりとこちらを向いた。

 僕に気づいてすらいなかったらしい。


「お前……お前か!? 俺に一体何をした!」

「僕じゃないよ」

「何……?」

「魔王がやった」


 言葉と同時、僕は思い切り勇者の顔を殴り飛ばした。

 勇者が倒れる。

 もんどりうって……と言いたいところだったけれど、僕の腕力なんてたかが知れている。

 膝をついた勇者を見下ろす。


「立てよ勇者。僕はまだ殴り足りないんだ」

「俺に何をしたんだ……」

「さあ? でも魔王がやったことだ。僕は僕の役目を果たさせてもらう」


 立ち上がった勇者に僕は再び飛びかかった。

 拳をその顔に向けて振りかぶる。

 だけど、それが相手に届く前に今度は僕の方がぶっ飛ばされていた。


「調子に乗んなよクソが!」


 転がった僕に勇者の蹴りが飛んでくる。


「勇者舐めんなゴミ虫! テメエなんかチートがなくてもどうとでもなるんだよ!」


 蹴りがまともにみぞおちに入った。

 咳き込む。

 相手はそれを見て、とどめとばかりに横っ腹に足を振り下ろした。


「死んどけカスが!」


 確かに死ぬほど痛かった。

 だけど死にはしなかった。

 逆流する胃液に溺れそうになりながら、僕は勇者の足にしがみついて体をひねった。

 勇者が転倒する。


「ぐっ……!」


 僕は脇腹の痛みに堪えながら勇者の体にまたがった。

 拳を振り下ろす。

 体重を乗せて振り下ろす。

 もう一度。もう一回。


 勇者は顔を腕で防ごうとしたけれど、ダメージは小さくないようだった。

 でも、それは拳をたたきつける僕だって同じだった。

 食いしばる歯の間から息が漏れる。

 苦しい。

 涙があふれる。

 痛い。

 さみしい。

 ルリハ……


「ルリハ……」


 手が止まった。

 疲労した腕が鉛のように重い。

 僕はなんでこんなことをしているんだっけ。

 ルリハ。僕は……


 その時、顎先に鉄拳をくらって僕はひっくり返った。


「チッ……クソ!」


 勇者がおぼつかない足取りで立ち上がる。


「ゴミのくせして俺に盾突きやがって……!」


 その時スッとその隣に現れた人影があった。


「キョウ」

「……ヴィーか」


 女神ヴィクトラ。


「お待たせしました。あのこざかしいカラスにリンクを切られてしまったもので」

「ふん……なるほどな」


 確かにわずかな間だった。

 もう勇者は力を取り戻したらしい。


「と、いうわけだがゴミ虫。覚悟はできたか?」


 できるわけがない。

 まだやり残したことはたくさんある。

 今死んだら悔いが残る。

 でも。


「殴り飛ばせたのはスッとしたな……」

「あ?」


 僕は小さく笑って顔を上げた。


「とりあえずはそれで満足だよ。殺すなら殺せよ」

「言われなくてもそうするよ馬鹿」


 勇者が手のひらをこちらに向ける。

 これで終わりか。


「そういえば君の元仲間は君のこと気に入ってたって言ってたよ」

「ん?」


 ふと口をついて出た言葉に勇者が訝しげな顔をした。


「もっと自分に自信をもって欲しいってさ」

「わけ分かんねえことを」


 勇者の手に光がともった。

 輝きはすぐに強さを増して、僕の視界を覆う。

 僕はまぶしさに堪えられずに目をつむった。

 さよならルリハ。

 僕の体に何かがぶつかった。

 思ったよりも軽い衝撃だったけれど、これが死の感触かと思った。


「……」


 そのまま時間が過ぎた。

 もしかしたら僕はしばらく気絶していたかもしれない。


「……?」


 奇妙だった。死の静寂がやってきていない。

 だって風の音が聞こえる。

 まぶたの向こうの輝きは消えている。

 そして、僕の体を温もりがつつんでいる。


 僕はゆっくりと目を開いた。

 泣いている顔がすぐ目の前にあった。


「……ルリハ?」


 遠く離れていた人が僕にしがみついていた。

 僕をかばうように。

 いつの間に来てくれていたんだろう。


「ジャクス……ごめん……」


 嗚咽まじりにつぶやくその頭を、僕はぼんやりと見つめた。


「……」


 何か気の利いたことを言いたかったけれど、何も思い浮かばなかった。

 だから、ただ彼女の背中に腕を回した。


「おかえり、ルリハ」


 彼女は泣きじゃくるばかりで答えなかったけれど、僕はそれでも満足だった。

 安堵の中で身体から力を抜く。

 そしてそのまま気を失った。

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