17.勇者の力
鐘の合図が鳴り響いた瞬間、魔王が僕に飛び込んできた。
同時、頭の中で何かが弾けた。
僕にとって致命的な感触。
僕が僕をやめる音。
ばきり、と衝撃があった。
僕の口が裂けた音だ。
急激に硬化した顔面にひびが入って、耳まであぎとが大きく開く。
口先がめきめきと変形していき猛禽のくちばしのように鉤状に歪む。
顔だけじゃない。
体も筋肉で膨らんでみるみるうちに地面が遠くなっていった。
右手を見る。
節くれだって醜い鉤爪の生えた指先があった。
「ゴアアァ……!」
何かを言おうとしたけれど言葉にはならなかった。
ただ、喪失感だけがあった。
「はは」
敵は小さく笑い声を上げた。
「いや、かっこいいね」
その姿は巨大な拳の下に消えた。
観客席から悲鳴が上がる。
僕の姿への恐怖か、勇者の心配か。
体が勝手に動く。
潰した勇者に反対の拳を打ち込んで、さらに念入りに潰していく。
「手加減はせんぞ勇者! 今度こそ完膚なきまでに殺しつくしてやる!」
魔王の声が響いた。
すぐ近くからだ。
でもどこにいるのかは分からない。
どこにも姿は見えない。
だけどしばらくして気づいた。
もう魔王は僕なのだ。
拳をたたきつける音が鼓膜を連打する。
地面に砂煙が舞い、ひびが走る。
どんなに頑丈なものだろうともう完璧に破壊しつくされただろう。そう思うほどの乱打が叩き込まれた後、僕の体はようやく拳を止めた。
口から荒い息が漏れる。
酷使した筋肉が熱く感じた。
ここまでの攻撃をまともに受けては勇者も無事ではすまないはずだ。
しかし。
「あれ、もう終わり?」
砂埃から勇者が無事な姿を現した。
そっとこちらの拳をどけて這い出して来る。
「もっとすごいのが来ると思ったけど。案外なんだ、拍子抜けだね」
唖然とした。
観客席からも息をのむ気配が伝わってきた。
それらの反応それぞれを見回して。
「ま、あれだね」
勇者は首をこきこきと鳴らした。
「もうちょっと頑張んなよ」
その瞬間、体の芯に衝撃が突き抜けるのを感じた。
視界が目まぐるしく回転して天と地が入れ替わる。
もう一度衝撃を受けて止まる。
訳が分からず顔を上げると遠くに勇者の姿が見えた。
こちらを指すでこぴんの指。
信じられないけれど、それだけでここまで吹き飛ばされた。
「グオオ……!」
呆けたままの僕の意識とは関係なく、体はすぐに跳ね起きた。
勇者との距離を一瞬で詰めて、再び拳を振り下ろす。
そして再び吹き飛ばされる。
勇者はただこちらを押しただけだった。
指先で、ただし正確に。
「この、こしゃくなガキめが!」
魔王の声が頭の中に響く。
同時に虚空から次々と影が這い出してきた。
地獄からの使者たちだ。
魔王の合図と共に一斉に勇者に殺到する。
槍を持った影が勇者の腹を刺した。
鎌を持った影がその足の健に刃を食い込ませた。
蒼い火を持った影がその右目に炎を押し付けた。
最後に。
勇者の足元から影が立ち上がり――背中から心臓に短剣を突き刺した。
「あ……」
勇者の口から声が漏れた。
苦悶の声……と、最初は思った。
でも違った。
「ふあ……あぁ。ねむ」
あくびだ。
それから周りを火を押し付けられていない左目で見回して、言った。
「そろそろ反撃してもいい?」
同時に勇者はさっと右手を振った。
たいした動作でもなかったけれど、槍も鎌も蒼い火も短剣も吹き飛んだ。
おののく影たちに勇者は告げた。
「あの世に帰んな」
音もなく消える亡者たちの向こうから、勇者はこちらを見据えた。
「魔王! 二度目の死の覚悟はできたか!?」
突然の言葉に観客席がざわつく。
「魔王だって……?」
「そんな、あれが?」
「勇者様が倒したはずじゃ……?」
混乱はすぐに収まった。
勇者が剣を引き抜いたからだ。
「その人の体を乗っ取ってよみがえったんだな。むごいことを。もう二度と復活できないように今度こそ完全に滅ぼしてやる」
それからこちらだけに聞こえる声でつぶやいた。
「と、まあこんな感じで。そろそろ決着つけるよお待たせさん」
両手で剣を掲げる。
その切っ先に光が灯る。
「じゃあおやすみ」
言葉が終わるや否やあふれ出した炎が僕の方へと向かってきた。
呆然とする僕の意識とは裏腹に、体は瞬時に動き出していた。
勇者に向かって一直線に地面を蹴る。
足先でえぐれる土の感触、耳元で渦巻く風の音。
勇者に向かって手を伸ばす。
何をしようとしたのかは分からない。
だけど何もできないのは分かっていた。
体が炎に呑まれていく。
火炎の渦の向こうに笑みに歪む口元だけが見えた。
「ゲルツを片付けてくれたことだけは礼を言うよ。アイツ、ウザかったし」
聞こえたかどうかも分からないその言葉を最後に、僕の意識は闇に落ちた。




