35話 ティウル砦へ
今までとは比べものにならない速さで丘を降っていく。
と言っても、日本での生活を思い出せば、自動車よりも明らかに遅い。
けれど自動車のようにシートベルトもなければ自分を囲う金属の壁もない。
(怖い! 怖い!! 怖い!!!)
先程までは、一人で帰るロルフの心配や早くティウル砦に到着したいという焦燥感等が頭を埋め尽くしていたが、今はただただ恐怖しかない。
杏は無意識のうちジークベルトにしがみつく力を強めていた。
丘を降りきり、緩やかな登り坂になった。
あともう少し。
そう思った瞬間、左前方の兵士が叫ぶ。
「敵です! 騎兵が……三騎!」
砦の左側から馬に乗った者達が現れる。
彼らは義勇軍とは違い、同じ鎧や衣服を身につけているようだった。
そこまで確認できるほど近づいているのに今まで気づけなかったのは、砦が障害物になっていたからだろうか。
敵もこちらに気付いたのか、一直線に向かってくる。
それに合わせ、ジークベルトと杏の乗った馬を囲むようにしていた兵達がその包囲を狭める。
「チッ。哨戒か遊撃か……?」
ジークベルトは素早く周囲と砦の方を観察してから声を張り上げる。
「構うな! このまま行くぞ! スピードを上げろ!」
敵が突然、弓を上空に向けて構えて矢を放った。
その軌道を追う為に頭上へ視線を移すと、敵の放った矢がこちらへ降ってくるのが見えた。
杏が息を呑むと、誰かの魔力が空中に漂うのを感じた。
その直後、突風が吹き、矢はあらぬ方向に飛んでいく。
この中に魔法が使えるのはエドガーとジークベルトしかいない。
どちらがやったのだろうと杏が思っていると、ゴンッという硬いもの同士がぶつかる音が左から聞こえた。
バッと音の方を向くと、杏達の真横にいた兵士の体がゆっくりと傾いて——。
「っぶねぇ! 一瞬トんだ!!」
そう叫ぶのと同時に体を起こした兵士は、兜の隙間から血を滴らせていた。
「投石か! ……もう少しだ、耐えろ!」
ジークベルトがそう叫ぶ間も、矢や石が飛んでくる。
『もう少し』
ジークベルトの言葉を聞いて杏は正面——自分達が向かう方向に視線を向ける。
そこには十数人の男達が立っていた。
その集団の先頭に立っている男が声を上げる。
「突撃ーー!!!」
こちらへ駆けてくる男達の左腕には赤い布が巻かれていた。
義勇軍所属である証だ。
敵の三騎はすぐに杏達への攻撃を止め、撤退を始めた。
それを追いかけるように、義勇軍の兵士達も杏達とすれ違いながら駆けていく。
先頭を走っていたエドガーが言う。
「副官! 追撃します!」
「よし、レオン、トマシュ、ロベルト! お前達も行け! ただし忘れるな! 最優先は砦の防衛だ!」
「「了解!!」」
エドガーと、杏達の右側を走っていた兵士達が進路を変えて撤退する敵兵を追い始める。
残りの者達は陣形を作り直すこともなく、開け放たれていた砦の裏門に駆け込んだ。
入ってすぐのところに立っていた男に誘導され、砦の奥へと進む。
誘導された場所では鍋や作業机が置かれており、そこで何人かの人間が作業していた。
大人もいれば子供もいる。
おそらく、村の人達だろう。
その奥では座り込んだり寝かされていたりする者達が数十人。
こちらは兵士と村人が混ざっているようだ。
負傷者達だろう。
そしてその場にいる人間達に指示を出しているのは、ディールだった。
「ディールさ——」
「回復薬の粉末を持ってきた」
安堵で声を上げる杏を、ジークベルトが遮る。
「まずはこれを湯で溶いて急場を凌げ」
ジークベルトが話している間に、杏達と一緒に砦に入った内の二人が馬から降りて荷を解く。
何を言うでもなく、女性達がそれを受け取り、次々と用意してあった鍋に入れていく。
「クルト、お前はレヴォの手当を。アドルフは技官殿を」
指示を飛ばすジークベルトを見て、ディールもそれぞれ近くの人間に指示を飛ばし始めた。
まず一番近くにいた少年に声をかける。
「羽なし鳥を飛ばしたいから、西の見張りに伝言を伝えてくれ。『全員、無事到着』って。はい、復唱」
少年は言われた通り復唱し、どこかへ駆けていく。
杏は、それをアドルフの手を借りて馬を降りながら見ていた。
長時間の乗馬で言うことを聞かない足を無理矢理動かして、女性達に用意してもらった椅子へ腰を下ろす。
椅子は木製だが、座面に何枚も布が重ねられており、気遣ってもらっているのだと強く実感する。
「この体に括り付けられている物、外しますね」
そう言った女性に杏がお礼を言うと、アドルフがすぐに口を開く。
「この袋の中に、赤い紐で結んである不死草があります。まずはそれを使いたいです」
「わかりました。鍋に入れる準備をしておきますね」
女性は袋を抱えて作業台まで行き、そこで作業をしていた女性達に何かを話し始めた。
ジークベルトへ視線を戻すと、彼は既に馬から降り、ディールと話をしている。
「副官、すみません。やられました」
「いや、むしろよく持ち堪えた。それより、エドガー達が敵を追っている。援護に回せる騎兵はいるか?」
「うちの隊は元々騎兵が少ないですからね……」
ディールが少し考えて答えた。
「今、ドグが兵を率いて正門付近で戦っています。そこのを呼び戻せば五騎。伝令用の馬を使っていいなら七騎」
「馬だけいても——いや、いい。忘れてくれ。ところで、予備兵力はどの程度いる? 回復薬を持たせて戦場に出したい」
ディールは頬を掻いた。
「……もうすぐ戻ってくると思いますよ」
「……先程の援軍がそれか? 既に戻ってきていてもおかしくないと思うが」
「はは、おかしいなぁ……」
ディールは近くで作業していた少年に声をかけた。
「南の見張りに、さっき出した兵達に今すぐ戻れって指示出すよう伝えて。急ぎで。至急。ほんとに」
少年が走りだすのを見届けて、ディールはジークベルトに向き直る。
「すぐに戻ります」
「………………」
「あ〜……、で、でも他にもいますよ? 俺もいますし、あと、動ける負傷者とか、見張りとか、炊事担当とか、やる気ある村人とか……」
杏のいる場所からでもジークベルトの雰囲気が変わったのがわかった。
「…………全て終わったら話がある」
「わぁ……」
おまけ
「やっべ、赤い布仲間の止血に使っちまった」
「俺もだ」
「ジーク副官くるんだろ? うるせぇぞ」
「おっ、これとかいいんじゃねぇか。さっき血を吹いた布。まだ赤い」
「いいな、それ!」
「俺にもくれ!」




