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33話 静かな夜

「技官殿、そろそろ最後の支度を」


 鎧に身を包んだジークベルトにそう言われ、杏は持っていたカモミール茶をハンナに手渡す。

 

 その場で準備を始めると慌ただしく動く調薬係の邪魔になってしまうと下女達に促され、屋外に出る。

 見上げると、数時間前に起こされた時には高い位置にあった月が随分と低くなっている。


 最後の支度というのが何か、杏には聞かされていない。

 既に乗馬用にズボンを履き、肌寒いので外套を羽織っている。

 他に何をするのだろうか。


 疑問を抱く杏とは正反対に、下女達は迷いなく作業を進めていく。

 何かが詰められた袋を、杏の胴回りに邪魔にならないように縄で括り付けていく。

 最終的に、上半身だけサンドバッグのようになってしまった。


「この匂いって……」

「不死草です」

「は、はぁ。あの……この格好で行くんですか? 本当に?」

「回復薬の材料も届けられ、気休め程度ですが緩衝材にもなるでしょう。一石二鳥です」


 しごく真面目に言うジークベルトに、杏はそれ以上何も言えなかった。


「技官殿、行きましょう」


 杏が頷き、ジークベルトと共に移動しようとすると、手を引かれた。

 ハンナだった。


 彼女は俯き、更に手に力を入れてくる。

 普段の彼女からは考えられないしおらしさに、思わず笑ってしまう。


「……なんですか」


 抗議するように睨むハンナを、杏は抱きしめた。


「行ってきます」

「…………袋がゴワゴワします」

「我慢して」


 数秒ハンナを抱きしめた後、杏はハンナの頭を撫で、再びジークベルトと共に歩き出した。


——————


 数時間前。


 寝ているところを起こされ、寝間着に上着を羽織っただけの状態で扉を開けた。

 来訪者であるカミルとジークベルトも同じような様子で、ジークベルトに至ってはいつもなら撫で上げている髪を下ろしたままだった。


「アン、すまない。その……」


 言い淀むカミルの言葉の続きを巻き取ろうとしたジークベルトを、カミルが手で制した。


「ティウル砦が襲撃された。回復薬を作る為に、君にそこに行ってほしい」

「え……? ま、待ってください、え……?」


 急に投げかけられた言葉に混乱する杏に、ジークベルトが口を開いた。


「詳しく説明します。ティウル砦は、ご存知ですか?

 現在、ドグ隊が詰めている所です」

「ドグ隊——……。ディールさん、ディールさんは無事ですか?」

「伝令からは、何も報告は受けていません。無事です」


 その後も、ジークベルトは杏の様子を確認しながら、普段とは違うゆったりとした口調で説明を続ける。


「数時間前、ティウル砦と、その近くの農村が襲撃を受けました。砦に避難して来た村人の中に、敵兵が混ざっていたようです。敵兵により、医療区画で作業していた医療班が殺され、回復薬も使えない状態となりました」


 杏はティウル砦にいた医療班の人間は誰だったか思い出そうとしたが、すぐには出てこない。

 覚えている配置から消去法で割り出そうとしたが、その前にジークベルトが言葉を続ける。

 

「村は、敵兵に占拠されました。負傷者も多数います。しかし、砦内の敵兵の制圧には成功しており、不死草の在庫もまだあります」

「……だ、だから、私が」


 ジークベルトはゆっくりと頷いた。


 寝起きのせいか、それとも緊張のせいか、口の中が酷く渇く。


「アン、すまないが、あの砦と村をそのままにはできない」


 カミルの温かい手に自分の手が包まれて初めて、自分の指先が冷えていたことに気づく。


「前線でも不審な動きがあって、ここの兵達を全部動かすわけにはいかない。敵を打ち払うには、砦の負傷者を回復させて戦線復帰させる必要がある」


 カミルが杏の手を離し、ジークベルトの肩を抱いて自身の方に引き寄せた。


「俺は一緒に行けない。だから、ジークを一緒に行かせる。ジークならきっと君を守ってくれる。だろ?」

「当然です」


 だから行ってほしいと言うカミルに、杏は頷くしかなかった。


——————


 ジークベルトについて歩いていく。

 調薬室は騒がしかったが、屋外は不自然な程に静かで、行き交う兵士達や侍女達も足音を潜めて移動している。


 調薬室で待たせてもらっている間に、気持ちの整理はできた。と思う。

 ティウル砦にディールがいるのなら助けに行きたいし、亡くなった医療班ができなかった仕事をやり遂げたいと思う。

 そう自分に言い聞かせて、納得させた。


 砦の裏門まで行くと、そこには八人の鎧を着た者達と九頭の馬がいた。

 鎧を着た者達は、エドガーとロルフ、そして杏の護衛が二人。

 残りはあまり見たことがない兵士だった。

 みな、思い思いに何かを食べている。


 八人はジークベルトに気づくと食事を止め、整列をする。

 その姿に、杏は思わずたじろいだ。


「技官殿、この者達と私で、貴方をティウル砦までお送りします。我々が盾となり、命に代えてもお守り致しますので、どうか——」

(『命に代えて』……)


 ジークベルトの言葉は杏に届いていなかった。

 自分を守る為に、彼らが死ぬかもしれない。

 自分が危険な場所に行く決心はした。

 けれど自分の為に誰かを犠牲にする覚悟は……?


 ジークベルトは杏の様子を感じ取り、口を閉じた。

 少し考えた後、兵達に向き直る。


「お前達! 全員でティウル砦に辿り着くぞ! 私の許可なく死ぬ事は許さない!」


 その言葉に、一拍置いてエドガーが吹き出す。


「ははっ! なんだよ、いちいち副官殿にお伺いを立ててから死ねってか? んな面倒なことしてらんねぇな!」


 その言葉をきっかけに他の兵士からも声が上がる。


「申請書とか用意します?」

「あー、オレ字書けねぇからパスっすね〜」

「おいロルフお前まだ食ってんのか!?」

「ひょーひちょーがふれた」

「何言ってるかわかんねぇよ!」


 一気に和らいだ雰囲気に、杏も思わず笑った。


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