28話 選択肢
杏は、本の背表紙をなでた。
掠れて見にくくなっているタイトルを、記憶を頼りに脳内で再生する。
「すみません、ユゼフさん。開放日でもないのに、書庫を開けてもらって」
「構いませんよ。私も本を読みたいと思っていたところでしたので」
杏から少し離れた所で、ユゼフが棚から本をいくつか取り出しつつ答えた。
杏は先程まで背表紙を撫でていた本を手に取り、パラパラとめくる。
兵士達の読み書きの練習用にと置かれている、子供向けの本だ。
冬の間に内容を諳んじられるようになったはずなのに、今では抜け落ちてしまっている部分も多い。
春になり勉強を後回しにしていた結果だ。
杏は三日前の事を思い出す。
ルートヴィヒとの会話内容を伝えた時のジークベルトの反応は、少し異常だった。
「貴方は、存外冷静なのですね」と言って目を伏せたまま動かない。
杏が「あの……」と声をかけて初めて、ジークベルトは彼女を見た。
彼は髪を撫でつけ、口を開く。
「魔導適性は遺伝する事が多く、貴族が魔導適性のある者を養子にしたり娶ったりする事は、珍しくありません。双方同意のもと円満に話が進む事もあれば、お恥ずかしながらそうでない事もあります。この意味、おわかりになりますか?」
杏がジークベルトの発言の意味を理解しきる前に、彼は続ける。
「兄上は貴方を思いやるつもりは一切ありません。どうか十分にご警戒を」
ジークベルトはそう言うと、恐ろしいほど静かに扉を閉めて去っていった。
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杏が本の中身をただ眺めていると、ユゼフが話しかけてきた。
「勉強の方は順調ですか?」
思わず目を逸らす。
「最近、また、力を入れようと……」
ユゼフは「そうですか」と言い、杏が持っていた本を取りページをめくる。
「では、この一節は?」
ユゼフが指さした文を確認し、杏は記憶を掘り起こす。
「えぇと、『エルマは』、『ドラゴンと出会って』……違う、『対峙して』、……『剣』? 『を構えた』。……でしょうか?」
「……まぁ良いでしょう」
その曖昧な言葉が、逆に怖い。
ユゼフは本を閉じ、杏へ返す。
受け取りながら、杏は呟いた。
「私は、王宮に戻ったら、政略結婚させられるのでしょうか……」
一度口を開くと、ここ数日考えていたことが次々と溢れてくる。
「顔見知りのジーク副官に嫁ぐならともかく、何も知らない相手じゃ……。魔導適性は遺伝すると聞きました。……私は、王宮に戻ったら、道具のように使われて、それで終わりなんでしょうか」
ユゼフは杏が話し終わるまで待ち、ゆっくりと口を開いた。
「それは、ないとは言い切れません。良い方に貰われた場合、幸せな人生を送れる可能性もありますが、それは賭けでしかありません」
ユゼフは本棚から本を数冊取り、杏に渡した。
「だから、勉強なさい。思い出した時にではなく、継続的に。磨かない知識は錆びてしまいますよ」
「……何かあった時にピアスを外して逃げられるように」
ユゼフは頷く。
この砦に来た当初、言われた事だった。
会話と読み書きを教える。
だから、義勇軍が杏を守りきれなくなった時、またはここが嫌になった時に、探知機能と翻訳機能がついたそのピアスを捨てて逃げろ、と。
忘れていたわけではないけれど、目の前の手触りの感じられる作業にばかり気を取られて、いつ来るかわからない曖昧な物事への備えは後回しにしてしまっていた。
「と言っても、私達も忙しさにかまけて会話の練習に付き合えずにいましたね。。また時間を作りましょう」
そう言うユゼフに、杏は前々から気になっていた事を尋ねた。
「……どうして、そんなに良くしてくれるんですか? 軍にとっては、私がずっとここにいた方がいいですよね? 言葉を覚えたら、私は、ここから逃げる事を考えるかもしれません」
ユゼフは、この辺りでは珍しいとルートヴィヒが言っていた黒い目を窓の外に向け、こう言った。
「……団長の方針ですよ」
おまけ
一般兵「なんかさ、上の連中貴族ばっかじゃん? 貴族連中は後方で安全な仕事ばっか。戦闘とかはオレら平民に押し付ける。ズルくね?」
エドガー「……団長とジーク副官は?」
「そこ出すのはズルだろ!俺は後方でぬくぬくしてる奴らのこと言ってんだよ」
「……じゃあお前、字わかんのかよ」
「あ〜……。無理だな!」
「文句言う前に勉強しろバカ! ったく、ちゃんとした環境整えてやってんだからよ! ていうかしてくれよ! 読み書きできるやつ欲しいんだよ!」
「イヤだ! 絶対イヤ!」
「ふざけんなよ! 俺がどれだけ苦労してジークとユゼフ説得して書庫にエロ小説置いたと思ってんだ!」




