26話 罠か否か
ルートヴィヒと遭遇した日の夜。
「先生から貰った薬飲んだら、本当に熱が出たんですけど……」
杏は自室を訪れたカミルとジークベルトにそう言った。
杏はベッドに腰掛け、カミルは杏が普段使っている椅子に座っている。
ジークベルトはというと、カミルの斜め後ろに立って控えている。
椅子が一つしかったのだ。
二人は杏の言葉に、キョトンとした顔を浮かべた。
「そういうものだろ?」
「ご自分で仮病を使うとおっしゃいましたよね?」
(そうだった。ここ異世界だった)
「まぁ……」とカミルが口を開く。
「もう回復したようでよかったよ。実は、少し話したいことがあって来たんだ」
カミルは視線を少し下げて、すぐに杏に戻した。
「君もルートヴィヒ殿と顔を合わせたろ? ……何を話したか、できれば教えてほしい」
杏は、昼間会った男を思い出した。
柔和な笑みを浮かべているが、どこか信用できない男。
杏がルートヴィヒとの会話を思い出していると、ジークベルトがいつにも増して固い表情で杏に言った。
「貴方を引き抜こうとするような言動はありませんでしたか?」
「ひ、引き抜き……?」
「そうです。ここでの不満を口にするよう誘導したり、ここよりも良い条件を提示したり、そういった事はありませんでしたか?」
ジークベルトが杏を鋭い目で見る。
これではまるで尋問ではないか。
「確かにありましたけど、途中でジーク副官が来たので話は途中で終わりました」
何も疑われることはしていないのに、と思わず少しぶっきらぼうな口調で答える。
「ただ、ここでの暮らしに不満はないと答えましたし、引き抜きの話があったとしてもお断りしていました」
「でしたら問題ありません」
杏の言葉に笑顔になったカミルが口を開きかけるが、それをジークベルトが止めて言葉を続ける。
「兄上は本日、この砦に泊まることになりました。遭遇しないようにこちらも動きますが、万が一何か話しかけられたとしても、それは貴方を誘導する為の言葉だと思って聞き流してください」
「わ、罠って……」
杏は今度は少し呆れて片眉を上げる。
全面的にルートヴィヒを信じているわけではないが、それでもさすがに大袈裟ではないだろうか。
「お兄さんのこと、その……苦手なんですか?」
杏がそう言うと、ジークベルトはあからさまに顔をしかめた。
「個人的な感情でここまで強く言いません。事実、あの人は人心掌握に長けているのです。しかも、人の心を踏みにじるのに何の躊躇いもない」
ジークベルトの剣幕に杏はカミルを見る。
「俺もあの人は好きじゃない」
カミルは腕組みをしてふてくされたように答えた。
「な、なるほど……」
カミルまでルートヴィヒを嫌っているとは、よほどのことがあったのだろう。
杏はその話題を深堀りするのをやめた。
「えっと……ルートヴィヒ様と話したことはそのくらいですかね」
「わかった。話してくれてありがとう」
カミルはそれを聞いて組んでいた腕をほどいてにっこりと笑ったが、その顔はすぐに申し訳なさそうな表情に変わった。
「それと、質問——というか、ほぼお願いになってしまうんだが……」
カミルが頭をかきながら続ける。
「ルートヴィヒ殿から、君の作った万能回復薬が欲しいと言われたんだ。鉱山で使うらしい」
「鉱山?」
杏の疑問にジークベルトが答えた。
「ベアグヴェルク家は代々鉱業を生業としているのです」
鉱山ならば怪我人も多いだろう。
材料の確保や、自分の万能回復薬を砦以外に流してもいいのかどうかという問題はある。
けれどそれらの問題さえ解決してしまえば、反対する理由はない。
「いいと思いますよ。義勇軍として了承するのなら、それに従います。ただ……」
杏は先程のジークベルトの言葉を思い出す。
「さっきルートヴィヒ様の言葉は全て餌って……。このお話は、受けてもいいんですか?」
「本当は嫌だよなぁ……」
カミルが再び腕を組み、顔をしかめて大きく息を吐いた。
「団長、その話はもう終わりましたよね?」
「それはそうなんだが……」
「何かひっかかることでも?」
そう尋ねる杏をカミルが見る。
「全部」
「ぜ、『全部』……」
「あの男、いつの間にか王宮への報告と実態に齟齬があると突き止めていたんだ。それをバラされたくなかったら鉱山に回復薬を寄こせってさ」
杏は青ざめた。
「それって、脅迫じゃないですか」
「そうなんだよ。腹立つだろ?」
握った拳で自分の膝を叩くカミルをジークベルトが諫める。
「ですが、その為の材料は全てベアグヴェルク家が用意するとのことです。しかもそのうち二割は軍で使用しても良いと。更に人材が不足するのなら手配する、とまで言っていました」
「それは、とてもいい条件ですね……」
「えぇ。軍としては断る理由がありません」
不快感を隠しもせずジークベルトが断言した。
杏は、口ごもりながらも尋ねる。
「えぇと、結局、どうするんですか……?」
「この話を受けて一番負担が大きいのは君だ。君に一度確認してから最終決定をしようと思って、話をしに来た」
杏は視線を下げた。
「そうですか」
自分がここに来た事で面倒な事が起きてしまったと、少しの罪悪感を覚える。
「さきほども言った通り、私は団長の決定に従います。負担に関しては、できるだけ軽くなるように動いてくれるんですよね?」
「もちろんさ!」
カミルはにっこりと笑って答えた。
その時だった。
「お前誰だ!」
部屋の外で見張りをしていたロルフの声が聞こえた。
ジークベルトが口元に人差し指をあてて扉へとゆっくり近づく。
扉に耳を近づけ、外の様子を探っているようだ。
カミルもいつの間にか立ち上がり、警戒態勢にはいっている。
杏も、何が起きてもいいように立ち上がった。
ロルフの声は、最初の一声以降何も聞こえない。
争うような物音も、何も。
おそらく、ただ話しているだけなのだろうか。
それとも——。
しばらく耳を澄ませていると、急に扉が開いた。
「びっくりした~。アイツ足音忍ばせて来るんだもん。声かけられなかったら斬りかかってた」
「ちゃんとした報告をしろ」
「これ、ルートヴィヒの従者の人が置いてった。杏にだって。お見舞いの品って言ってた」
そう言ってロルフがジークベルトに手渡したのは、掌サイズの綺麗に包装された物だった。
「受け取ったのか?」
「違うって。ジークに言われた通り受け取ってない。でも廊下に置いてったんだよ」
ジークベルトはその包装を躊躇いもなく破る。
「え、あの……」
「検分です。それと、兄上に借りを作るのを避ける為、あの人から何も受け取らないでください」
「は、はぁ……」
自分宛ての贈り物が勝手に開封されていく様子を見ながら、杏はただ戸惑いながら声を漏らした。
助けを求めるようにカミルを見ると、彼はただ「すまない」と言うだけだった。
杏は諦めた。
贈り物は、瓶詰めの砂糖菓子だった。
瓶には細かな意匠がほどこされており、砂糖菓子はそれぞれ花の形に成形されている。
ただでさえ砂糖は貴重なのに、更に目で見て楽しむ為の加工がされている。
これは、だいぶ高価な品なのではないだろうか。
ジークベルトは蓋を開けて中身を観察し、鼻を近づけた。
考え込むジークベルトをロルフが覗き込む。
「毒見する?」
「貴様はただ食べたいだけだろうが」
ジークベルトは瓶の蓋を閉めてそれを懐にしまった。
「あの、それはどうするんですか?」
私宛のおいしそうなお菓子を何故貴方が懐にしまったんですか、とは聞けなかった。
先程のジークベルトの言葉を忘れたわけではないが、それでも、諦めるにはあまりにも惜しい品だ。
「医療班に混ぜ物が入っていないか調べさせます」
「その後は……」
「ただの砂糖菓子でしたら、調理場で砂糖の足しにします」
「贈り物は受け取らないのでは……」
「これは拾得物です。贈答品ではありません」
「……」
杏がよほど落ち込んだ顔をしていたのだろうか、カミルが彼女の肩を軽く叩いた。
「まぁまぁ。俺が同じの買ってやるから」
「いえ、大丈夫です。お気持ちだけいただきます」
そう言いながら、杏の視線はジークベルトの懐に向いていた。




