25話 王宮からの使者
「技官殿、昨日は大変申し訳ございませんでした」
ジークベルトはそう言うと、深々と頭を下げた。
「貴方の気持ちを考慮しない私の発言により不快な思いをさせてしまった事、心よりお詫び申し上げます」
その後ろでカミルが「元はと言えば俺のせいだな、すまない」と苦笑いを浮かべている。
ジークベルトに「貴方が私を『狙っている』という噂は事実でしょうか?」と聞かれた翌日のことだった。
杏が早めの昼食を終え、作業にとりかかろうとしたところに二人がやってきた。
空いている病室に通されたかと思えば、この件だった。
「私も、いきなり怒鳴ってしまいすみませんでした」
「いえ、貴方を怒らせるような発言をしてしまったのは私です」
「ですが……」
そのままお互いに謝り続けそうになる空気をカミルが変えた。
「ジーク、彼女もそう言ってくれてるんだ。な?」
カミルにそう言われて、ジークベルトはおずおずと頭を上げた。
「……謝罪を受け入れてくださりありがとうございます」
そう言って、彼は咳払いをした。
「では、次の話題に移らせていただきます。実は昨日、王宮からの書簡が届きました。五日後に、使者が来るようです」
「えっ、そうなんですか? それは……」
王宮への報告を疑われたのだろうか、と杏は思った。
雪解け後に王宮へ提出した報告内容はこうだ。
特殊技官が作成した万能回復薬の効果が通常の物に比べ高い事。特殊技官の魔術の特殊性が他の物にも応用可能か調査中だという事。また、万能回復薬の安全性の実地試験を開始した事。
嘘ではないが、真実でもない。
他の物に応用可能かどうかは、可能な限り全ての素材に魔力を通して、植物限定だろうと結論が出た。
安全性についても、冬の間の実験の結果、問題ないだろうという結論に達した。
「王宮の目的は現時点では不明ですが、報告内容の精査の可能性は高いでしょう。今、ユゼフ殿が想定問答を作成しております。当日までに頭に入れてください。また、エドガーを前線から呼び戻している最中です。当日は彼を護衛につけ――」
「お話中失礼します!」
ジークベルトの言葉を遮ったのは、酷く焦った兵士の声だった。
「なんだ!」
ジークベルトは大声をあげながら病室の扉を開けた。
「王宮の使者を名乗る者が到着しました!」
「何だと!? まだ日が——いや、何故到着する前に報告しない!」
「それが、商会の輸送隊と一緒に来たみたいで……。馬車も普通の……」
「チッ!」
ジークベルトは大きく舌打ちをして、カミルはこめかみに手をあてる。
そんな二人の様子を見て、杏の中にも不安が広がっていく。
使者が来る理由がジークベルトの言った通りなら、本当にまずいことになった。
王宮への報告内容は杏にも情報共有はされているが、はたして自分は、疑いを持つ使者相手にうまく受け答えできるだろうか。
「私、あまり使者の方と話さない方がいいですよね……」
「そうだな……」
「え、えっと、高熱で寝込んでいることにする、とか……。なんて……」
「よし、それでいこう!」
ぱっと思いついた子供のような考えをカミルに賛成され、杏は目を丸くする。
「え? 本当に?」
「いいだろ、ジーク」
カミルがジークベルトを見ると、彼は頷いた。
「ハンナを呼べ!」
ジークベルトが廊下に向かって大声を出すと、ハンナが「います」とひょっこり顔を出した。
「…………盗み聞きか?」
「あんなに大声出してたら丸聞こえですって」
「ここは作業場から一番遠いはずだが」
ジークベルトは呆れたような目つきでハンナを見つめ、小さく息を吐いた。
「なら事の次第は把握してるな?」
「王宮の使者が来ちゃったので、アン様を病人に見せます」
「そうだ。先生に薬を調合してもらうよう伝えに行け」
「はーい」
「技官殿、使者にはすぐには砦の中を出歩かせないようにします。その間に自室にお戻りください」
そうしてジークベルトとカミルは医療区画から慌ただしく出ていった。
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薬は後で杏の自室に届けてもらうことになり、杏は足早に医療区画を後にした。
その途中、曲がり角から不意に男が現れた。
「おや? こんにちは」
柔和な笑みを浮かべながらそう言った男性は高価そうな衣服を身に着けており、従者を二人引き連れている。
三人とも、知らない顔だ。
護衛とハンナが杏の前に出る。
「怪しい者ではないよ。僕は、ルートヴィヒ・フォン・ベアグヴェルク。ここの団長付副官の兄だ」
ルートヴィヒはにっこりと笑う。
「君がアン・ハスミ殿だ——」
「違います」
ハンナが食い気味に否定した。
「というかお兄さん達、砦の人も連れないで何やってるんですか?」
ルートヴィヒが何か言おうと口を開けた瞬間、ハンナは攻撃的な口調で続ける。
「ジーク副官のお兄さんって本当ですか? あんまり似てないですよね。だってジーク副官いっつもしかめっつらで怖いですもん」
ルートヴィヒはそんなハンナを見て喉の奥で笑った後、杏に視線を向けた。
「なるほど。良い従者を連れているね、アン殿」
完全に隠しきれたと思っていたわけではないが、それでも言い当てられて動揺してしまう。
「この辺りでは黒髪黒目は珍しいんだよ。付き人や護衛までつくような立場の人間となればなおさら。それに、君の顔は……とても雄弁だ」
「……っ」
杏はハンナに肘で小突かれた。
「ベアグヴェルク殿に虚偽を申し上げた事、お詫びいたします」
護衛は言葉こそ丁寧だが、その手は剣の柄に掛かっている。
「ですが、ここは後方とはいえ戦地でございます。砦の者を連れずに歩かれるのは、たとえベアグヴェルク殿であってもお控えいただきたい」
「それはすまなかった」
ルートヴィヒは肩を竦める。
「上からの命令で王宮から視察に来たはいいけど、それより弟がここで上手くやれてるかどうか早く会って確かめたくてね。そうしたら、ほら」
とルートヴィヒは自身の右手を杏達に見せた。
その掌は何かで擦れたような傷があり、まだ血も乾ききっていない。
「恥ずかしいことに転んでしまってね。手当をしてもらおうと、治療室を探していたんだ」
これがただの怪我人なら、すぐに医療区画へ案内をする。
けれど、王宮の使者が到着したという報告の直後に現れた謎の人物だ。
対応に迷った杏達は目を合わせるが、それで良い案が浮かぶわけでもない。
「まぁそうだね。確かに今の僕は怪しいから、警戒するのも当然だ。仕方がない」
ルートヴィヒは頷く。
「ところでアン殿、ここでの暮らしはどうだい?」
その問いに答えた杏の声は、自分でも驚くほど低かった。
「……とても、良くしていただいています」
「本当に? 何か不便なことはないかい? 特殊な力があるからと、何か強要されていないかい?」
「いえ、問題ありません」
杏が首を横に振った。
ルートヴィヒは「そうか、ならいいんだ」と言った後に、悲しげに眉を下げた。
「王宮での君の扱いは、その、あまり良いものではなかったからね。あの時に手助けできなかったことを、今でも悔やんでいるよ」
ルートヴィヒは左手を杏に差し出す。
「せめてもの償いというやけではないけれど、もし君が望むなら、ここよりももっと安全で快適な場所に――」
「兄上!!」
ルートヴィヒの背後から、聞き慣れた怒号が響く。
数人の兵士を連れたジークベルトはこちらに走ってくると、杏達とルートヴィヒの間に割り込んだ。
「兄上、何を考えているのですか! 最悪侵入者として対処されてもおかしくない状況であると、貴方ならわかっておられるでしょう!」
「そんな怖い顔をしないでおくれよ、ジーク。怪我をしてしまったから、手当をしてもらおうと思っただけだよ」
ルートヴィヒは右手をジークベルトの前でひらひらと振る。
ジークベルトは大きくため息をついた。
「とにかく、来賓室へご案内します。手当はそこで」
ジークベルトは振り返り、杏達を見た。
「技官殿、貴方も少し体調が戻ったからと出歩かないでください。大切なお体なのですから、早く自室にお戻りください」
ルートヴィヒは最後に杏に「じゃあ、また」と言って、ジークベルトと共に歩いて行った。




