23話 買収された護衛
「アン様って侯爵夫人の座狙ってるんですか?」
医療区画で下女として働いている少女——ハンナの問いに杏は固まる。
「あれ? すみません、お慕いしている感じですか?」
「はい?」
思いもよらない言葉の連続に呆然とする杏を気にせず、ハンナは草羊の綿毛をむしっていく。
「え? えぇ? な、なんで? ハンナ? なんでそんな結論に?」
「だって、最近ずっとジーク副官のこと見てるじゃないですか。ジーク副官はジーク副官でアン様避けてるし。アン様って大人しそうに見えて案外積極的なのねってみんなが……」
杏は地面に崩れ落ちた。
自分はただ、カミルからのお願いで彼の様子を観察しているだけである。
浮ついた想いは一切ない。
それなのに、何故。
杏は綿毛の収穫を再開しながら、ジークベルトを観察するに至った経緯を説明した。
「ふーん。……わかりました。じゃあ、そういうことで」
(絶対わかってない……!!)
杏は、話題を逸らすことにした。
「ねぇ、ハンナ。あなた今日休みだよね? なんで……?」
杏はハンナの作業している手元を見た。
本来これは杏一人でやるはずだった仕事だ。
通常、万能回復薬のロット検査をする時は、綿毛を一部分だけ取り除いて行う。
しかし今日は綿毛が必要になったらしく、ロット検査のついでに一株分の収穫を命じられた。
そうして黙々と作業する杏のもとに何故かハンナがやってきて、無理矢理仕事を手伝い始めたのだ。
もちろん断った。
が、結局押し切られて今に至る。
「アン様、私この通り働き者です。要領もいいし、気もきくし、孤児なので荒事にも慣れてます!」
「それは前にも聞いてるし、そこに異論はないけど……」
「じゃあ——」
「でも、それとこれとは話が別です」
ハンナは口を尖らせた。
彼女は、杏の付き人になりたいのだ。
現在、杏の護衛班の再編成が進んでいる。
徐々にメンバーが変わっていき、先日エドガーやディールも元の部隊に戻っていった。
それと同時進行で話が上がったのが、杏に付き人を付ける案である。
この案が出たのには二つ理由がある。
一つは、杏がこの砦での仕事に慣れ作業量も多くなってきた今、仕事に集中できるように身の回りの世話をする人間がほしいと判断された為。
もう一つは、万が一の時に杏をフォローできる人材を一人でも多くそばに置きたいと考えた為だ。
「なんでダメなんですか?」
「ダメというか、何度も言うけど、私に権限はないの」
半分嘘である。
この話が出た時に、付き人となる人間の希望条件を聞かれた。
権限こそないが、ある程度杏の意見を聞いてもらえるだろう。
けれど、それを正直に話しても、話が面倒になるだけだ。
医療区画は、砦に侵入された敵に真っ先に狙われるだろう。
自分が口出しすることではないので何も言ってないが、そんな場所で子供が働くことに対して思うところがあった。
ましてや、更に危険度の高そうな自分の付き人にするなんて、もってのほかだ。
ハンナは小さく唸って、杏を護衛しているロルフに視線を向けた。
「アン、オレはハンナを付き人にすればいいと思うよ」
杏は口をぽかんと開けてロルフを見る。
「……え? いきなり何? ロルフ、大丈夫?」
「ほら! アン様、護衛をしている人も私がいいって!」
「うん。ハンナがいいと思う」
「ロルフさんも私と一緒に働きたいですよね?」
「うん。オレ、ハンナと一緒がいい」
ロルフは不自然なまでにハンナをちらちらと見ている。
「ハンナ、ロルフを買収したでしょ」
杏が二人を睨むと、ハンナはロルフの脛を蹴った。
「なんで私じゃダメなんですか?」
このやりとりはもう何度目になるだろう。
いっそのこと、馬鹿正直に「子供を危ない目に遭わせたくない」と言ってしまえばいいのだろうか。
しかしその言葉は、きっとハンナを傷つけてしまう。
杏が考えていると、視界の隅でロルフがロット検査用に持ってきたナイフを手に取るのが見えた。
彼の意図が分からずただそれを見ていると、ロルフは杏に近づき、ナイフを振り上げた。
その切先は、杏に向いている。
「え?」
ロルフは反動をつけるようにナイフを更に高く上げ——。
「てっ、敵襲!?」
ハンナが叫び声を上げながら、杏の腕を力一杯引っ張った。
杏は引っ張られるまま、足をよろめかせて後ろに下がる。
その間も、ハンナは叫ぶのを止めない。
「敵襲! 敵襲!! アン様が危ない!!」
ハンナの声に、いたる所から兵士達が集まり、敵襲を知らせる鐘が鳴った。
——————
杏とハンナは、砦の人間から説教部屋と呼ばれる部屋から退室した。
迎えに来てくれた杏の護衛と合流し、そこを後にする。
「びっっくりしました……」
「本当にね……」
彼女達が数歩歩いた頃、その部屋からジークベルトの怒号が響いた。
「何を考えているんだ貴様は!! 矢でも放たれたらどうするつもりだったんだ!!」
「貴様の心配はしていない! 誤ってあの二人に当たったらどうするのかと言っている!!」
「何かあってからでは遅いだろうが! 素質を試す為だけに彼女達を危険に晒すな! まず根回しをしろ!」
「それになんだ! 貴様パン二切れで買収されたそうだな!! 恥を知れ!!」
杏達は、そっと部屋から遠ざかった。
ジークベルトの声が聞こえなくなったところで、杏はハンナの顔を覗き込んだ。
ハンナが話しやすいようにと、つとめて柔らかい口調で語りかける。
「ねぇ、なんでそんなに私の付き人にこだわるの? 多分、凄く危ないよ?」
ハンナは少しの沈黙の後、口を開く。
「お金が、ほしいんです」
「うん」
「弟が病気で、薬がいるんです」
「うん」
「アン様の付き人になれば、給金がすごく上がります」
「そうだね」
杏は視線を伏せた。
その後少ししてから息を吐き出す。
「私に決定権はないけど、推薦しとくね」
「えっ!?」
ハンナは目を大きく見開き、その表情をみるみる輝かせた。
「本当ですか!?」
「うん。私、多分、何かあった時に全然動けないと思う。今日、よくわかった。そういう時に、あなたがいてくれたら助かる」
ハンナは嬉しさが抑えられないのか、両手を強く握りしめて小さく震わせている。
「ありがとうございます! 私、一生懸命働きます!」
【おまけ】
杏「あれ? ロルフ、食堂で何やってるの?」
ロルフ「片付け! ジークが罰として食堂の片付け手伝えって。しかも片付け終わるまで飯抜き!! 助けて、アン!」
杏「そっか。……うん、頑張って!」
ロルフ「酷い!」




