16話 いつも通りに
「おい! アン、起きろ! 敵襲だ!!」
鳴り響く鐘、扉を強く叩く音、エドガーの叫ぶ声。
急な出来事の数々に、理解が追い付かずに体が固まる。
(……敵襲? そんな、だって副団長も来ないだろうって、ロルフ君だって――)
「おい、アン!!」
杏は再び名前を呼ばれてハッとした。
そうだ、呼ばれている。返事をしなければ。
そう思い、声を上げようとした直後、扉が乱暴に開けられた。
「アン!! ――よし、無事だな! 起きてるなら返事しろ!」
「す、すみません!……ロルフ君は?」
杏は上着を羽織り、手櫛で髪を整えながらエドガーに近づく。
「さっき交代した。今頃、寝て……られねぇだろうな、これじゃ」
「……敵襲って、本当なんですか?」
「あぁ、残念ながらな。行くぞ、着替えろ」
――――――
震える手で身支度を整え、杏とエドガーは医療区画へと向かっていた。
杏に万能回復薬作りを任せたいという話が出て少しした頃、敵襲があった場合には医療区画で万能回復薬作りに参加してほしいと言われていた。
けれどそれはまだ仮定の話であり、万が一の話であり、まさか今、現実になるとは思っていなかったのだ。
「なんで……」
こぼれ落ちた杏の呟きをエドガーが拾う。
「ほんとにな! ったく、冬なんだから家で大人しくしてろや!」
様々な人達とすれ違う。
怒りを滲ませた兵士、不安そうに顔をこわばらせた下女。
皆、せわしなく動いていた。
ようやく医療区画に辿り着いた時には、杏の息は上がっていた。
「来たね」
「先生! 状況は!?」
「山からの奇襲だってさ。ここに到着するまでにまだ時間はある」
エドガーとマルコの会話を聞きながら、杏は呼吸を整える。
「山……確か斥候隊が巡回に行ってたな」
「あぁ、そうそう。鏑矢で敵襲の知らせが入ったとか誰かが言ってたね」
「『誰か』? 伝令じゃなく?」
「ここにはそんな情報は来ないよ。来るのは薬の催促と負傷者だけさ」
マルコはそう言い終えると、杏へ視線を向けた。
「さて。アン、仕事だよ」
その言葉に、マルコの背後で粉末状の万能回復薬を溶いていた医療班員達が一斉に杏を見る。
杏は思わず目を逸らした。
一瞬の後、彼らは杏から視線を外して作業を再開した。
ただ一人を除いては。
「待ってください。彼女の薬は、今安全性を確認している途中ですよね?」
そう言って1人の男が、マルコに詰め寄る。
「そうだね。でも、敵さんが来ちゃったんだからしょうがない。一応、外用での使用に留めようか。でも、死にそうなら無理矢理にでも飲ませるように。蜂蜜でも砂糖でも、ここのストックなら何をどれだけ使ってもいいから飲ませてね」
マルコのその言葉に、班員達が返事をし、最後には男も頷いて「わかりました」と言った。
杏もマルコに作業を始めるように言われ、調薬室へ向かった。
先ほど水で溶かしていた粉末状の薬は保存性こそ良いが、効果は液体に劣る。
今回のような戦闘時には液状の万能回復薬を作る必要があるのだ。
杏が調薬室に入ると、医療班所属の魔導士であるテオが大釜に入れた水を沸騰させていた。
まさか、と杏は思った。
自分がこの大釜を担当するのだろうか。
今まではずっと小鍋でやってきたのだ。
カップから小鍋に変わった時、魔力を全体に行き渡らせるのに苦労をしたのを鮮明に覚えている。
やっとそれがスムーズにできるようになってきたのに、今、このタイミングで大きさが変わるのか。
「何、その顔。君のはそっち」
テオが大釜がある炉とは反対側を顎で指す。
「ぶっつけ本番で大釜任せるわけないでしょ。そっちでいつも通り小鍋でやって」
反対側の作業台にはいつもの小鍋と薬草が置かれている。既に誰かが準備をしてくれていたらしい。
「わかりました。いつも通り、ですね。大丈夫です」
杏は自分に言い聞かせるように、そう言った。
いつも通り鍋に火をかけ、いつも通り不死草を鍋に入れ、いつも通り長柄のヘラでかき混ぜながら魔力を流し、中身がいつもと同じ濃い緑色になったら、不死草を取り出して捨てる。
最初こそ、いつもと違う状況に心がざわついていたが、いつもと何一つ変わらない工程に心が落ち着いているのを感じた。
まず、一回目ができあがった。
テオから完成したら報告をするよう言われていたので、彼に声をかける。
「できました!」
彼はこちらを振り向かずに次の指示を出す。
「そこに中釜あるでしょ? 簡単に試験してからそこに入れて。それを中釜が一杯になるまで繰り返して」
「か、簡単に? それ――」
「わかった。大丈夫だ」
杏の質問を遮って、エドガーが答えた。
杏がエドガーを見ると、彼は「大丈夫だから」と言って作業用のナイフを手に取り、自分の指先を浅く切った。
「えっ!?」
「うるさいよ!」
杏はテオに謝り、エドガーに向き直る。
エドガーはいつもと変わらない様子で、出血している傷口に杏が作ったばかりの万能回復薬をかけた。
そして数秒待ち、その指を服で拭って観察する。
「治ってるな。よし、大丈夫だ」
「そういう問題ですか!?」
「だからうるさいんだけど!」
「すみません!」




