15話 餌付けダメ、絶対
杏は、食堂へ向かう廊下を歩いていた。
雪が積もり始めた季節の夜、杏は防寒具を重ねに重ね、熱した石を布にくるんだ物を握りしめていた。
「なぁ、今そんなんで、真冬はどうすんの?」
と、奇妙なものを見るような目でロルフは言った。
杏の護衛となったロルフは、彼女とは正反対に、防寒具はマフラーのみだった。
「寒いものは寒いの……」
杏が震えながら答えた。
杏が異常なわけではない。いや、ここの人達に比べれば寒がりかもしれないが。
それでも多くの人間が防寒具を身に着け始めた今、薄着で過ごしているロルフの方が異常なのだ。
そんな会話をしているうちに、杏達は食堂に到着した。
夜に食堂を訪れると、必ず思い出すことがある。
それは、杏が食堂に初めて来た時のことだった。
リシャルドに初めて会い、様々な実験をした後、カミルに誘われ初めてここを訪れたのだ。
それまでは、ゾフィーが長旅で疲れていた杏を気遣って、食事を杏の自室まで持ってきてくれていた。
カミルと共に食堂に入ると、そこにはゆうに百人を超える人々がいた。
室内には規則的に長机と長椅子が並べられており、皆思い思いに座り食事と会話を楽しんでいる。
カミルが数歩進むと、近くに座っていた兵士が気づき、声をかけてきた。
「団長じゃないですか。お疲れ様――ん? 誰です? その横の姉ちゃんは」
その兵士の言葉に、近くにいた人々が杏に注目する。
「あ? あ、本当だ。誰だ?」
「ほら、あれよあれ。昨日、輸送隊と一緒に一人来たって噂になってた子じゃない?」
「あぁ、確かゲロ吐きながら来たってやつだろ?」
「ユゼフさんの隠し子なんですよね!?」
何故一日でこうも噂に尾ひれがついたのか。
杏は気が遠くなるような気持ちだった。
カミルは噂を否定してから、「確かに紹介がまだだったな」と呟いてから、声を張り上げた。
「注目!!」
その声に、食堂内の全員がカミルの方を見た。
杏は、嫌な予感がした。
「昨日からここに来た、アンだ! 遠くから来た子だから、ここの事には疎いと思う! みんな、良くしてやってくれ!」
突然始まった公開処刑ならぬ紹介に、杏は眩暈を覚えた。
カミルはそんなこととはつゆ知らず、杏の背中を軽く叩いた。
「さぁ、君からも挨拶を!」
――その後のことは、よく覚えていない。
――――――
嫌な記憶を振り払いながら、カウンターで料理をもらい席につく。
黒パンと、洋風鍋と形容したくなる具沢山のスープ、それにチーズと木苺の蜜漬け。
ここのメニューにも、だいぶ慣れてきた。
しかし、この上官用と説明された銀食器には未だに慣れない。
座る場所も、出入口から一番遠い区画を指定されているのが、落ち着かない。
けれど仕方がない。
杏は、ここでは王立魔導塔特殊技官であり、特殊な力を持つ人間になってしまった。
服毒や襲撃への対策が必要だと言われてしまえば、従うほかない。
見方を変えれば、上官クラスの好待遇を与えられているのだ。
はたして自分は、それに見合った働きを返せるだろうか。
黙々と食事をしていると、前方から視線が突き刺さる。
ロルフだ。
彼は杏の真正面に座り、じっと彼女――ではなく、彼女のトレーにある木苺の蜜漬けを見つめている。
「それ、オレの食事になかった」
「これは、上官用の食事だからね……」
「……」
「……」
王都から砦への旅の道中、こんなことがあった。
とある宿屋にて皆で食事をしている時に、杏がまだ手をつけていない白パンをロルフがじっと見つめてきた。
杏はその視線に気づき、こう言った。
「私にはちょっと多かったかも。良かったら食べる?」
そう言うと、ロルフは大喜びで白パンを掴んで食べ始めた。
ベンにやんわりと諫められたが、その時は「本当に多かったんです」と流してしまった。
それを何度か繰り返すと、ロルフはたびたび杏の食事に視線を向けるようになった。
しまいには「それ食う? 食わない?」とまで言い出し、ベンに拳骨をもらっていた。
それから杏はロルフへの餌付けをやめた。
しかしどうやら、彼に食事を分けてくれる人認定されてしまったようで、こうしてたびたび無言の圧をかけられるのだ。
「……そんなに見ててもあげないよ」
「え~……でも前はくれたじゃん」
「あの時は本当に量が多かっただけ」
そんなやりとりを繰り返していると、大食堂に兵士数名が入ってくるのが見えた。
杏の正面に座るロルフには、誰かが入ってきた事はわかっても、誰が入ってきたのかまではわかるまい。
杏は良い事を思いついた。
「あ、ベンさんだ」
その言葉を聞くやいなや、ロルフは素早く立ち上がり、杏の背後に回った。
背筋をピンと伸ばし、食堂の出入り口付近に目をやり――。
「って、ベンいねぇじゃん」
と、杏の横にどさりと腰を下ろし、恨めしそうに杏を睨む。
杏はトレーをロルフの反対側の方向へそっと移動させた。
「ごめんね。見間違えちゃった」
「……意地悪。ってかそうだ! ベン、巡回行ってんだった」
「『巡回』?」
「山の巡回。オレも今度行かせられるんだけどさ。雪が積もってきたからもう敵も攻めてこないだろ、ってみんな言ってんのに。上の連中は心配性だよな~」
「そういえば、副団長に『敵襲がないであろう今のうちに色々覚えろ』って言われたっけ」
「ほら! 副団長も敵襲ないって言ってるじゃん。無駄だよ、無駄」
「まぁまぁ、万が一を考えての事じゃない?」
「え~~~~」
――――――
翌朝、早朝。
激しく鳴る鐘の音で杏は目を覚ました。
その理由を考える間もなく、自室の扉が壊れそうなくらい強く叩かれる。
そして、エドガーの叫ぶ声が聞こえた。
「おい! アン、起きろ! 敵襲だ!!」




