14話 この世界はおかしい
「早く飲んだら?」
おどろおどろしい緑色をした液体と対峙している杏に、医療班長のマルコはそう言い放った。
「自分から飲むって言ったんでしょ?」
「そ、それはそうですけど……」
それは数日前、杏がオボクグール砦に来て一週間程経った時の事だった。
リシャルドの下で様々な実験をした。
入手できる素材には全て魔力を流し、万能回復薬等の普段から在庫を置いておく物に関してはその再現性も確認した。
そして、杏の魔力を通せば、植物に限るとはいえ、栄養価の高い乾物や野菜料理ができる事がわかった。
けれど、やはり話に上がるのは万能回復薬であった。
杏には主に万能回復薬を作ってもらおう。
そう話がまとまりかけたところで、ジークベルトが待ったをかけた。
「……これは、本当に安全なのでしょうか? 回復薬は飲み過ぎれば逆に体を壊しますし……」
「見たところ、既存の魔術の延長な感じだから量さえ気をつければ大丈夫だと思うけどねぇ。ほら、僕らだって飲んだり傷にかけたりしたけど何もないし」
そう答えたのは、途中から実験に呼ばれるようになったマルコだった。
「ですが、数週間、数か月と継続的に服用した場合どうなるかは確認できていません」
「じゃあ、まずは捕虜で試してからだね」
「えっ…………」
マルコのその『捕虜で試す』という発言に、杏は思わず声を漏らす。
今まで相槌をうちはするものの、ただ話を聞いているだけだった杏の声に、その場にいた全員――リシャルド、ジークベルト、マルコが杏を見た。
「……なんでもないです」
三人のキョトンとした表情に、杏は自分が間違っているような錯覚を覚え、口を閉じた。
「ジーク副官、捕虜って何人いるの?」
「五名です」
「待て。一人からは聞きだしたい情報がある。万が一にも死なれては困る」
「じゃあ、四人だね」
今までと何ら変わらないトーンで交わされる会話に、杏は本当に違う世界にきてしまったのだと痛感した。
ここの価値観は、自分のものとは違う。
現代でも治験はあるが、それはお互いに合意の上で行うものだ。
自分の作った物が、人体実験に使われる。そんな恐ろしい事はしたくない。
けれど、ジークベルトの不安も理解できる。
ならば――。
――――――
「副団長もジーク副官も止めたのに、自分も飲むって言い張ったのは君でしょ?」
「おっしゃる通りで……」
自分で作った物が人体実験に使われるのは嫌だ。けれどその必要性も理解できる。
ならば製造者として自分も飲む。
そう啖呵を切った。駄々をこねたと言った方が正しかったかもしれないが。
あの時の杏の覚悟は本物だった。
けれど、強い草の匂いがする濃い緑色の液体が、その覚悟を打ち砕こうとしていた。
「ほら、三、二、一――」
――――――
「エドガーさん、万能回復薬って不味いですね…………」
医療区画から自室に戻る道中、杏の足取りは軽く、心は重かった。
万能回復薬の効き目は本当に素晴らしいものだった。
エナジードリンクなど足元にも及ばないほど、疲れが吹っ飛んでいった。
こんなに体が軽いのはいつぶりだろうか。
しかし不味い。壊滅的に不味い。
今回が一回目だったが、もう二度と飲みたくない。
「蜂蜜結構入れたけどダメかぁ……。じゃあ、普通に飲めるように味の改良もよろしく」とさらりと言ったマルコに、杏は怒りを覚えた。
そして、その話を聞いてゲラゲラと笑いながら横を歩くエドガーにも、杏は怒りを向けていた。
「ちょっと笑い過ぎじゃないですかねぇ……」
「いやいやいや、だって――ブフッ!」
杏はため息をついてエドガーから視線を外す。
何の気なしに視線を泳がせ目についたのは、石壁に沿うように転々と並んでいる羊達だった。
そういえば、リシャルドの下で初めて万能回復薬を作った時は、草羊で傷の治りの速さを確認したと聞いていた。
「エドガーさん、そういえば、あれが草羊なんですか?」
「なんだ。お前の所、草羊いないのか」
「ちょっと聞かないですね」
「羊は?」
「羊はいます」
エドガーが突如方向を変え、一番近くの草羊の方へ向かい出し、杏もそれに続く。
羊に近づくにつれ、杏は違和感を覚えていった。
人間が近づいているのに、ピクリともしないのだ。
そういえば、自分は彼らが動いている姿を一度でも見た事があっただろうか。彼らの鳴き声を一度でも聞いた事があっただろうか。
杏の背筋に冷たいものが走った。
エドガーはそんな杏には気づかず、羊の近くにしゃがみ込み、杏に向かって手招きをする。
杏は恐る恐る近づき、同じようにしゃがみ込む。
「こいつ、植物なんだよ」
「えっ!?」
「羊みたいな植物だから、『草羊』」
エドガーは、羊の腹部から伸びている緑色の紐状の物を掴む。
遠くから眺めていた時には気づかなかった物だ。
そして、それはそのまま地面に繋がっていた。
杏は思わず、草羊の黒い頭を両手で包んだ。
陽が当たっていたせいかほのかに温かく、これが生物なのか植物なのかわからなくなって混乱する。
「こっちは狼をおびき寄せる為の毒餌。よくわからんが、この部分だけは普通に肉なんだよなぁ。味は羊とはちょっと違うが」
エドガーが羊部分をわしゃわしゃと撫でながら説明する。
「あ、味? 今毒って……」
「人間には効かないから大丈夫だ」
「食用に飼ってるんですか?」
「正確には、『植えてる』だな。色々便利なんだよ。周囲に他の植物生えないから雑草避けになるし、回復薬のロット検査に使えるし、非常食にもなるし」
「な、なんでもありですね……」
杏は自分の常識を遥かに超えた不思議生物の登場に、それ以外何も言えなかった。
「ま、古代生物の子孫だか、近縁種だかだしな。そりゃあ、割となんでもありだろ。ご先祖様は……確かバロメッツって名前だったか?」
バロメッツ。
杏は、その言葉に聞き覚えがあった。
確か、何かのファンタジー作品で知った生き物だ。
「バロメッツがいるなら……」
なぜこんなに大切な事を忘れていたのかと、杏は思った。
魔法が存在するのだ。
ファンタジー生物がいないはずがない。
「じゃ、じゃあドラゴンもいるんですね……!」
「は? いねぇよ。バロメッツもドラゴンも」
「えっ!? い、いない? いない、とは……?」
「絶滅した」
「ぜ、絶滅……?」
「そう」
「『絶滅』って、その種が一匹もこの世にいない事、で合ってますか?」
「合ってるな」
「…………」
「…………」
「魔法あるのにドラゴンいないって、この世界おかしくないですか!!??」
「あんな人の手に負えないもん、いてたまるか!」




