13話 バケツは友達
「えっと、これは……」
オボクグール砦の居住棟二階にある書庫で、杏はエドガーにバケツを持たされた。
「お前のとこバケツなかったのか? アレだ、アレ。水入れたりするやつ」
「いや、そうじゃなくて……」
杏がリシャルドから覚えるよう言われた仕事とは、除湿だった。
何故除湿をするのにバケツを持たされているのか、と杏は説明役のエドガーに尋ねる。
エドガーは「どこから説明するか……」と頭を掻いた。
「水魔法――水塊を作る原理ってわかるか?」
「空気中の水分子――いえ、目に見えないほど小さな水を集めるんで…………あっ!」
「お、わかったか?」
「なるほど! 便利ですねぇ、魔法」
アハ体験とはこういう事を言うのだろう。
突然脳内に出てきた答えに杏は快感を覚えた。
「バケツ使わずに集められればそれが一番なんだけどな」
「あ……、すみません」
「気にすんな。バケツ使う奴は沢山いる。本を濡らさなきゃそれでいい」
エドガーは書庫の奥を指さした。
「よし、じゃあとりあえず一周してこい」
エドガーはそう言うと、扉の近くの椅子に腰かけて本を開いた。
「え……?」
「なんだ? とりあえず適当に一周してくりゃいいぞ。足りなかったらまた言うし」
今日、エドガーが杏の部屋に来た時、彼は「今日からお前の護衛になった。よろしくな」と言っていた。
軍内で一番気楽に話せる人間が護衛になってくれて、とても安心したのだ。
杏は、護衛が自分のそばを離れていいのか、と尋ねようとして止めた。
四六時中張り付かれているより、一人で歩く時間がある方がずっといい。
それに、書庫に入った直後、エドガーが書庫内を簡単に案内してくれたのだ。
その時に書庫内の安全は確認してあるのだろう。おそらく。
ただ自分が本を読みたかっただけ、ということはあるまい。多分。
「じゃあ、いってきます」
書庫の最奥まで進む。
最奥と言っても、棚の隙間からエドガーが見えるような広さの部屋だ。
奥から入り口付近へ、除湿しながら戻っていこうという考えだ。
通路の真ん中にバケツを置いて、その上に掌を上にして据える。
意識を集中させ、周辺に魔力を広げ、水分子を掌の上に集めていく。
途中でコントロールを失ってしまわないように、いつもより小さめに。
目の前に浮かぶ水球を見つめ、杏は悩んだ。
これをどうやってバケツの中に入れればいいのだろう。
杏は、水魔法に関しては、掌の上に水球を作る以外の事をやっていないのだ。
他の魔法も、火を起こしたり、風を一定方向に起こしたり、と自然現象を起こす事はしていても、起こした後の操作は何もしたことがない。
杏はリシャルドの魔法を思い浮かべる。
彼は、視線だけで水球を動かしていた。
杏は、掌をバケツの右端に寄せ、動くようにと念じながら視線を左端に寄せる。
水球は動かない。
いや、数ミリほどは動いただろうか。確信はないけれど。
ならばどうするか。
水球をコントロールが保てなくなるまで大きくすればいいだろうか。
そうすれば、こぼれた水がそのままバケツに入っていく。
ただ、その方法では、いちいち手を拭かなければいけない。
それは面倒なので避けたい。
杏はふと、水球を保ちながら掌の向きを変えてみた。
ゆっくりと回転させ、掌が下へ向くようにする。
すると、なんと水球も一緒に動き、今は掌の下に浮いている。
そのまま魔法を解くと、水はパシャリとバケツの中に落ちていった。
「おぉ……」
思わず声が上がる。
本日二度目のアハ体験だった。
杏は片腕でバケツを抱えるように持ち上げて、掌をかざした。
そしてそのまま歩きながら、水魔法で水を集める。
水球が崩れる事を気にせずに集めて、崩れたらまた集めて。
その繰り返し。
エドガーの元に戻る頃には、バケツの四分の一程の水が溜まっていた。
自分は魔法は全く駄目だと思い込んでいたが、それでもやりようによっては、こうして仕事につながるのか。
杏は、そう思い、心が温かくなった。
「これでいいんでしょうか……?」
と、本を読んでいたエドガーに話しかける。
「おっ、上出来、上出来」
「……ちなみに、それは何を基準に判断すればいいんですか?」
「勘」
「か、『勘』……」
明らかに眉をひそめた杏を見て、エドガーが笑う。
「まぁ、今日は砦の案内も含めた研修みたいなもんだからな。そこは気にせずやってくれ」
そして、エドガーは書庫の窓を開けながら続けた。
「水はここから捨てるんだ。ほら、よこせ」
杏はお礼を言い、エドガーにバケツを渡す。
「ここから捨てられるのは便利ですね。てっきりどこかに運ぶものかと」
「バケツ使わずにできるようになれば、身一つで済むから更に楽だぞ」
エドガーはそう言い、バケツの水を窓から捨てる。
直後、エドガーが「やべっ……」と声を漏らし、それと同時に下から悲鳴が上がった。
「ぎゃぁっ!! ――っ、おい! 誰だ!! ふざけんな!!」
「悪い! 後で酒やるから許してくれ!」
「はぁ!? ……チッ、しかたねぇな!」
エドガーは怒鳴り声の主に手を振り、そっと窓を閉めた。
「……ということで、水捨てる時は下確認しろよ」
「え……、あ、はい」
「あと、あんまり建物の近く歩かないようにしろよ。ああやって水が降ってくるから」
「あ、はい」




