表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無色と十二の旅(アルとジュウニのシルシ)  作者: Matyu
第4章:翠色の空(アルのフライト)
PR
99/103

第4章・19話 今、ここに立つ者たち

「答えろ、アル・リンベル。」


「お前は、その沈黙を抱えたまま。」


「何を信じて、ここに立っている。」


偽王の声が、王の間に響いた。


玉座の前に広がる黒い靄が、床を這うように揺れている。


王の身体を覆うそれは、風のようでいて風ではなかった。


流れているのではない。


閉じ込めている。


縛りつけている。


そう感じるほど、王の間の空気は重かった。


アルはすぐには答えられなかった。


胸の奥が痛む。


レオンのこと。


兄が姿を消したこと。


その影に、無色神が関わっていること。


そして、ハルトが兄を知っていたこと。


シルフィードも、兄と接点があったこと。


言えなかった。


伝えられなかった。


飲み込んだ。


その事実だけが、黒い靄に引きずり出されていく。


「どうした。」


偽王が笑う。


王の声に似ている。


けれど、それは王の声ではなかった。


もっと冷たく、もっと濁ったものが、王の喉を使っている。


「信頼を語る者が。」


「支えると語る者が。」


「その程度の沈黙一つ、答えられぬか。」


アルは拳を握った。


違う。


そう言いたい。


けれど、言葉が喉で止まる。


レオンがいなくなったのは、自分のせいではない。


それは分かっている。


でも、言えなかったことは事実だった。


ハルトに。


シルフィードに。


兄のことを、言えなかった。


「知らぬ者。」


「言えぬ者。」


「聞かされなかった者。」


偽王の声が、三人の間を裂くように落ちる。


「それでも、お前たちは信じ合うと言うのか。」


黒い靄が広がった。


その靄が、アルの足元へ伸びる。


まるで、答えられない沈黙ごと絡め取ろうとするように。


その時だった。


「違う。」


低い声が、王の間に響いた。


アルは顔を上げた。


ハルトだった。


ハルトは双剣の柄に手を添えたまま、偽王を見据えている。


その目は、アルを責めていなかった。


怒りはある。


けれど、その怒りはアルへ向いていない。


偽王へ。


レオンの名を、人を裂く刃として使うものへ向いていた。


「責める相手を間違えるな。」


偽王の靄が、ぴたりと揺れを止める。


「何?」


ハルトは一歩前へ出た。


「レオンを奪ったのはアルじゃない。」


「レオンの名を使って、今ここで俺たちを裂こうとしているのは、お前たちだ。」


アルの息が止まった。


ハルトは偽王から目を逸らさない。


「確かに、俺はレオンを知っている。」


「学園で何度も挑んだ。」


「何度も負けた。」


「いつか越えたい背中だと思っていた。」


その声には、痛みがあった。


けれど、その痛みは誰かを責めるためのものではなかった。


大切だった記憶を、無理やり汚されたことへの痛みだった。


「そのレオンが姿を消していたと、今知った。」


「何も感じないわけがない。」


「言ってほしかったと思う気持ちも、ないとは言わない。」


アルの肩がわずかに震える。


ハルトはそこで、初めてアルを見た。


その目は静かだった。


「だが。」


ハルトは言った。


「それを今、この場で裁くつもりはない。」


「王を救うために来た場で。」


「国の空が閉ざされかけている場で。」


「レオンの名を使って、俺たちを裂こうとしているお前の方が問題だ。」


偽王の表情が歪んだ。


ハルトは再び偽王を見る。


「お前が見ているのは、レオンの記憶の中の俺だ。」


「レオンに届かなかった、世話役側の未熟な少年だ。」


「確かに、それは俺だった。」


ハルトはシルフィードの隣へ進んだ。


その立ち位置は、偶然ではない。


選んで、そこに立った。


「だが、今の俺は違う。」


「今の俺は、シルフィードの隣に立つ側近だ。」


「王命に従うだけが役目じゃない。」


「巫女が迷った時、隣で同じものを見る。」


「必要なら、共に止める。」


「それが、今の俺の答えだ。」


黒い靄が、不快そうに揺れた。


ハルトはさらに踏み込む。


「レオンを目標にした過去は消えない。」


「だが、今ここで何を守るかは、俺自身が選ぶ。」


「俺は、隣に立つ者を間違えない。」


アルの胸の奥で、固まっていたものが少しだけほどけた。


ハルトは、レオンを知っている。


レオンが消えたと知って、傷ついている。


それでも、アルを責めるのではなく、偽王へ怒りを向けている。


「側近風情が、よく吠える。」


偽王が低く言った。


ハルトは即座に返す。


「側近だから言っている。」


「俺は、シルフィード様の隣に立つ者だ。」


「そして、今ここでアルを裂こうとする言葉を、黙って見ているつもりはない。」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「アルさん。」


今度は、シルフィードの声がした。


アルはそちらを見る。


シルフィードは、静かにアルを見ていた。


その瞳にも驚きはある。


痛みもある。


けれど、不信はなかった。


「私も、レオンさんのことをあなたに話していませんでした。」


アルは目を見開く。


「シルフィードさん……。」


「私は、学園時代にレオンさんと接点がありました。」


シルフィードは胸元で手を握る。


「でも、あなたがレオンさんの弟だと知ってからも、その話をちゃんとはしていません。」


「そして、レオンさんが姿を消していたことも、今まで知りませんでした。」


声が、わずかに震える。


知らなかったことが痛い。


その痛みは、消せない。


けれど、シルフィードはその痛みをアルへ向けなかった。


「知らなかったことは、痛いです。」


「言えなかったことも、痛いと思います。」


「でも。」


シルフィードは偽王を見据えた。


「アルさんが言えなかったことと、レオンさんを利用したことは同じではありません。」


黒い靄が揺れる。


「その痛みを、人を裂くために使うあなたたちこそ間違っています。」


偽王の口元が歪んだ。


「巫女候補だった娘が、よくも言う。」


「レオンの記憶に残るお前は、迷い、揺れ、風の意味も知らぬ少女だった。」


「今さら巫女として王の前に立つというのか。」


シルフィードは唇を結んだ。


その言葉は、完全な嘘ではない。


かつての自分は、確かに巫女候補だった。


まだ巫女として国を背負ってはいなかった。


王と向き合う重さも。


風を導く意味も。


今ほどには分かっていなかった。


レオンに、きっかけをもらったこともある。


でも。


それは、今の自分を否定する理由にはならない。


「確かに、私はあの頃、巫女候補でした。」


シルフィードは静かに言った。


「迷っていました。」


「風の意味も、巫女として立つことの重さも、今ほど分かっていませんでした。」


「レオンさんに、きっかけをもらったこともあります。」


偽王が笑う。


「ならば、やはり――」


「でも。」


シルフィードの声が、偽王の言葉を遮った。


「今ここで王と向き合うと決めたのは、私自身です。」


王の間に、わずかな風が走った。


まだ弱い。


けれど、確かにあった。


「王を救いたい。」


「けれど、国を傷つける命令には従えません。」


「王を救うことからも、王を止めることからも、逃げない。」


「そう決めたのは、レオンさんではありません。」


「ハルトでも、アルさんでもありません。」


「私です。」


シルフィードは一歩前へ出る。


その姿は、もう候補ではなかった。


誰かに選ばれるのを待つ少女ではない。


自分で選び、王の前に立つ巫女だった。


「私は、もう巫女候補ではありません。」


「今の私は、オルニス鳥王国の風巫女です。」


「だから、過去の私を使って、今の私たちを裂こうとしても無駄です。」


偽王の靄が濃くなる。


苛立ちが、そのまま形になったようだった。


「美しい言葉だ。」


「だが、痛みは残る。」


「知らなかった痛みは、消えぬ。」


「言えなかった痛みも、消えぬ。」


「はい。」


シルフィードは頷いた。


「消えません。」


「でも、消えない痛みを利用して、人を裂くことを私は許しません。」


アルの胸に、その言葉が届く。


信じるということは、痛みがないことではない。


知らなかったことが、なかったことになるわけではない。


言えなかったことが、消えるわけでもない。


それでも、今ここでどう向き合うかを選ぶことはできる。


シルフィードは今、その選択を示していた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


アルは、二人の背中を見ていた。


ハルトは隣に立つと言った。


シルフィードは信じていると言った。


けれど、それで自分の沈黙が消えるわけではない。


言えなかったことは、残っている。


レオンの名を聞くだけで、まだ胸が詰まる。


兄がいなくなった日。


旅に出ると決めた日。


あの時から、自分の中に空いた場所。


それは今も埋まっていない。


偽王の声が、再びアルへ向けられる。


「アル・リンベル。」


黒い靄が、アルの足元へ伸びる。


「レオンの記憶に残るお前は、小さな弟だった。」


「守られる側の子どもだった。」


「兄の背を見上げるだけの存在だった。」


アルは目を閉じた。


兄の背中が浮かぶ。


大きくて。


遠くて。


それでも、いつか追いつけると思っていた背中。


ずっとそこにあると思っていた背中。


「その兄が消えた。」


偽王は囁く。


「その痛みを抱え、お前は旅を始めた。」


「だが、旅の中で出会った者にさえ言えなかった。」


「それでも、お前は自分の旅だと言えるのか。」


アルは深く息を吸った。


今度は、逃げなかった。


顔を上げる。


偽王を、まっすぐに見る。


「僕は……言えませんでした。」


声は震えていた。


けれど、途切れなかった。


「兄さんが失踪していることを。」


「僕も探していることを。」


「ハルトさんが兄さんを知っていると分かった時、言えませんでした。」


ハルトは黙って聞いている。


シルフィードも、言葉を挟まない。


アルの言葉を待っていた。


「言うべきだったのかもしれません。」


「でも、あの時は言えなかった。」


「ハルトさんが兄さんを目標にしていたことが分かったから。」


「その背中を、今も越えたいと思っていることが分かったから。」


「その気持ちに、どう言葉を置けばいいか分からなかった。」


アルは拳を握る。


「王城へ来る前もそうです。」


「今は、王を救うために来ている。」


「国の空が閉ざされようとしている。」


「そこで、僕から兄さんの話を持ち出すことが、本当に正しいのか分からなかった。」


偽王の靄が揺れる。


アルは続けた。


「それが優しさだったのか、逃げだったのかは、まだ分かりません。」


「でも。」


声に、少しずつ力が宿る。


「それを、お前たちに決めさせるつもりはありません。」


偽王の目が細くなった。


「ほう。」


「言い訳か。」


「違います。」


アルは即座に返した。


「僕は、言えなかったことをなかったことにはしません。」


「でも、兄さんが失踪したのは僕のせいじゃない。」


「兄さんを利用したのは、お前たちだ。」


王の間の空気が、わずかに震えた。


アルは一歩前へ出る。


「僕は、兄さんの記憶の中にいる小さな弟のままじゃない。」


「兄さんがいなくなったことが、僕の旅の始まりだった。」


「でも、今ここに立っているのは、兄さんの影に隠れるためじゃありません。」


シルフィードを見る。


「シルフィードさんが、自分で王と向き合うと決めたから。」


ハルトを見る。


「ハルトさんが、隣に立つと決めたから。」


そして、偽王を見る。


「僕も、自分で選んでここにいます。」


「二人の選択を支えるために。」


「この国の空を閉ざそうとするものを止めるために。」


『くぅ!』


クウがアルの肩で鳴いた。


小さな声。


けれど、はっきりと王の間に響く声だった。


アルは魔剣を握った。


「兄さんを利用したお前たちに。」


「兄さんの名前まで利用させない。」


偽王の笑みが、初めて歪んだ。


「小さな弟が、よく吠える。」


アルは怯まない。


「僕はもう、小さな弟のままじゃありません。」


「アル・リンベル。」


「無色を宿して旅をする者です。」


ハルトが双剣を抜いた。


「そして俺は、レオンに届かなかった少年のままではない。」


「シルフィードの隣に立つ側近だ。」


シルフィードも前へ出る。


「私は、迷っていた巫女候補のままではありません。」


「オルニス鳥王国の風巫女として、王と向き合います。」


三人が並ぶ。


レオンの記憶に残る過去の断片ではない。


今ここで、自分の意志で立つ三人だった。


偽王は黒い靄を大きく広げた。


「ならば見せてみろ。」


「過去を越えたと言うなら。」


「今の自分たちだと語るなら。」


「その言葉が、どれほどのものか。」


玉座の王がゆっくりと立ち上がる。


黒い靄が、王の身体を覆っていく。


背中から濁った翼が広がった。


王の姿を残したまま、その内側から別のものが膨れ上がっていく。


風の国の王。


そして、その王を侵す偽りの意志。


二つが重なった異形。


偽王が、王の声で笑った。


「来い。」


「巫女。」


「側近。」


「無色の旅人。」


「お前たちの信頼が本物なら。」


「この閉ざされた空を、開いてみせろ。」


王の間に、黒い風が吹き荒れた。


柱が軋み、旗が裂けるように揺れる。


ハルトがシルフィードの前へ半歩出る。


だが、シルフィードはその隣に並んだ。


「後ろに下がらないよ。」


ハルトは横目で見る。


「分かっています。」


「確認しただけです。」


「それ、心配してるって言わない?」


「半分くらいは。」


この状況でさえ、シルフィードは小さく笑った。


アルも魔剣を構える。


クウが肩の上で身を低くした。


三人の前に、黒い靄が迫る。


王を救うために。


王を止めるために。


過去の記憶に縛られるのではなく、今の自分たちとして立つために。


シルフィードが静かに言った。


「行こう。」


「閉ざされた空を、開くために。」


ハルトが頷く。


「はい。」


アルも答える。


「はい。」


『くぅ!』


黒い風が襲いかかる。


三人と一匹は、同時に前へ踏み出した。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


偽王の黒い風は、王の間を満たすほど広がった。


それはただの風ではない。


触れたものを重くし、動きを鈍らせ、思考まで沈ませるような濁った流れだった。


アルは魔剣を振るい、迫る黒い靄を斬る。


刃は確かに靄を裂いた。


けれど、裂けたはずの靄はすぐに形を戻した。


「切れない……!」


「靄そのものを相手にしても無駄です。」


ハルトが双剣で黒い風を受け流しながら言う。


「王を覆っている中心を見ます。」


偽王は笑った。


「中心などない。」


「すべては王の意志だ。」


「王が望んだ秩序だ。」


「王が求めた統一だ。」


シルフィードは玉座の前に立つ王を見据えた。


王の身体は黒い靄に包まれている。


けれど、その全部が偽王になったわけではない。


奥に、まだ何かがある。


黒い靄の中で、微かに揺れる風。


閉ざされながらも、消えていない風。


「違う。」


シルフィードは呟いた。


「王の全部が、あなたになったわけじゃない。」


偽王の目が細くなる。


「何を見た。」


「王は恐れた。」


「迷いを恐れた。」


「揺れる風を恐れた。」


「だから、我が形を与えた。」


「一つに揃う王を。」


「迷わぬ王を。」


「閉ざされた、完全な空を。」


シルフィードは首を横に振る。


「それは、王の願いではありません。」


「王の恐れを、あなたが利用しただけです。」


黒い風が、刃のように三人へ降り注いだ。


ハルトが動く。


その瞬間、彼の視界が変わった。


黒い風が、ただの攻撃ではなく流れとして見える。


どこから来るか。


どこへ抜けるか。


どこに隙間が残るか。


速さではない。


力でもない。


風の中に残された道筋を、身体が理解していく。


祠で始祖から授かったもの。


名前を呼ぶ技ではなく、鳥族が本来持つ力の解放。


空を読み、風を掴み、進む道を選ぶ力。


「……見えます。」


ハルトは低く言った。


「黒い風の隙間が。」


双剣が走る。


黒い羽を正面から叩き落とすのではない。


流れをずらし、互いの軌道をぶつけ、攻撃そのものを崩す。


黒い羽が空中で砕け散った。


アルはその隙を見て踏み込む。


その足元にも、風の流れが見えた気がした。


どこへ進めば沈まないか。


どこを斬れば道が閉じないか。


黒い風の中に、ほんのわずかに残る澄んだ流れ。


それを辿るように、アルの身体が動く。


「ここなら……!」


アルは魔剣を振るった。


正面から押し返すのではなく、流れの継ぎ目へ刃を入れる。


黒い風が一瞬だけ割れた。


しかし、その奥にはさらに濃い靄があった。


王の胸元。


そこへ黒い線のようなものがいくつも絡みついている。


核。


いや、核というより、干渉。


王の恐れに食い込み、王の意志を歪め、偽りの王へ変えようとしているもの。


アルは息を呑んだ。


「見えた……!」


偽王が吠える。


「見るな!」


黒い翼が大きく広がり、王の間を押し潰すように迫る。


ハルトが双剣を構える。


アルも魔剣を握り直す。


だが、このままでは届かない。


黒い靄を裂いても、戻る。


干渉の位置が分かっても、そこまで刃を通せない。


シルフィードは、二人とクウを見た。


一人では届かない。


けれど、一人で届かなくていい。


巫女ができることは、敵を倒すことではない。


隣に立つ者たちが進めるように、風を渡すこと。


味方の背を押すこと。


シルフィードは胸に手を当てた。


祠で受け取った風が、胸の奥で静かに震える。


風神エアリオンの加護。


それは、敵を吹き飛ばすための風ではない。


王を直接救い出すための風でもない。


今ここに立つ仲間たちへ、進む力を与える風。


シルフィードは息を吸った。


「風よ。」


王の間に、澄んだ声が響く。


「迷いながらも進む者たちに。」


「閉ざされた空を開くための追い風を。」


翠色の光が、シルフィードの周囲に灯った。


黒い靄の中で、その光は小さい。


けれど、消えない。


シルフィードは手を広げる。


「ウィンド・ブレッシング!」


翠色の風が、王の間を駆け抜けた。


それは敵を吹き飛ばす風ではなかった。


隣に立つ者の背を押す風。


迷いながらも進もうとする者の足元に、道を示す風。


アルの魔剣に。


ハルトの双剣に。


クウの小さな身体に。


そして、シルフィード自身の胸に。


風神の加護が宿っていく。


ハルトの目がさらに澄む。


黒い風の流れが、先ほどよりも鮮明に見えた。


アルの足元にも、踏み込むべき道が浮かぶ。


そして。


『くぅ……!』


アルの肩で、クウが震えた。


怖がっているのではない。


風を受け取っている。


クウの小さな身体が、淡い翠色に光り始めた。


ぷるりと揺れる身体の内側に、細い風の流れが生まれる。


ただのスライムではない。


風の力を帯びた、属性スライムとしての姿。


クウはアルの肩から跳ねた。


床に落ちる直前、ふわりと風をまとって浮かぶ。


『くぅ!』


クウが王の胸元へ向かって身体を伸ばした。


黒い靄の奥。


王の胸に絡みつく、黒い干渉。


その位置を、クウが示している。


「そこか……!」


アルは魔剣を握り直した。


リングに刻まれた風印が、シルフィードの加護に応えるように輝く。


その光が魔剣へ伝わる。


刃に、翠色の風が絡んだ。


普段からアルが使っている魔剣。


けれど今、その刃は風の加護と風印に呼応し、風属性を帯びていく。


黒い靄を斬るためではない。


閉ざされた空に残る道を切り開くために。


王を斬るためではない。


王に絡みつく無色神の干渉を断つために。


翠色の風が、刃の輪郭を変えていく。


アルは、その名を感じ取った。


「翠装魔剣――シルファ。」


刃が、澄んだ音を立てた。


偽王の黒い翼が、再び三人へ迫る。


「その風も。」


「その剣も。」


「すべて一つに沈めてくれる!」


ハルトが前へ出た。


「一瞬、道を作ります。」


双剣を構える。


「お願いします。」


シルフィードが頷く。


「お願い、ハルト。」


アルも頷いた。


「お願いします。」


ハルトが踏み込む。


ウィンド・ブレッシングを受けた身体が、黒い風の流れを読む。


双剣が交差し、迫る黒い翼の軌道を逸らす。


正面から破るのではない。


流れをずらし、道を開く。


その一瞬。


王の胸元へ続く、細い道が生まれた。


クウがその道の先で鳴く。


『くぅ!』


シルフィードの加護が背を押す。


ハルトの双剣が道を作る。


クウが干渉の位置を示す。


アルは、そのすべてを受け取って踏み込んだ。


「兄さんの名前も。」


翠装魔剣シルファの刃に、無色の光と翠色の風が重なる。


「この国の空も。」


王の胸元に絡みつく黒い干渉が、脈打つように震えた。


それは王ではない。


王の恐れに食い込み、王の意志を歪め、偽りの王へ変えようとしていた無色神側の干渉。


アルはそれだけを見据えた。


「お前たちのものじゃない!」


黒い靄がアルを飲み込もうとする。


ハルトが叫ぶ。


「アル!」


シルフィードの声も重なる。


「アルさん!」


クウが鳴いた。


『くぅ――!』


アルは踏み込んだ。


もう迷わない。


斬るのは王ではない。


王を苦しめているもの。


人の恐れを食い、痛みを利用し、レオンの名さえ人を裂くために使うもの。


それだけを断つ。


「翠界――」


王の間の音が消えた。


黒い靄も。


濁った風も。


偽王の笑い声も。


一瞬だけ遠ざかる。


見えるのは、王に絡みつく黒い干渉線。


そして、そこへ通る一筋の風の道。


アルは翠装魔剣シルファを振り抜いた。


「ヴェルザ!」


翠色の斬撃が走った。


王を斬るのではない。


王の身体を傷つけるのでもない。


王の恐れに絡みつき、王の意志を歪め、偽りの王へ変えていた無色神の干渉だけを断つ。


刃が、黒い干渉を貫いた。


黒い靄が裂ける。


偽王の悲鳴が、王の間に響き渡った。


「なぜだ!」


「なぜ、一つにならぬ!」


「なぜ、迷いを選ぶ!」


黒い核が軋む。


王の背に広がっていた濁った翼が、端から崩れていく。


偽王の声が、なおも叫ぶ。


「迷いは弱さだ!」


「揺れる風は乱れだ!」


「痛みは裂け目だ!」


「ならば、すべてを一つに――」


「迷っても、選ぶからです。」


シルフィードの声が、偽王の言葉を遮った。


風巫女としての声だった。


「一つに縛られなくても、隣に立てるからだ。」


ハルトが続ける。


側近として、隣に立つ者の声だった。


アルは翠装魔剣シルファを握ったまま、最後に言った。


「痛みがあっても、信じ直せるからです。」


翠界ヴェルザの光が、黒い干渉を断ち切った。


黒い核が砕ける。


王の背に広がっていた濁った翼が、風に削られるように消えていく。


偽王の声は、遠く、歪んでいった。


「無色は……すべてを……。」


その言葉は、最後まで形にならなかった。


翠色の風が王の間を通り抜ける。


王を覆っていた偽りの意志が、風にほどけるように消えていく。


王の瞳に、わずかな光が戻った。


「……シルフィード……?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ