第4章・第17話 王城への準備
祠を出ると、天空観測統制域の音が戻ってきた。
崩れた石を運ぶ音。
通信結晶を繋ぎ直す声。
負傷者を運ぶ足音。
先ほどまでいた静かな場所とは違う。
ここは現実だった。
壊れた施設。
傷ついた職員たち。
そして、まだ終わっていない異変。
シルフィードは胸元に手を添え、静かに息を吐いた。
迷いが消えたわけではない。
怖さがなくなったわけでもない。
それでも、もう一人で抱え込もうとは思わなかった。
その時が来ても、逃げない。
胸の奥で、そう静かに決める。
「戻ったか。」
通路の先で、フェルドがこちらへ歩いてきた。
服には埃が付き、腕には応急処置の跡がある。
それでも、その足取りは揺らいでいなかった。
シルフィードは頷く。
「はい。」
「確認は済みました。」
フェルドは、シルフィード、ハルト、アル、そしてアルの肩にいるクウを順に見た。
何があったのか。
どこで何を見たのか。
フェルドには分からないはずだった。
それでも、彼は深く聞かなかった。
「そうか。」
短く、それだけを言う。
軽々しく踏み込むべきではない。
フェルドは、その距離を分かっているようだった。
「こっちの状況だけ伝える。」
フェルドは声を落とした。
「最低限の通信は戻した。」
「だが、まだ安定していない。」
「施設の復旧も途中だ。」
「それと、王城方面の空が乱れている。」
ハルトの表情が引き締まる。
「王城方面が、特にですか。」
「ああ。」
フェルドは頷いた。
「施設を襲った黒い靄と似た気配が、王城の方角に濃く残っている。」
シルフィードは目を伏せた。
やはり、王城なのだ。
近衛隊長が最後に残した言葉が、胸の奥に蘇る。
――王を、どうか救ってくれ。
フェルドは周囲を見回した。
職員たちが慌ただしく行き交っている。
ここは会議をする場所ではない。
「詳しい話は神殿でやった方がいい。」
「神殿の会議室に、関係者を集めてある。」
「ギルド側の情報は出す。」
「必要な支援も回す。」
フェルドはそこで言葉を切り、シルフィードを見た。
「判断は、巫女様に任せる。」
シルフィードは背筋を正した。
「ありがとうございます。」
「神殿へ向かいます。」
フェルドは短く頷いた。
「分かった。」
三人と一匹は、フェルドと共に神殿へ向かった。
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神殿の会議室には、すでに数名が集まっていた。
長い石造りの卓。
壁に掲げられた風の紋章。
卓上には、王都周辺の地図と王城の簡易図が広げられている。
そこにいたのは、シルフィード、ハルト、アル、フェルド。
そして、神殿と施設、軍、警備に関わる四人だった。
神殿勤務のルーナ。
天空観測統制域に勤めるエアリス。
王国軍に籍を置くレグルス。
施設警備を担当するカイト。
四人はかつて、巫女候補や世話役として神殿に関わっていた者たちだった。
今はそれぞれ別の立場にある。
だからこそ、神殿、施設、王城、軍、警備の事情を繋げて見ることができる。
シルフィードが席につくと、全員が姿勢を正した。
シルフィードは一度、会議室にいる全員を見た。
そして、静かに口を開く。
「集まってくれて、ありがとう。」
「今から、王城へ向かうための確認を行います。」
「これは王命に従うためではありません。」
「この国の巫女として、王と向き合うための判断です。」
会議室に、短い沈黙が落ちた。
その沈黙は、迷いではない。
その言葉の重さを、全員が受け止めていた。
シルフィードは続ける。
「まず、現場の状況をお願いします。」
フェルドが頷いた。
「ギルド側から報告する。」
彼は卓上の地図へ視線を落とした。
「天空観測統制域は応急復旧中だ。」
「最低限の通信は戻したが、まだ不安定。」
「負傷者もいる。」
「施設全体を完全に戻すには時間がかかる。」
フェルドは王城の方角を指した。
「問題は王城方面だ。」
「黒い靄に似た気配が残っている。」
「今の時点で、大人数を動かすのは危険だ。」
「ギルドは施設復旧と王都側の警戒に回る。」
「そこまでが、こちらでできることだ。」
シルフィードは頷いた。
「お願いします。」
「ギルドには、施設と王都側を任せます。」
「承知した。」
フェルドは短く答えた。
それ以上、口を出すことはなかった。
次に、エアリスが立ち上がる。
「天空観測統制域から確認できた情報です。」
彼女は地図の王城周辺を指す。
「王城方面の空に乱れがあります。」
「通常の飛行は避けるべきです。」
「特に正面側は、警備も含めて状況が不明です。」
ハルトが頷いた。
「正面門は避けます。」
シルフィードがハルトを見る。
「王城へ入る経路は?」
ハルトは王城図を指した。
「比較的安全な西側から向かいます。」
「西側には、王族と巫女が有事に使う通路に近い搬入口があります。」
「そこから王城内部へ入るのが、最も衝突を避けられる経路です。」
アルは地図を見つめた。
「正面からは行かないんですね。」
「はい。」
ハルトは答える。
「王城警備と正面から衝突すれば、王を救う前に混乱が広がります。」
「私たちは王城を攻めに行くわけではありません。」
シルフィードは静かに頷いた。
「王を止めるために行く。」
「でも、王城を敵にするためじゃない。」
その言葉に、レグルスが口を開いた。
「王国軍側からも、その判断が妥当です。」
「王城からの命令系統が乱れています。」
「軍を大きく動かせば、王城側と衝突する可能性があります。」
「現時点で兵を集めるのは避けるべきです。」
シルフィードはレグルスを見る。
「王国軍には、王都防衛と民の保護を優先させてください。」
「王城へ兵を集めない。」
「現場での衝突を避けるよう伝えて。」
レグルスは深く頷いた。
「承知しました。」
「巫女様の判断として、軍側へ伝えます。」
次に、ルーナが静かに言う。
「神殿側は、民への対応を受け持ちます。」
「不安を広げないよう、必要な情報だけを伝えます。」
シルフィードは頷いた。
「お願いします。」
「王城で何が起きているか、まだ民に広げる段階ではありません。」
「でも、危険な場所へ近づかないよう、落ち着いて伝えてください。」
「承知しました。」
ルーナは深く頭を下げた。
カイトも続ける。
「施設警備側は、天空観測統制域を守ります。」
「もう一度襲撃があれば、復旧が止まります。」
「ギルドと連携して、施設と負傷者の安全を確保します。」
フェルドが頷いた。
「そこはうちも動く。」
「施設側は任せてくれ。」
シルフィードは二人を見た。
「お願いします。」
一つずつ、役割が決まっていく。
フェルドは施設と王都側。
ルーナは神殿と民への対応。
エアリスは観測と通信の確認。
レグルスは王国軍への連絡。
カイトは施設警備。
そして、王城へ向かう者。
シルフィードは顔を上げた。
「王城へ向かうのは、私、ハルト、アル、クウ。」
アルはまっすぐに頷いた。
「僕も行きます。」
「シルフィードさんたちだけに任せたくありません。」
『くぅ!』
クウも力強く鳴く。
ハルトは静かに頭を下げた。
「お供します。」
シルフィードは頷いた。
「ありがとう。」
「でも、これは私の判断です。」
「王を止めることからも、王を救いたいと願うことからも、逃げません。」
会議室の空気が、わずかに引き締まる。
フェルドは腕を組んだまま、静かにその言葉を聞いていた。
出過ぎることはしない。
けれど、背を向けることもしない。
それが、彼の立場だった。
シルフィードは王城図に視線を落とす。
「ハルト。」
「はい。」
「経路の最終確認をお願いします。」
ハルトは頷いた。
「正面門は避けます。」
「比較的安全な西側から向かいます。」
「西側の搬入口付近から入り、有事通路へ進みます。」
「王城内では、できる限り警備との衝突を避けます。」
「通路が封鎖されている場合は?」
アルが尋ねる。
ハルトは少しだけ考え、答えた。
「迂回します。」
「強行突破は最後の手段です。」
「王城内には兵だけでなく、使用人や職員もいます。」
「巻き込むわけにはいきません。」
シルフィードは頷いた。
「うん。」
「王城にいる人たちも、この国の民だから。」
レグルスが静かに言う。
「その方針であれば、軍側にも伝えやすいです。」
「王城を敵と見なさない。」
「それは大切です。」
シルフィードは頷いた。
「王と向き合う。」
「王城を壊すためじゃない。」
「王を止め、救うために行きます。」
誰も異論を挟まなかった。
方針は決まった。
やるべきことも決まった。
あとは、それぞれが動くしかない。
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会議は長くは続かなかった。
必要なことだけを確認し、役割を分ける。
時間をかければ、安全になるわけではない。
王城方面の異変は、今も続いている。
フェルドが立ち上がった。
「ギルドはすぐ動く。」
「施設復旧と王都側の警戒だ。」
「王城のことは、巫女様に任せる。」
シルフィードは深く頭を下げた。
「お願いします。」
フェルドは軽く手を上げた。
「任された。」
それだけ言うと、フェルドは会議室を出ていった。
余計な励ましも、過度な心配もない。
彼には彼の役目がある。
その役目を果たすために、すぐ動いたのだ。
ルーナも立ち上がる。
「神殿側の連絡を始めます。」
「民には落ち着いて伝えます。」
「お願いします。」
エアリスは観測の確認へ。
レグルスは王国軍への連絡へ。
カイトは施設警備へ。
それぞれが、それぞれの持ち場へ戻っていく。
シルフィードは、その背中を見送った。
一人で背負わない。
けれど、逃げない。
その意味が、少しずつ胸に落ちていく。
会議室に残ったのは、シルフィード、ハルト、アル、クウだけだった。
ハルトは王城図を畳み、懐へしまう。
「行きましょう。」
シルフィードは頷いた。
「うん。」
アルも剣の位置を確かめる。
「準備できています。」
『くぅ!』
クウも力強く鳴いた。
シルフィードは三人を見た。
ハルト。
アル。
クウ。
そして、自分。
「王城へ向かいます。」
静かな声だった。
けれど、まっすぐな声だった。
「これは、王命に従うためではありません。」
「この国の巫女として、王と向き合うための判断です。」
ハルトは深く頭を下げる。
「お供します。」
アルも頷いた。
「僕も行きます。」
『くぅ!』
シルフィードは小さく笑った。
「ありがとう。」
そして、表情を引き締める。
「行こう。」
「王城へ。」
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神殿を出ると、空は夕暮れに染まり始めていた。
本来なら、オルニス高空国の空は、この時間、柔らかな風に満ちている。
空を行き交う鳥族たちの影。
遠くの島々。
雲の向こうへ消えていく淡い光。
けれど今、王城の方角だけ、雲が重く見えた。
空全体が沈んでいるわけではない。
それでも、そこに何かがあることは分かった。
シルフィードは王城を見つめた。
そこには、黒い靄に侵された王がいる。
救いたい人がいる。
止めなければならない人がいる。
そのどちらからも、もう逃げない。
ハルトが隣に立つ。
「西側から向かいます。」
「正面は避けます。」
シルフィードは頷いた。
「うん。」
「お願い。」
アルも一歩前へ出た。
「一緒に行きます。」
『くぅ!』
クウが肩の上で鳴く。
風が吹いた。
強い風ではない。
けれど、三人の背を押すには十分だった。
シルフィードは一歩を踏み出した。
ハルトが隣に並ぶ。
アルとクウも続く。
王城へ。
王のいる場所へ。
風の国が、もう一度自分の空を取り戻すために。
三人と一匹は、夕暮れの中を進み始めた。




