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無色と十二の旅(アルとジュウニのシルシ)  作者: Matyu
第4章:翠色の空(アルのフライト)
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第4章・第15話 始祖の祠

天空観測統制域の襲撃は終わった。


巨大な鳥型コラプトは倒れ、王直属近衛隊長の暴走も止まった。


砕けた通信結晶。


崩れた通路。


黒く焦げた観測装置。 


国家の心臓部と呼ばれる場所は、深い傷を負っていた。


それでも、施設はまだ落ちていない。


職員たちとギルド職員たちは、応急復旧のために慌ただしく動き回っていた。


「負傷者の搬送を急げ!」


「通信結晶は生きてるものから繋ぎ直せ!」


「崩落した場所には近づくな!」


フェルドの声が施設内に響く。


その声に従い、職員たちは次々と動いていた。


完全復旧には遠い。


けれど、天空観測統制域はかろうじて機能を残している。


アルはその光景を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。


「……何とか、止められたんですね。」


シルフィードは静かに頷いた。


「うん。」


「でも、被害は大きい。」


「しばらくは空路も通信も不安定になると思う。」


ハルトは、倒れた近衛隊長のいた場所を見つめていた。


そこにはもう、黒い靄は残っていない。


だが、彼の最後の言葉だけは、まだ耳に残っている。


――王を、どうか救ってくれ。


王命。


近衛隊長は、そう言っていた。


王の命令で、国家の中枢施設を壊そうとした。


それなのに最後には、王を救ってほしいと願った。


アルには、その矛盾が胸の奥に重く残っていた。


「王様に、何が起きているんでしょうか。」


アルが呟く。


シルフィードは答えなかった。


答えられなかったのだ。


ハルトも拳を握り締める。


「隊長は、最後まで王を案じていました。」


「なら、王はまだ……。」


そこまで言って、ハルトは言葉を止めた。


救える。


そう言い切りたい。


けれど、王命によってこの施設が壊されかけた事実は消えない。


シルフィードはしばらく黙っていた。


やがて、施設の奥へ視線を向ける。


「……確認したい場所がある。」


アルが顔を上げた。


「確認したい場所?」


シルフィードは小さく頷いた。


「この施設の地下に、祠があるの。」


「祠……。」


「私は、何度か入ったことがある。」


シルフィードは壊れた施設を見渡す。


「でも、特別なことが起きたことはなかった。」


「静かで、風が流れていて、祈りを捧げる場所。」


「そう思ってた。」


ハルトは静かに頷いた。


「場所は知っています。」


「ですが、中へ入るのは初めてです。」


「うん。」


シルフィードはハルトを見る。


「今日は、一緒に来てほしい。」


周囲にはまだ職員やギルドの者たちがいる。


そのため、ハルトの声は落ち着いていて、礼儀を崩さなかった。


「承知しました。」


「同行します。」


シルフィードは次に、アルへ向き直る。


「アル。」


「あなたにも来てほしい。」


アルは迷わず頷いた。


「はい。」


シルフィードは少し驚いたように瞬きする。


「理由を聞かないの?」


「シルフィードさんが必要だと思ったんですよね。」


アルは静かに答えた。


「それなら、僕は信じます。」


セリーナに導かれ、アルは旅に出た。


そして旅の中で、巫女たちがそれぞれの国を背負っている姿を見てきた。


だから、アルは巫女の言葉を軽く扱うことができなかった。


シルフィードが必要だと言うなら。


祠へ来てほしいと言うなら。


そこには、きっと意味がある。


シルフィードは少しだけ目を伏せた。


「……ありがとう。」


『くぅ!』


クウも力強く鳴いた。


その時、フェルドが近づいてきた。


「シルフィード。」


「こっちは応急復旧に入る。」


「警備も立て直すが、完全に安全とは言えねぇ。」


シルフィードは頷いた。


「ありがとうございます、ギルド長。」


「私たちは、少し確認したいことがあります。」


フェルドは一瞬だけ目を細めた。


だが、深くは聞かなかった。


シルフィードの表情で、それが巫女として必要なことなのだと察したのだろう。


「ああ。」


「ここは俺たちが見ておく。」


「必要な確認を済ませてこい。」


「はい。」


シルフィードは頭を下げる。


ハルトもそれに続いた。


アルも軽く頭を下げる。


フェルドは、それ以上何も聞かなかった。


シルフィードも、それ以上は何も語らなかった。


それは、この国の奥深くに隠された場所だった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


三人とクウは、天空観測統制域の奥へ向かった。


復旧作業の音が少しずつ遠ざかる。


通信結晶の光も、職員たちの声も、壊れた装置を運ぶ音も、背後へ離れていく。


やがてシルフィードは、何の変哲もない場所で足を止めた。


そこに特別な扉はない。


目印もない。


階段も見えない。


アルには、ただ何もない場所にしか見えなかった。


「ここ……ですか?」


「うん。」


シルフィードは静かに答えた。


ハルトも同じ場所を見つめている。


その表情を見る限り、彼にはアルとは違うものが見えているようだった。


「ハルトさんには、見えているんですか?」


「はい。」


ハルトは頷いた。


「翼の紋様が見えます。」


「私はこの場所を知っていました。」


「ですが、この先へ進むのは初めてです。」


アルはもう一度、前を見る。


やはり、何も見えない。


ただ、そこに空間が続いているだけ。


けれど、シルフィードとハルトには確かに見えている。


アルは小さく息を呑んだ。


「僕には、まだ見えません。」


「大丈夫。」


シルフィードはアルの前に立った。


「アル。」


「私は、あなたを認める。」


アルは真剣に頷いた。


「はい。」


その瞬間、アルの視界がわずかに揺れた。


さっきまで何もなかった場所に、淡い翠色の翼の紋様が浮かび上がる。


そして、その奥に地下へ続く階段が見えた。


「……見えた。」


アルが呟く。


シルフィードは小さく笑った。


「なら、大丈夫。」


ハルトは静かに見守っていた。


彼には最初から、この道が見えていたのだろう。


シルフィードは前へ進む。


「行こう。」


「祠は、この先にある。」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


階段を降りるにつれて、施設の音は遠ざかっていった。


職員たちの声。


復旧作業の音。


崩れた石を運ぶ音。


それらが少しずつ薄れていく。


代わりに聞こえてきたのは、風の音だった。


地下へ向かっているはずなのに、風が吹いている。


強くはない。


冷たくもない。


けれど、確かにそこにある。


アルは不思議そうに呟いた。


「地下なのに、風がある……。」


シルフィードは前を歩きながら答える。


「ここは、いつもそうなの。」


「初めて入った時も、同じことを思った。」


「地下なのに、空に近い場所みたいだって。」


「空に近い場所……。」


アルはその言葉を繰り返す。


クウは肩の上で、じっと奥を見ていた。


いつものように騒がない。


まるで、何かに耳を澄ませているようだった。


『くぅ……。』


やがて階段が終わる。


その先に広がっていたのは、地下とは思えないほど大きな空間だった。


丸く広がる石の広間。


高い天井。


壁一面に刻まれた羽の紋様。


床には翠色の円環。


そして中央には、丸い石の台座があった。


台座の上には何も置かれていない。


宝石も、神器も、古文書もない。


ただ、空っぽの台座があるだけだった。


シルフィードは静かに息を吐いた。


「……変わってない。」


ハルトは入口付近で足を止め、慎重に中を見渡す。


「ここが、祠……。」


「ハルトは初めてだったね。」


「はい。」


ハルトは頷く。


「思っていたより、ずっと静かな場所ですね。」


「うん。」


シルフィードは台座の前へ進む。


「いつも静か。」


「風が流れていて、祈りを捧げる。」


「それだけの場所だと思ってた。」


「思ってた、ですか。」


ハルトが小さく言う。


シルフィードは苦笑した。


「今は、そう言いたくなる空気じゃない?」


「ええ。」


「こういう時のあなたの勘は、だいたい当たります。」


「褒めてる?」


「半分くらいは。」


「また半分。」


ハルトはほんの少しだけ笑う。


けれど、その視線は周囲から外さない。


軽口を交わしていても、警戒は緩めていなかった。


シルフィードは祠の中をゆっくり見渡す。


「祠そのものに損傷はなさそう。」


「黒い瘴気も見えない。」


ハルトも頷いた。


「侵食の痕跡は確認できません。」


アルはほっと胸を撫で下ろす。


「よかった……。」


天空観測統制域があれほど襲撃されたのに、祠は無事だった。


それだけで、少しだけ救われた気がした。


シルフィードは台座の前で膝をついた。


「風よ。」


「この国を見守る祠よ。」


「どうか、これからもオルニスの空を守ってください。」


静かな祈り。


祠の中に柔らかな風が流れる。


シルフィードにとっては、きっとこれまでと同じ祈りだった。


同じ場所。


同じ風。


同じ静けさ。


何も起きない。


そう思った。


その時だった。


クウがアルの肩から飛び降りた。


『くぅ。』


「クウ?」


アルが呼びかける。


クウは振り返らなかった。


小さな足音を立てながら、中央の台座へ向かって歩いていく。


シルフィードも顔を上げた。


「クウ……?」


ハルトが警戒するように一歩踏み出す。


だが、クウは迷いなく進む。


まるで、そこへ行くべきだと最初から知っていたかのように。


そして、ぴょんと台座の上に乗った。


瞬間。


床の翠色の円環が輝いた。


「っ!」


アルは思わず腕で目を庇う。


祠全体に光が広がっていく。


壁の羽の紋様が一つ、また一つと輝き出す。


風が吹いた。


今までの柔らかな風ではない。


空へ昇るような、強い風。


シルフィードは驚きに目を見開いた。


「何……これ……。」


ハルトが剣へ手を伸ばす。


「シルフィード!」


公の場では出ない呼び方だった。


それだけ、彼も反射的に動いたのだ。


シルフィードは片手を上げる。


「待って。」


「敵意はない。」


「でも……こんなの、今まで一度も……。」


アルは台座の上のクウを見る。


クウは翠色の光に包まれながら、じっと前を見つめていた。


『くぅ。』


その声が響いた瞬間。


アルたちの足元から、床の感覚が消えた。


風が巻き上がる。


落ちているのか。


昇っているのか。


分からない。


視界が翠色に染まる。


シルフィードの声が聞こえた。


ハルトの呼ぶ声も聞こえた。


けれど、その全てが風の中へ溶けていく。


そして、光が弾けた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


アルたちが立っていたのは、祠ではなかった。


そこは、空だった。


上を見ても空。


下を見ても空。


果てしない翠色の空が、どこまでも広がっている。


足元には確かに立つ場所がある。


だが、その下では雲がゆっくりと流れていた。


風が幾重にも重なり、世界そのものが呼吸しているようだった。


アルは呆然と呟く。


「ここは……。」


シルフィードも言葉を失っていた。


「知らない……。」


「こんな場所、私は知らない……。」


ハルトは周囲を警戒しながらも、剣を抜かなかった。


「祠の中では、ありませんね。」


『くぅ。』


クウは、少し離れた場所に浮かぶ光の輪の上に立っていた。


その姿は、いつもよりずっと静かだった。


まるで、この場所を知っているかのように。


その時。


空の中心に風が集まった。


翠色の光が渦を巻き、一つの影を形作っていく。


鳥のようで、鳥ではない。


人のようで、人ではない。


大きな翼を持ち、風そのものをまとった存在。


その姿を見た瞬間、シルフィードは自然と膝をついた。


理由など分からない。


だが、身体が理解していた。


目の前にいる存在が、ただの幻ではないことを。


ハルトもすぐに膝をつく。


アルも、遅れて頭を下げた。


シルフィードは震える声で呟いた。


「あなたは……。」


翼を持つ存在は、静かに彼女を見下ろした。


その声は、耳ではなく胸の奥に響いた。


――風を継ぐ巫女よ。


シルフィードの肩が震える。


――お前たちは、祠の無事を確かめに来た。


――だが、祠が開いた意味を知らねばならぬ。


「祠が、開いた意味……?」


――お前たちが祠と呼ぶ場所は、風の民の始まりへ至る門。


――始祖の記憶へ繋がる場所。


ハルトが目を見開いた。


「始祖……。」


シルフィードは言葉を失った。


巫女に伝わる祠。


国が迷った時、祈りを捧げる場所。


有事の際には、異常がないか確かめる場所。


そう教えられてきた。


けれど、そこが始祖へ繋がる場所だとは知らなかった。


巫女である自分でさえ、知らなかった。


目の前の存在は、静かに翼を広げた。


――知るがいい。


――この国が、何のために生まれたのかを。


風が広がる。


アルたちの周囲に、景色が映し出されていく。


それは今のオルニス高空国ではなかった。


巨大な王都も、整備された空路も、天空観測統制域もない。


広い空。


浮かぶ小さな島々。


風に乗って飛ぶ鳥族たち。


彼らは自由に空を渡っていた。


誰かが先を飛び、誰かが後ろを飛ぶ。


速い者が遅い者を置き去りにするのではなく、風の読み方を伝え合いながら飛んでいる。


道は一つではない。


空は、誰か一人のものではない。


――始まりの風は、自由だった。


――だが、自由とは勝手に飛ぶことではない。


――己の翼で選び、他者の翼を奪わぬこと。


――それが、風の民の始まり。


シルフィードは息を呑んだ。


景色が変わる。


風を読む力は、やがて国を繋ぐ力になった。


危険な空を知らせるために、観測が生まれた。


遠く離れた者へ声を届けるために、通信が生まれた。


迷った者へ道を示すために、空路が整えられた。


それは支配ではなかった。


誰もが、自分の翼で進めるようにするための仕組みだった。


――この国は、空を支配するために生まれたのではない。


――空を分かち合うために生まれた。


――速さは、誰かを置き去りにするためのものではない。


――選べる道を増やすためのものだった。


シルフィードは目を見開いた。


「選べる道を、増やす……。」


始祖の声は静かに続く。


――風の民の力は、ただ速く飛ぶためのものではない。


――風を読み、流れを掴み、進む道を選ぶ力。


――空を知り、仲間へ道を示し、閉ざされた場所に可能性を開く力。


――それが、お前たちの翼だ。


アルは思い出す。


オルニス高空国で見てきた空路。


通信。


観測。


風を読む力。


それらはすべて、ただ国を便利にするためだけのものではなかった。


本来は、誰かが自分の道を選べるようにするための力。


鳥族が持つ種族の力は、速度だけではない。


風を読み、道を見つけ、可能性を広げる力だった。


さらに景色が変わる。


空路は増えた。


通信は速くなった。


観測は正確になった。


国は発展した。


しかし、発展と共に風は縛られていった。


安全のために道が決められた。


秩序のために速度が決められた。


混乱を避けるために、選択肢が狭められた。


最初は誰かを助けるためだったものが、いつしか誰かを従わせるためのものへ変わっていく。


シルフィードの表情が歪む。


「これが……今のオルニス……。」


始祖は静かに告げる。


――風は、止めれば濁る。


――閉じ込めれば腐る。


――一つの意志で全ての風を動かそうとした時、風の国は風の国ではなくなる。


黒い靄が、景色の端から滲み出した。


王城。


玉座。


そこに座る王の影。


その背後に絡みつく黒いもの。


黒い靄は、王の中にある願いへ入り込んでいた。


守りたい。


乱れをなくしたい。


誰も迷わない国にしたい。


その願いは、最初から悪だったわけではない。


だが、黒い靄はそれを歪めた。


迷わせないために道を奪う。


守るために翼を縛る。


秩序のために自由を閉ざす。


そしてその結果、王の命令は国を守るものではなく、国を傷つけるものへ変わっていった。


ハルトが拳を握り締める。


「王は……利用されているのですか。」


始祖は答える。


――王は侵されている。


――だが、外から与えられた歪みだけではない。


――国の中にあった歪み。


――王の中にあった恐れ。


――それらが、黒きものを招いた。


シルフィードは震える声で尋ねた。


「では、どうすればいいのですか。」


「私は、王を救いたい。」


「でも、王命によって国が傷つくなら、それを止めなければならない。」


「私は……何を選べばいいのですか。」


始祖はシルフィードを見つめた。


その視線は厳しく、けれど冷たくはなかった。


――その問いを、他者に委ねるな。


風が強くなる。


シルフィードの髪が大きく揺れた。


――風を継ぐ巫女よ。


――閉ざされた空を前に。


――お前は、何を選ぶ。


シルフィードは答えられなかった。


王を救いたい。


国を守りたい。


空を取り戻したい。


けれど、そのどれもが、簡単な言葉では済まないことを知ってしまった。


翠色の空間に、風だけが流れる。


始祖は静かに待っていた。


答えを。


風の巫女が、自分の翼で選ぶ答えを。

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