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無色と十二の旅(アルとジュウニのシルシ)  作者: Matyu
第4章:翠色の空(アルのフライト)
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第4章・第12話 越えたい背中

警戒鐘の誤報からしばらくして。


アルはギルドの訓練場にいた。


オルニスでは珍しく、風が弱い日だった。


訓練場に立つ者たちの声も、剣戟の音も、いつもよりはっきりと耳に届く。


「なるほどな」


向かいに立つハルトが頷いた。


「剣はしっかりしてる」


「ありがとうございます」


アルは剣を納めた。


軽い手合わせを終えたところだった。


ほんの短い時間だったが、ハルトの動きはやはり速かった。


二本の剣が別々の意思を持つように動き、こちらの逃げ道を塞いでくる。


勝負になった、とは言いづらい。


それでも、アルにとっては得るものの多い手合わせだった。


「学園仕込みか?」


「はい」


「納得だ」


ハルトは短く答える。


その後、少しだけアルを見た。


何かを思い出したように、目を細める。


「そういえば」


「はい?」


「お前の姓って、リンベルだったな」


「はい」


アルは頷いた。


「アル・リンベルです」


その瞬間。


ハルトの動きが止まった。


「リンベル……」


数秒の沈黙。


風が弱いせいか、その沈黙がやけに長く感じられた。


やがて、ハルトがゆっくりと口を開く。


「レオンと関係あるのか?」


アルは息を呑んだ。


ここで、その名前が出るとは思っていなかった。


けれど、誤魔化す理由はなかった。


「兄です」


ハルトの目が大きく開く。


「兄!?」


珍しく、はっきりと驚いていた。


「世界って狭いな……」


ハルトは頭を掻いた。


「まさか弟だったとは」


アルは静かに尋ねる。


「兄をご存知なんですか?」


「知ってるどころじゃない」


即答だった。


「今の俺があるのは、半分くらいレオンのおかげだ」


アルは黙って耳を傾けた。


兄を知る人。


兄のことを、そんなふうに言う人。


それだけで、胸の奥が少し熱くなる。


「最初は気に入らなかったんだ」


「兄がですか?」


「ああ」


ハルトは苦笑した。


「年下だったからな」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


当時のハルトは、自信があった。


風属性の実技も上位。


双剣にも自信があった。


将来は側近になる。


そう本気で思っていた。


だから、年下のレオンが周囲から認められていることが気に入らなかった。


強い。


判断が速い。


人が集まる。


そんな評価を聞くたびに、胸の奥がざわついた。


「模擬戦を申し込んだ」


「勝てると思ってた」


アルは思わず身を乗り出す。


「結果は?」


「惨敗」


即答だった。


アルは少しだけ目を丸くする。


ハルトは淡々と続けた。


「開始して一歩だった」


「気付いたら剣が首にあった」


「何が起きたか分からなかったな」


「悔しかったですね」


「悔しかった」


ハルトは頷いた。


「だから次の日も挑んだ」


「その次の日も」


「さらにその次の日も」


「毎日ですか?」


「ああ」


「毎日負けた」


今度はアルも思わず吹き出した。


ハルトも少しだけ笑う。


「でも、不思議だった」


「何がですか?」


「レオンだよ」


ハルトの表情が少し真面目になる。


「普通なら嫌になる」


「毎日挑まれて」


「毎日付きまとわれて」


「面倒だろ?」


アルは頷いた。


確かに、そうかもしれない。


「でも、レオンは逃げなかった」


「何度でも付き合った」


「勝っても威張らない」


「負けた相手を笑わない」


風が静かに吹いた。


弱い風なのに、その言葉だけははっきりと残った。


「だから余計に悔しかった」


ハルトは苦笑する。


「負けて悔しいのに、嫌いになれなかった」


アルは何も言わなかった。


兄らしい。


そう思った。


ハルトは訓練場の端へ視線を向ける。


「レオンはよく言ってた」


「速さに頼るな」


「相手を見ろ」


「考えろ」


「読め」


「その先を取れ」


「当時は意味が分からなかった」


ハルトは自分の手を見下ろした。


「今なら分かる」


「俺が今ここにいるのも」


「側近になれたのも」


「レオンのおかげだ」


アルは静かに聞いていた。


ハルトの言葉には、飾りがなかった。


必要以上に褒めるわけでもない。


思い出を美しく語ろうとしているわけでもない。


ただ、事実としてレオンを認めている。


それが、アルには嬉しかった。


同時に、胸の奥が少しだけ痛んだ。


ハルトは知らない。


兄が、今どこにいるのか。


兄が、何を抱えていたのか。


そして、アル自身もまだ何も分かっていないことを。


「勝てたんですか?」


アルが尋ねる。


ハルトは笑った。


「勝ってない」


「え?」


「一回もな」


あまりにも堂々と言うので、アルは思わず吹き出した。


ハルトは気にした様子もなく続ける。


「でも、一本取った」


「最後の模擬戦でな」


「その時だけ褒められた」


「嬉しかったですね」


「ああ」


即答だった。


その短い返事に、当時の思いが詰まっている気がした。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


夕暮れ。


訓練場を出た二人は、空を見上げていた。


オレンジ色に染まるオルニスの空。


昼間より少しだけ風が戻ってきている。


遠くを飛ぶ鳥族たちの影が、夕焼けの中を横切っていく。


「今でも思う」


ハルトが呟いた。


アルは顔を上げる。


「いつか越えたいってな」


風が吹く。


それは憧れではない。


尊敬だけでもない。


ずっと追い続けている目標。


ハルトにとって、レオンはそういう存在だった。


「また会ったら伝えてくれ」


ハルトが笑う。


「次は勝つって」


アルはすぐには答えられなかった。


喉の奥で、言葉が止まる。


兄は今、ここにはいない。


どこにいるのかも分からない。


それを言うべきなのか。


言えるのか。


ハルトの目にあるものは、再会を疑っていない人のまっすぐさだった。


アルは、その場で真実を言葉にできなかった。


だから、静かに頷いた。


「はい」


短い返事。


それ以上は、出てこなかった。


ハルトは気づかないまま、空を見上げていた。


「楽しみにしてる」


アルも同じ空を見る。


夕暮れの風が、二人の間を通り抜ける。


兄を知る人がいる。


兄を越えたいと願う人がいる。


その事実は嬉しかった。


けれど、胸の奥には小さな痛みが残った。


いつか、ちゃんと伝えなければならない。


そう思いながらも、アルはその言葉を飲み込んだ。


オルニスの空は、静かに夕闇へ沈み始めていた。


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