第3章・最終話 碧の継承
地下広場には、
静かな水音だけが残っていた。
黒い汚染は消え去り。
濁っていた地下水は、
少しずつ本来の碧を取り戻していく。
崩れ落ちた男を、
兵士達が拘束していた。
かつて水国を統べていた王。
だが今はもう、
その威厳も面影もない。
力なく俯き、
虚ろな目で床を見つめていた。
レイオスが冷たく告げる。
「……ヴァルディオン」
「国家反逆、
並びに汚染水による大量殺害未遂」
「水国王族として拘束する」
兵士達が男を連れていく。
男は抵抗しなかった。
地下牢へ続く暗い通路へ、
静かに消えていく。
その背を、
アルは黙って見つめていた。
“無色”。
兄。
王の最後の言葉が、
頭から離れない。
だが。
今はまだ、
立ち止まっている場合ではなかった。
地下広場の封鎖。
汚染水の浄化。
負傷者の救護。
水国全体は、
すぐに動き始めていた。
けれど。
コラプトの脅威が、
完全に去った訳ではない。
地下水路には、
まだ汚染の痕跡が残っている。
王族派の残党もいる。
民の不安も、
すぐには消えない。
それでも。
最も深い淀みは、
確かに断ち切られた。
地下広場。
アル達だけが残っていた。
ミレーナの肩では、
碧スライム化したクウが、
嬉しそうに跳ねている。
「きゅう!」
ミレーナが、
そっとその身体を撫でる。
碧い光。
水の印。
まだ、
加護の余韻が残っていた。
その時だった。
クウが突然、
アルの方へ跳ねる。
「……クウ?」
クウはアルの胸へ飛び込むと、
身体を強く輝かせた。
次の瞬間。
碧い光が、
ゆっくり分離していく。
そして。
クウは、
いつもの姿へ戻った。
その隣には――
もう一体。
小さな碧スライム。
ミレーナが目を見開く。
「……分裂した」
碧スライムは、
ゆっくりミレーナへ近付く。
そして。
ぴょん、と彼女の肩へ乗った。
碧い紋章が、
淡く共鳴する。
ミレーナが目を見開く。
「これは……」
碧スライムは、
嬉しそうに揺れる。
まるで。
自ら主を選んだかのように。
ミレーナは、
そっと碧スライムを抱き上げた。
小さな身体が、
嬉しそうに揺れる。
ミレーナは優しく微笑む。
「……アクエリア」
その名を呼んだ瞬間。
碧い光が、
彼女の紋章へ溶け込むように広がった。
レイオスが静かに息を吐く。
「……水の印に、
認められたんですね」
その様子を見ていたクウが、
ぴょん、とアルの肩へ飛び乗る。
「きゅう」
アルは小さく微笑んだ。
地下広場へ、
穏やかな空気が流れる。
長い戦いは、
ようやく一区切りを迎えたのだった。
数日後。
アクアリオン王城。
水国は、
混乱の収束へ向けて動き続けていた。
地下水路の封鎖。
汚染区域の浄化。
コラプト残党の捜索。
王族派の取り調べ。
未だ、
国の傷跡は深い。
それでも。
人々は少しずつ、
前を向き始めていた。
ミレーナは正式な継承を待つ間、
巫女代行として国の指揮を執っていた。
全てが終わった訳ではない。
けれど。
今この国には、
彼女の声が必要だった。
出発の日。
王城前。
アルは旅支度を整えていた。
クウも鞄の上で揺れている。
レイオスが腕を組む。
「……もう行くのか」
アルは小さく頷いた。
「えぇ」
「次の印を探しに行かないと」
レイオスは少しだけ笑った。
「相変わらず忙しい人だな」
その時。
ミレーナが、
静かにアルの前へ立つ。
肩には、
アクエリアが乗っている。
両手には、
一つの装具があった。
碧水晶を埋め込んだ、
銀色の腕輪。
水流のような紋様が刻まれている。
ミレーナが言う。
「これはアクアリオンに伝わる
碧装具です」
「水属性との共鳴、
並びに水流制御補助術式が刻まれています」
アルが目を見開く。
「……いただいても、
よろしいんですか?」
ミレーナは優しく微笑んだ。
「はい」
「貴方は、
この国を救ってくださいました」
「それに――」
少しだけ、
表情が柔らかくなる。
「また、
帰って来てくださるのでしょう?」
アルも小さく笑った。
「えぇ」
「必ず戻ります」
ミレーナは、
碧装具をアルへ渡した。
アルが腕輪を装着した瞬間。
腰の魔剣へ、
淡い碧光が一瞬だけ走る。
まるで、
水の印へ反応するように。
だが。
剣はすぐに、
元の姿へ戻った。
ネレイは、
あの戦いの中でだけ現れた姿。
今はまだ、
眠っている。
レイオスが口角を上げる。
「似合ってるぞ」
アルは照れたように頭を下げた。
「ありがとうございます」
クウが嬉しそうに跳ねる。
「きゅう!」
ミレーナの肩のアクエリアも、
小さく揺れた。
水の印は、
確かに繋がった。
アルは再び旅立つ。
次なる印を求めて。
その背が、
少しずつ遠ざかっていく。
ミレーナは、
静かに見送っていた。
肩のアクエリアが、
小さく揺れる。
その隣へ。
レイオスが並ぶ。
「……行っちまいましたね」
「はい」
ミレーナは、
少しだけ寂しそうに微笑んだ。
レイオスが肩を竦める。
「あの人は、
止まるタイプじゃないですからね」
ミレーナは小さく笑った。
「ふふ……
そうですね」
風が吹く。
王城前の水路が、
穏やかに揺れた。
しばらく沈黙が続き――
ミレーナが静かに口を開く。
「……レイオス」
「はい」
「これからも、
支えてくれますか?」
レイオスは少し目を丸くする。
そして。
すぐに笑った。
「今更何を言っているんですか」
「最初から、
そのつもりですよ」
ミレーナは、
少しだけ目を伏せた。
胸の奥が、
ほんの少し温かかった。
以前とは違う。
側近としてだけではない。
隣にいてくれる事が、
嬉しいと思ってしまう。
そんな自分に気付き――
ミレーナは小さく微笑んだ。
「……よろしくお願いしますね」
レイオスも笑う。
「えぇ。
こちらこそ」
碧の国は、
まだ傷付いている。
それでも。
二人は並んで前を向く。
これから共に、
この国を支えていくために。




