第1章・第1話 旅の朝
朝だった。
静かな光が、部屋の中に差し込んでいる。
昨日と同じはずの朝。
だが。
もう、同じではなかった。
「……」
アルトゥスはゆっくりと目を開ける。
天井を見上げる。
何も変わらない。
だが。
胸の奥だけが、確かに違う。
「……行くんだな」
小さく呟く。
言葉にすることで、現実になる。
クウが、ぴょんと跳ねる。
ベッドの横で、小さく揺れている。
「……お前も、行くんだよな」
返事はない。
だが。
それで十分だった。
アルトゥスは体を起こす。
剣を手に取る。
これまで使ってきたもの。
慣れた重さ。
慣れた感触。
だが――
一瞬だけ、手が止まる。
それを腰に差す。
今日からは違う。
そう思った。
部屋を出る。
廊下を歩く。
足音が、やけに響く。
居間に入る。
母親が食事を用意していた。
父親もすでに座っている。
そして――
その少し後ろ。
控えめな位置に、セリーナが立っていた。
いつもの巫女装束。
だが。
この家の中では、どこか浮いている。
「……」
一瞬だけ目が合う。
セリーナは軽く会釈をした。
アルトゥスも小さく頷く。
席に着く。
「……いただきます」
食事が始まる。
静かだった。
箸の音だけが、淡く響く。
無理に言葉はいらない。
その空気を壊すように。
母親が、ふと口を開く。
「……今日、出るのね」
「うん」
短く答える。
「王都まで、セリーナ様が一緒なんだっけ」
「うん」
その時。
「はい」
静かな声が入る。
セリーナだった。
一歩下がったまま、言う。
「昨日はお世話になりました」
母親は小さく首を振る。
「いえ……こちらこそ」
それ以上は続かない。
だが。
それで十分だった。
母親は改めてアルトゥスを見る。
「その先は?」
アルトゥスは一瞬だけ止まる。
そして。
「……一人で行く」
はっきりと言う。
母親の手が、わずかに止まる。
だが。
何も言わない。
昨日、すべて話している。
「……そう」
それだけだった。
食事が終わる。
静かに席を立つ。
外へ向かう。
その時。
「……待て」
低い声。
父親だった。
アルトゥスは振り返る。
父親が立ち上がる。
その手に、一振りの剣。
見慣れない。
だが。
ただの剣ではないと分かる。
「持っていけ」
短く言う。
アルトゥスは近づき、それを受け取る。
ずしりとした重み。
だが。
妙に手に馴染む。
「……これは」
父親は答える。
「ただの剣じゃない」
それだけ。
そして。
「本来は、属性を乗せて使う」
アルトゥスの視線がわずかに変わる。
「……属性剣、ですか」
「そうだ」
短い肯定。
「今のお前じゃ使えん」
はっきりと言う。
アルトゥスは黙る。
分かっている。
魔法が使えない自分には、意味がない。
だが――
「いずれ使えるようになる」
父親の声は変わらない。
だが。
そこには確信があった。
アルトゥスは剣を見る。
今はただの剣。
それでも。
違う。
何かがある。
「……預かる」
短く言う。
父親は頷く。
「壊すなよ」
それだけだった。
だが。
それがすべてだった。
アルトゥスはその剣を腰に差す。
重みが増える。
背負うものの重さのように。
母親が、小さく息を吸う。
「……気をつけて」
それだけを言う。
アルトゥスは頷く。
「……行ってくる」
扉を開ける。
外の空気。
少し冷たい。
だが。
嫌じゃない。
門の前。
朝の光の中に、道が伸びている。
アルトゥスは一度だけ振り返る。
家。
母親。
父親。
そこにある。
変わらずに。
母親が、小さく手を振る。
父親は何も言わない。
ただ、見ている。
アルトゥスは軽く頷く。
それで十分だった。
前を向く。
歩き出す。
クウが、ぴょんと跳ねる。
その後を追うように。
セリーナが並ぶ。
何も言わない。
だが。
その距離は、確かにある。
村の外へ出る。
道が続いている。
知らない世界へ。
アルトゥスは前を見る。
「……行きます」
小さく呟く。
それは誰に向けたものでもない。
ただ。
自分への言葉。
その一歩で。
旅が始まる。




