第5章・第1話 盾の国ベスティア
土の道は、重かった。
それは歩きにくいという意味ではない。
足を踏み出すたびに、地面がしっかりと受け止めてくれる。
風に揺れる草原とは違う。
水辺の道とも違う。
ここにある土は、動かない。
逃げない。
揺らがない。
踏み込めば、その足を支える。
そんな力を持っていた。
アルは道の先を見つめた。
遠くに見える王都は、巨大な盾のようだった。
幾重にも重なる城壁。
その外側に広がる段状の防壁。
王都へ続く道の左右には、低い土塁と見張り台が並んでいる。
門へ近づくほど、道は緩やかに狭くなり、自然と人の流れが整理されていく。
敵が押し寄せれば勢いを削ぎ、民が避難する時には道筋を示す。
そう考えて作られた構造なのだと、見ただけで分かった。
「すごい……。」
アルは思わず呟いた。
肩の上でクウがぷるんと揺れる。
『くぅ。』
「ベスティア獣王国は、土属性をメイン属性とする国なんだ。」
アルは、肩の上のクウに小さく説明する。
「学園で習ったよ。獣族ヴィータと土属性の相性がよくて、防御と前衛を担う国だって。」
『くぅ。』
「危険が来た時に、誰かが前に立つ。王都全体が盾みたいに作られてるのも、そのためなんだと思う。」
王都ベスティア。
ベスティア獣王国の王都。
その名の通り、王都全体が巨大な盾のように構えられていた。
外からの危険を受け止めるために。
中にいる者を守るために。
そして必要なら、誰かが前に立つために。
門の周辺には、兵士たちが立っていた。
彼らの動きは、慌ただしくはない。
けれど、人の流れや荷車の動き、立ち止まった旅人の様子をよく見ている。
ただ警戒しているというより、困っている者がいればすぐに動けるようにしている。
そんな印象だった。
一人の兵士が、門の前で手を上げる。
「止まれ。」
声は荒くない。
けれど、通すべきものと止めるべきものを見極める、落ち着いた響きがあった。
アルは素直に足を止めた。
「旅人か。」
「はい。」
『くぅ!』
クウが元気よく鳴く。
兵士の視線がクウへ向く。
「スライム連れか。」
「はい。僕の仲間です。」
兵士はアルを見た。
それから、クウを見る。
クウは肩の上で丸くなり、ぷるんと揺れた。
『くぅ。』
兵士はしばらく黙っていたが、やがて短く頷いた。
「身分証は。」
「ギルドカードがあります。」
アルは荷物からギルドカードを取り出し、兵士へ見せた。
兵士はカードを確認する。
「冒険者か。」
「はい。」
兵士は短く頷き、道を空けた。
「ようこそ、ベスティアへ。」
その一言は、思っていたよりも柔らかかった。
アルは少し驚いてから、頭を下げる。
「ありがとうございます。」
アルはギルドカードをしまい、門をくぐった。
その瞬間、空気が少し変わった。
外よりも静かだった。
人の声はある。
市場の音もある。
荷車も通っている。
けれど、どこか整っている。
道は広く、途中でいくつもの横道に分かれている。
建物の間には、広場のような空間が定期的に設けられていた。
そこには水場や備蓄倉庫、簡易の治療所らしき建物がある。
避難のための場所だ。
アルはそれに気づき、足を止めた。
「王都の中にも、防衛区画があるんだ。」
道端に立っていた案内板には、区画ごとの避難経路が描かれていた。
第一避難路。
第二避難路。
防壁閉鎖時の移動経路。
前衛隊集合地点。
地盤安定柱。
大盾中枢連絡路。
その文字を、アルは目で追った。
「大盾中枢……。」
肩のクウが首を傾げるように揺れる。
『くぅ?』
「学園で名前だけは聞いたことがある。」
アルは案内板に刻まれた盾の印を見る。
「王都の防壁や避難区画、地盤安定、警戒網をまとめて管理する施設……だったはず。」
アルは、王都の中心部から伸びる線を目で追った。
「この国の守りを支える場所なんだね。」
『くぅ。』
ギルドへ向かう道中、王都の様子を見ていく。
建物は頑丈で、道は整理されている。
角には見張り台があり、兵士たちは周囲を見守っている。
大きな通りには、避難訓練のためだろうか、矢印の描かれた石板が埋め込まれていた。
民もそれに慣れているようで、荷車は通行帯を乱さず、店は非常時にすぐ畳めるような造りになっている。
守るために作られた町。
危険が来た時、誰かが迷わず動ける町。
その完成度は高かった。
通りの一角では、荷台から木箱が傾きかけていた。
通りかかった男がすぐに手を伸ばし、箱を支える。
近くにいた別の者が、子どもをそっと後ろへ下げた。
大きな騒ぎにはならない。
誰かが困れば、自然と誰かが前に出る。
木箱を支えた男は、商人へ笑って言った。
「危ないところだったな。」
「助かったよ。ありがとう。」
「この通りは少し傾きがある。重い荷なら、反対側を通った方がいい。」
「覚えておく。」
そんな会話が、当たり前のように流れていく。
危険の前に立つ。
守るべきものを見極め、動く。
ベスティア獣王国には、その文化が根づいている。
アルはそう感じた。
だからこそ、少しだけ気になることもあった。
横道の先に、小さな門が見えた。
外区へ繋がる門らしい。
門は閉ざされている。
前に立つ兵士が、通ろうとする商人へ説明していた。
「今日は通れないのか?」
商人が尋ねる。
「午前中は点検だ。午後からは通れる予定になっている。」
兵士は、手元の板を確認しながら答えた。
「外区の倉庫に荷があるんだ。午後だと少し遅れるな。」
「急ぎなら、南側の通用門を使える。少し遠回りになるが、荷車なら通れる幅はある。」
「南側か。」
「案内を出そうか?」
兵士が近くの若い兵士へ視線を向ける。
若い兵士はすぐに頷いた。
商人は少し考えてから、首を横に振る。
「いや、大丈夫だ。道は分かる。午後まで待つよりは南を回るよ。」
「すまないな。大盾中枢の確認が終わるまで、ここは開けられない。」
「分かった。守るためなんだろ?」
商人は苦笑する。
兵士も少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「ああ。だが、なるべく困らせないようにはする。」
「ならいいさ。」
商人は荷車の向きを変え、南側の道へ進んでいった。
一方的に追い返されたわけではない。
兵士の対応も丁寧だった。
別の道も示している。
街は、ちゃんと人を守ろうとしている。
それでも、アルは閉ざされた門を見つめた。
守るための壁。
通る者を守るために閉じる門。
その判断は、きっと必要なものなのだろう。
でも、それが増えすぎたら。
守るための壁は、いつか人の選択を狭める壁にもなってしまうのかもしれない。
「クウ。」
『くぅ?』
「この国は、すごく守ることを大事にしてる。」
『くぅ。』
「でも……守るための壁って、閉じ込める壁にもなるんだね。」
クウは少し考えるように揺れた。
そして、アルの頬に身体を寄せる。
『くぅ。』
「うん。まだ分からない。」
アルは歩き出す。
「まずはギルドへ行こう。」
王都の中央通りを進むにつれ、盾の意匠が増えていく。
建物の壁。
街灯の支柱。
案内板。
店の看板。
どこかしらに、小さな盾の形が刻まれている。
それは威圧のためではなかった。
この場所は守られている。
危険があれば、誰かが前に立つ。
そう伝える印のようだった。
アルは遠くに見える大盾中枢の方角を見た。
王都を支える巨大な盾。
この国の守りを司る場所。
そこから伸びる見えない線が、王都の壁や避難路を動かしている。
その盾は今、何を守ろうとしているのだろう。
そして、何を選ぼうとしているのだろう。
やがて、前方に大きな建物が見えてきた。
厚い石壁。
太い柱。
入口の上に掲げられた冒険者ギルドの紋章。
その下には、盾の意匠が組み込まれている。
ベスティア冒険者ギルド。
ただ依頼を受ける場所ではない。
非常時には、防衛と避難の拠点にもなるのだろう。
入口の横には、案内板が立っている。
防壁閉鎖時の連絡所。
避難時集合地点。
困りごとや異変があれば、ギルドへ。
その文字を見て、アルの足がわずかに止まった。
「困りごとや異変があれば、ギルドへ……。」
クウが小さく鳴く。
『くぅ……。』
アルはギルドの扉を見上げた。
ここで、何が分かるのだろう。
この国の壁が守ろうとしているもの。
その壁が、何を選んでいるのか。
そして、王都の外で起きている異変。
アルは一度だけ深呼吸をした。
土の匂いがした。
重く、確かで、揺らがない匂い。
「行こう、クウ。」
『くぅ!』
アルはベスティア冒険者ギルドの扉へ手を伸ばした。
守るために築かれた国。
危険の前に立つ王都。
その旅の最初に、アルが見たのは。
優しく人を支える、堅牢な壁と。
その壁が、ほんの少しだけ人々の選択を狭め始めている気配だった。




