98話 値段のつかないもの
「おう。リナ。悪い。ちょっと店番しててくれ」
店長が私にそう言った。
「すぐに戻る。お客が来たら、待っててもらえ」
おかみさんはいない。
店長はそう言って急いでどこかに行ってしまった。
どうしよう。
一人きりでお店にいたことはない。
私は元スリだ。
こんな私に店番を任せるなんて。
店長ったら。
私に盗まれたらどうするの。
ぶつぶつ言いながら掃除を続ける。
毎日掃除してても何故かほこりが出てくる。
「早く店長来ないかな」
さみしいわけじゃない。でも、なんだか落ち着かない。
ドアのそばで床を拭いていた。
「おや。店長はご不在かな?」
恰幅のいい紳士が店内に入ってきた。
手にはステッキと、大きな鞄。
「すぐ戻るとのことです。お待ち頂くように申しつけられています」
急いでお茶を出す。
店の端には商談用にイスとテーブルがある。
出来るだけ丁寧に、お出しする。
「見ない子だね」
「最近雇われました」
「そう。」
紳士は、そっとカップに口を寄せてお茶を飲む。
「上手だ」
「ありがとうございます!」
「ここの店長は厳しいから。でも教わることも多い。頑張りたまえよ」
優しく微笑まれる。
「ハイ!頑張ります!」
「さて、店長が来るまで時間があるのだろう?私とちょっと話さないか?」
何を言われているのかよく分からずに、はい、と返事する。
「相談に乗ってほしいんだ」
紳士は鞄から時計を二つ取り出した。
時計は片方が動いていなかった。古びてはいたがとてもきれいな装飾。
「これは壊れたままなんだ」
もう一つは、動いていた。新しそうだがシンプルで実用的な品だった。
「さて、この二つのうち一つを売ろうと考えているんだ。」
「君ならどっちを売る?」
紳士はニコニコと私の顔を見る。
困った。
こういうことは分からない。
でも、
相談に乗ってほしいとお客は言った。
時計をよく見る。
壊れた時計は、昔は使い込まれたものだろう。金属がすり減っているところがある。
装飾はきらびやかだが、流行おくれだ。
「これはどなたか愛用のものでしたね?」
紳士はにっこりした。
「そうなんだ。よくわかったね。」
「親しい方ですか?」
「そう。でも。もう、その人はいない」
「そうですか。」
「他に時計はないのですか?」
「ないんだ」
売るなら、壊れた時計だろう。
直せば流行おくれであっても高値で取引される。
そして、普通に考えれば、動く時計を手元におくべきだ。
私ならそうする。
でも。
「私にも、売れないものがあります。役に立たなくても手放せないものです。両親の形見だからです」
「ほう」
「この動かない時計が、あなたの思い出となるならば、手元に置くべきでしょう」
「そうか。やはり。」
紳士はしばらく呟いていた。
そして急に顔をあげて私の手を取った。
「あなたの言うとおりだ。私は迷っていた。愛する妻の遺品を売ってしまうかどうか。」
店長が戻ってきた。
「おかえりなさい」
「おう。ありがとうよ。」
「この方が......」
「店長。この子から良いアドバイスをもらっていました。」
ニコニコと紳士は店長と商談を始めた。
商談はまとまったらしい。
握手をしてから帰って行った。
「やけにお前のこと褒めていたぞ」
「あの人は最近奥さんを亡くしてね。気落ちしていたんだ。レナの言葉が『胸に沁みた』って言ってたぞ。何言ったんだ?」
「べ、別に......。」
「店長。もう。どこもいかないでください。緊張しました」
「なんだ。褒めているのに」
一呼吸おいて店長は頭を撫でてくれた。
「レナ。いいか。商売ってのはな、“物”じゃねえ。“気持ち”を扱うんだ。お前はお客から褒められたのさ」
心臓が跳ね上がった。
「私は掃除します!」
気が付くとさっき拭いたところをまた掃除していた。
――その頃オリバー
村の外れ。牛小屋の向こう側。
いつもの訓練場。
「……くそっ」
水球が、木に当たって弾ける。
狙いが甘い。
もう一度。
「……っ!」
今度は当たる。
でも――弱い。
「遅いな」
後ろから声がした。
振り向くと、父さんが腕を組んで立っていた。
「……見てたの?」
「まあな」
オリバーは、視線を逸らす。
「熊のときも、そうだったらしいな」
「……」
「助けたのは事実だ。だが――」
父は少しだけ間を置く。
「“守れた”とは、言わん」
その言葉が、胸に刺さる。
リナの顔が浮かぶ。
泣いていた顔。
震えていた手。
(守れて、なかった……)
唇をかむ。
「自分は……」
言葉が詰まる。
「どうしたい?」
父さんの声は静かだった。
「……守りたい」
やっと出た言葉。
「守りたい、か」
父さんは少しだけ意味ありげに笑った。
「なら、力をつけろ」
それだけだった。
簡単で。
重い言葉。
もう一度水球を作る。
今度は――
さっきより、少しだけ強く。
「強くなりたい」
誰に向けた言葉か、自分でも分かっていた。
同じ空の下で、
それぞれが、少しだけ前に進んでいた。
オリバーは、もう一度水球を作る。
さっきよりも――
少しだけ、強く。
「......次は」
小さく呟く。
その言葉の続きを、まだ自分でも、うまく言えない。
でも、
守りたいものは、もう決まっていた。




