第90話 届いた言葉・届かない言葉
「ただいま!帰ってこれなくてごめんね!」
粗末な小屋のドアを開ける。
外はまだ明るい。つばめが飛んでいる。
けれど、部屋の中は薄暗かった。
「お姉ちゃん!」
奥のベッドから、身を起こす気配。
妹だ。
にこりと笑う。
それだけで、胸の奥がほどけた。
「教会から言づてがあったの。お姉ちゃん、しばらく帰れないって」
「でも、『ちゃんと戻れる』って聞いたから……待ってたよ」
笑っているのに、今にも泣きそうな顔。
両腕を広げる。
「心細かったね」
ぎゅっと抱きしめた。
「ごめんね。ちょっとしくじって。でも、もう大丈夫」
「治してもらったから。傷も、ほとんど残ってないと思う」
「……しばらくは、走れないけど」
「もう……お姉ちゃん。ちゃんと大事にしてよ」
妹が、そっと体に触れる。
「あれ?ポケットに何か入ってる」
――そのとき、気づいた。
何も持っていないはずなのに。
出てきたのは、あの手紙だった。
……なんで、持ってきたんだろう。
「なあにそれ?うわあ、字?なんて書いてあるの?」
妹は文字が読めない。
私もちゃんと習ったわけじゃないけど、少しだけ読める。
でも――
これは、見せたくない。
スリをしていたこと。
全部、書かれている。
けれど。
「読んで」
そう言われて、断れなかった。
……いいか。
もう、仕方ない。
今はそれより、ここにいる時間の方が大事だ。
手紙を開く。
ゆっくりと、声に出して読む。
妹は、静かに聞いていた。
最後まで、何も言わずに。
読み終える。
「……お礼なら、教会で書いて出したよ」
思わず、言い訳みたいに付け足す。
怒られると思ったから。
でも――
妹は、ただ静かに私を見ていた。
「お姉ちゃん」
やさしい声。
「そんなふうに治療費を出してくれる子どもなんて、そういないよ」
「……」
「お姉ちゃんがここにいること、奇跡だと思ったの」
ぽろぽろと涙がこぼれる。
「ありがとう……私も、お礼したい」
小さく、手を組む。
「あの人たちに、幸せがありますように」
――そうだ。
あれは、奇跡だったのかもしれない。
遠いどこかにいるはずなのに。
今すぐ、会いに行きたい。
そんな気持ちが、胸の奥に灯る。
――学校――
「やべー!手紙来た!」
「やったあ!読んでもらえたんだ!」
「出してみるもんだな」
「……ちゃんと、届くんだな」
四人で顔を見合わせる。
その顔は、少しだけ照れていた。
宛先は学校にしていた。
そこなら、必ず届くと思ったからだ。
今朝、ノア先生が封書を渡してくれた。
「どんな知り合いなのですか?この間の教会……ですよね?」
「うん。命の恩人なんだ」
「オリバーを助けてくれたんだよ」
「轢かれそうだったとき、腕を引っ張ってくれて」
「その代わりに、あの子が怪我を……」
ノア先生は静かに聞いていた。
けれど――
一瞬だけ、表情が曇る。
ほんのわずかに、手が震えた。
それでも、すぐに微笑む。
「そうなのですね。お礼が言えて、本当によかった」
「大切になさい」
そう言って、教室を出ていった。
「なんて書いてあるんだ?」
レオが手紙を開く。
たどたどしい字。
でも、まっすぐで、力強い。
「えーと……『手紙ありがとうございます』」
「ありがとうだって!」
ガイルが声を上げる。
読み進める。
自分が悪かったこと。
体が勝手に動いたこと。
もう体は動くこと。
そして――
『ごめんなさい。私の方が助けてもらったのに、お礼も言えなかった。ありがとうございました』
静かになる。
「……いい子だな」
レオがぽつりと呟く。
「ほんとだな」
「思ってたのと違う」
「最初はただのスリだと思ってた」
「でも――」
オリバーが、小さく息をつく。
「返事、くれた」
ちゃんと話したわけじゃない。
それでも。
気持ちは、届いた。
そんな気がした。
――廊下――
「命の恩人が、生きていることは……とても幸せなことなのですよ」
誰にも聞こえないほどの、小さな声。
「私の恩人は……」
その先は、言葉にならなかった。
初夏の、気持ちのいい日。
澄んだ空に、渡り鳥が飛んでいく。
同じ空の下で。
それぞれの想いが、少しだけ繋がっていた。




