第84話 知らないままでいられるなら
ー夜 校長室ー
窓の外は、静かだった。
流星群の夜から、数日。
もう星は流れていない。
机の上に、一通の封書。
重厚な紙。
見慣れない紋章。
校長は、それをじっと見ていた。
「……ようやく、か」
小さく呟く。
指先で封をなぞる。
開けるべきかどうか、迷うように。
だが。
やがて、ゆっくりと開封した。
紙の擦れる音だけが、部屋に響く。
中の文面に目を通す。
その瞬間。
校長の表情が、わずかに変わった。
「……そうか」
短い言葉。
だが、その声には重みがあった。
椅子に深く座り直す。
「長かったのう」
目を閉じる。
遠い昔を思い出すように。
「……間に合った、というべきか」
しかし。
次に出た言葉は、静かに沈んでいた。
「それとも――遅すぎたか」
沈黙。
再び、文面を見る。
その中の一文に、視線が止まる。
「……“生存”……」
ぽつりと、漏れた言葉。
部屋の空気が、わずかに張りつめる。
校長はゆっくりと立ち上がり、窓の外を見る。
暗い空。
何も流れていない夜。
「……皮肉なものじゃ」
小さく笑う。
「こういう時に限って、星は流れぬ」
手の中の紙が、わずかに揺れる。
「知らぬ方が、幸せかもしれんのう」
誰に向けた言葉でもない。
「……いや」
すぐに否定する。
「もう、止められん」
静かに言い切った。
机に戻り、封書を封筒に戻す。
鍵付きの引き出しを開ける。
その中には、いくつかの書類。
どれも古い。
そして。
その一番下に、同じ紋章の封書がいくつもあった。
「……これで、最後か」
今回の封書を重ねる。
鍵をかける。
カチリ、と音がした。
その瞬間。
廊下の向こうで、足音が止まった。
校長の目が、わずかに動く。
「……誰じゃ」
返事はない。
静寂。
だが確かに、“誰か”がいた。
扉の向こう。
気配だけが残る。
やがて、足音は遠ざかっていった。
再び、静かな校長室。
校長はしばらく扉を見つめたあと、小さく息を吐いた。
「……気づいたか」
その言葉の意味は、誰にも分からない。
窓の外。
変わらない夜。
そのはずだった。
何かが、確実に動き始めていた。
もう、
北の山は、白かった。




