35話「魔術学院の猟犬」
現れたのは獣人族の女だった。
立派な長い耳が存在を誇示するように突き立っている。
着ているのは濃緑色のローブ。
それは導師だけに着用が許されるものだ。
導師は魔術学院でも高位の魔術師に与えられる地位なので、それなりの実力者ということだ。
ガルディオは一目見て息が詰まりそうになった。
……魔術学院の『猟犬』。
学院にとって都合の悪い人物を消して回っているとか、禁じられた魔術を研究しているとか、いろいろと闇の深い噂が飛び交っている。
噂でしか聞いたことがないが、獣人の導師など他にはいないだろう。
猟犬がなぜここに……?
獣人女は見下ろすように室内の面々を見渡した。
「あぁ、アタシのことは気にしなくていいから。つまんない話し合い続けてどーぞ」
やる気のない口調でそこそこ無礼なことを言いつつ、空いている席を見つくろって勝手に座った。
そればかりか、こともあろうか足を円卓に投げだしたのだ。
ローブの裾から伸びる白い太ももが、厳めしい議場には似つかわしくなく、まぶしい。
「魔術師か……そのほうは?」
不快感を隠そうともせずにアミリアヌスが詰問した。
「アタシはリュドミラ。一応、魔術学院の代表者ってことになるのかなー?」
「おまえなどが代表者だと申すのか?」
「そう。まー、代理の代理のそのまた代理ってとこだけど」
「学院長はどうしたのだ?」
「そんなの、とっくに逃げちまったって」
リュドミラはひらひらと手を振る。
「逃げた……だと?」
「そりゃね。うちの学院長バカじゃないし。だって夜が来るんでしょ? まともな脳みそしてたら逃げるっしょ」
愕然としたのはアミリアヌスだけではなく、先ほどまで主戦論に沸いていた騎士連中も冷水をぶっかけられたような顔である。
リュドミラはその様子を見て怪訝そうにした。
「え、なにこの空気? 逃げる話し合いをしてたんじゃないの?」
「なにを言うか! たった今、戦うと決まったところである!」
「ほんとっ!? マジで!? 嘘じゃないよね!?」
すると、リュドミラが急にガバっと立ち上がり、アミリアヌスに満面の笑顔を向けた。
さきほどまでのやる気のなさはどこへやら、少女のようにはしゃいでいる。
「なんだーてっきり逃げる算段してるのかと思ったー! で、だれだれっ? どこの強者様が魔族と戦ってくれるのっ!?」
「無論、我らよ!」
アミリアヌスが誇らしげに手を広げる。
騎士たちがそれに同調して「おうよ!」とうなずいてみせる。
しかし。
「……あぁそう……おたくらすか……」
リュドミラはがっくりと肩を落とした。
はた目にもわかるほどがっかりして、瞳から輝きが失せていく。
はぁ、とため息までつく。
「ど、どうしたというのだ?」
「……秒殺」
「は?」
「秒で殺されるから」
「なんだと?」
「だってさぁ……」
と、リュドミラは居並ぶ騎士に憐れみのこもった目をむけて。
また、ため息をつく。
「……そこのチョビヒゲ、田舎じゃ負けなしでも王都で鼻へし折られたっしょ。つぎへし折られるのはクビだって。で、そっちの派手なボン、おたくなんて正道派剣術のEランクでしょ? 初心者じゃん。他の騎士さんも似たり寄ったり」
内容もさることながら、騎士の個人情報にやけに詳しいのがガルディオには気になった。
学院が日ごろから権力者の身の上を嗅ぎまわり、いざというとき脅しの材料に使っているという噂はどうやら事実だったようだ。
それにしても。
よくアミリアヌスがおとなしく聞いているものだ……。
とガルディオは思ったが、見ればアミリアヌスの顔は真っ赤に染まり、全身が怒りのあまり震えている。
どうやら怒りすぎて言葉が出ないだけのようだ。
「我が郎党を愚弄することは許さんぞ! 下賤な獣ごときが!」
「あれ、総督さんが人種差別ですか……? アタシ市民なんですけど」
「獣は人にあらず!!!!」
その暴言に、それまで輝きが失せていたリュドミラの目の奥でなにかが光った。
「おたくさぁ、王都で完全に終わってんだって? 自分の状況が苦しいからって他人を無謀な戦に巻き込むなよなぁ」
「獣に名誉のなにがわかるものか!」
「瞬殺」
「!?」
「郎党は秒殺だけど、おたくは瞬殺。魔族はカネじゃ買えないからね」
「こ、こ、この……!!!」
「総督さんさ。おたくも正道派だけどDランクの免許カネで買ったっしょー? 金貨50枚だっけ? ずいぶん払ったねえ。剣術免許をカネで買ったと知ったら、魔族も笑うんじゃね?」
さすがに挑発しすぎだ……!
ガルディオが止めようと思ったとき。
「我が名誉、その首であがなえい!」
アミリアヌスがいきなり剣を抜いた。
怒気のこもった声、血走った目。
本気で斬るつもりであることは誰の目にも疑いようがなかった。
議場が騒然とするなか、リュドミラは動じなかった。
むしろおもしろがるような表情を浮かべる。
「へー。抜く度胸あったんだー?」
「もはや是非もなし! そこへなおれ!」
「魔族と戦うって話はどこいったの?」
「貴様を斬ってからそうさせてもらう!」
殺気まみれの目で睨みつけられても、リュドミラは平然としている。
それどころか。
「受けて立とう。口だけ大将じゃないってところ、見せてもらおうじゃん」
と、人差し指を頭上にかかげ、なにやら言葉を発し始める。
ガルディオにはすぐにわかった。
あれは魔術の詠唱だ。
「雷撃よ、来りて我が敵を悉く討ち滅ぼせ!」
それは、中位の雷属性魔術『召雷』の詠唱だった。
指先から迸った魔力が中空で複数の雷撃になり、広範囲に降り注ぐのだ。
危険すぎる……!
こんな狭い室内で使えば、対象を絞ることなど不可能だ!
ガルディオは凶行に驚くと同時に、己に治癒術をかけるための集中をはじめた。
しかし。
雷撃など発生しなかった。
猛り狂っていたアミリアヌスが突然ぐるんと白目を剥き、膝から崩れ落ちるように倒れた。
その光景を見た騎士たちが、怒声を上げながら剣の柄に手をかけ、ガタっと椅子を蹴立てる。
が、しかし。
立ち上がろうとする勢いのまま全員ばたばたと倒れてしまう。
「やっぱ秒殺だったね。こんなんじゃ戦いにならないよ」
なにが起こったのかだれもわからず、沈黙に満ちた時間が過ぎる。
リュドミラは詠唱で嘘をついたのだ、とガルディオはようやく気づいた。
魔術を発動するために詠唱は必須ではない。
だが。
多くの魔術師は、反復練習した詠唱をすることで即座に集中状態に入り、魔力を増幅させたり発動速度を早めたりするように自分を条件付けさせている。
そのおかげで魔術の発動に必要な集中状態に苦もなく入れるのだ。
リュドミラは、口では『召雷』を詠唱しながら、頭では闇魔術――おそらく『睡眠』の魔術を練った。
魔術学院の魔術師が闇魔術を使うことは異例だ。
というよりも、たしか学院では「禁忌魔術」に指定されているのではなかったか?
それはともかく。
口と頭でべつの魔術を扱うのもまた異常なことだ。
例えるなら、右と左の眼球をまったく別の方向に動かすようなものだろう。
ただの嘘つきで済む魔術の技量ではない。
あれが魔術学院の猟犬……。
「あ、ちょっと、そこのお兄さん」
呼びかけられた秘書官が「はぁ」と生返事をした。
「それ、邪魔だから片付けて。あと、街中で剣を抜いたときの刑罰」
「はあ」
「刑罰、言って」
「……禁錮、一か月です」
「はいそうだね。んじゃ、この件は記録から削除。ここではなにも起こらなかった、ってことでよろしく」
そう言うと、リュドミラは席に座った。
今度はきちんと姿勢を正している。
「さて、と。邪魔な口だけ大将はいなくなったし、そろそろマジメにはじめよっか、会議?」
当然、会議は即時お開きになった。




