7:壊れかけの王太子はいつの間にか癒される
なんで。
なんでなんだ。
なんで、俺の子が俺の色をしていないーー
「うぁあああああ」
「殿下、殿下、しっかりして下さい! 殿下!」
何故だ。どうしてだ。私の最愛が生んだ子なのに、薄い青色の髪と翠色の目なんてオカシイだろう。
オカシイはず。
おかしいハズ。
変だ。
有り得ない。
夢だ。
早く目覚めないと……
あ、あ……
オカシイ。オカシイ。おかしい……
「殿下。王太子殿下」
なんだか、酷く柔らかな声が聞こえた……気がするが、分からない。ただ、その声が聞こえると、少しだけ思考が冴える、気がする。
でも、直ぐにまた……頭の中に靄が掛かる……。
***
わたくしが、その知らせを受けたのは、太陽が真上を過ぎた頃の事。
どうやら聖獣様……ミヤビ様のお陰で、わたくしは離宮の皆さまから受け入れられたようで。監視役はこの人だなぁって思っていた侍女長が、血相を変えてわたくしの部屋に飛び込んで来たからでした。
「妃殿下っ! 正妃殿下っ! た、たたた大変でございます!」
えっ。いつの間に、わたくしを正妃殿下呼び……。いえ、それよりも有り得ない慌てぶり。一体何が。まさか陛下に何かっ? これはそれくらいの慌てぶりよ?
「侍女長、落ち着きなさい! 一体何が起きたのです。もしや陛下に何かございましたか?」
わたくしに強く窘められ、ようやく自分の慌てぶりに気付いた侍女長は、深呼吸をするとわたくしに深々と頭を下げました。
「正妃殿下におかれましては、お見苦しいものをお見せ致しました。正妃殿下の事でございます。私めが監視役だとお気付きになられておられましょう」
「ええ。そうね。それが?」
まさか自分から監視役だと告げて来るとは思っていませんでした。という事は余程の事態が起きたという事。一体、何が。
「正妃殿下に申し上げます。国王陛下へのご報告並びに指示についての遣り取りの方法が……」
「発言を遮って悪いわね。鳥でしょう? 何か特殊な訓練でも受けているのだろうけど」
「お気付きになられておりましたか」
「定期的に同じ鳥が行ったり来たりしていれば、ね。常に集団で生活する鳥でも無いし、同じ種類の別の鳥かと最初は思っていたけれど。何となく鳥が何処まで飛んで行くのか見ていたら、離宮内の建物の中だもの。解ったわ。馬車で3日は掛かる王城だけど、鳥だと短くなるのでしょう? でも、鳥は疲れないの?」
馬車で3日の距離をいくら鳥は、馬車には乗らないとはいえ。1日で往復出来るとは思えませんが。
「休憩する場所がございますから。陸地では王城からこの離宮まで地形や道の問題で真っ直ぐには来られませんが、空は地形も道も関係ございません。鳥には休憩場所と王城のとある場所だけ教えて有りますので」
成る程ね。休憩場所を確保してそこを覚えているなら、そこに餌を用意しておいて、羽根を休ませれば馬車で行き来するより早く到着するのでしょう。
王城から離宮までは、道そのものは整備されていましたが、迂回路のように途中で大きくカーブしましたものね。何故かしら? と考えてみるまでもなく、王都から出て直ぐなのにやけに大きな森が有りましたからね。あの森が、きっと鳥の休憩場所なのでしょう。
そういえば、離宮までの道のりでケイが教えてくれましたっけ。あの森は建国の頃から存在していて、聖獣の森と言われている、と。聖獣……ミヤビ様はあの森からいらっしゃっているのかしら? だから、あの森は手を付けられない、という話でしたわね。もしや、あの森を開拓して道を作れば、王城と離宮の距離はもっと短くなるのかしら?
まぁ、自然を守る事には賛成ですし、建国の頃から残る森ならば、歴史好きの観点からしても手を付けない方がいい、と思いますけれども。
ああ、それよりも。
「成る程。分かりました。それで? その鳥を介して国王陛下か宰相辺りから何か?」
こういうのって大抵その辺りと連絡の遣り取りしていますものね。
「はい。一大事にございます」
侍女長の悲痛そうな顔を見るに、余程の事が起きた。
「なに」
「側妃殿下が……」
「側妃? そういえば、そろそろ出産の時期ね。もしや、出産に危難が?」
こっちは前世から見ると20世紀初頭から中期のヨーロッパ的なのに、何故か医療関係が発達してないから、出産時にトラブルでも起きたとしてもおかしくないわね。
「側妃殿下……いえ、マイラの子は、シェイド王太子殿下の子では有りませんでした」
「何ですって⁉︎」
わたくしが考えていた出産トラブルとは次元が違うトラブルでしたわ!
王家直系は、必ず、その血を持つ者の色を受け継ぐ。わたくしの母国・アズリー公国では、お母様がアズリー公国直系。お父様は傍系ですから、わたくしの色はお母様譲り。それがアズリー公国直系の証。どの国でも直系は必ずその王家の色でしか産まれない。
今回の場合、王太子殿下のお子は国王陛下並びに王太子殿下と同じ、薄紫色の髪と金色の目をした子になる。
例外は一つだけ。王家直系同士の結婚による子だけ。
アズリー公国直系のわたくしが仮に誰かの子を産んだとしても、その相手が王家直系で無いなら、わたくしの色だけを受け継ぎますが、例えば王太子殿下の子を産んだとしたら、王太子殿下の色を受け継いだ子と、わたくしの色を受け継いだ子のどちらかが産まれます。
この場合、王太子殿下の色を受け継いだ子がレーゼル王国の直系。わたくしの色を受け継いだ子はアズリー公国直系として認められる。
何故かどちらかの色を確実に受け継ぐので、髪色が白に近い金髪で目の色が金色……というような子は生まれない、と言われています。
「色が薄い青色の髪と……翠の目だ、と」
「なんていうこと……」
わたくしは目をギュッと瞑りました。
ーーつまり、それは不貞という事。
ケイと共に午後は最近になって上達してきた刺繍をのんびりと作る予定でしたが、それどころでは有りません。
「殿下は? 王太子殿下はどうなされましたの?」
「一昨日生まれた子を見て、心が悲鳴を上げられたのか、その、おかしくなられてしまわれたようで……」
王太子としては、繊細な心を持っているのかもしれない。こんな時に動揺するのは兎も角、取り乱すのは王族としては拙いのでしょうが、相思相愛と言われたマイラさんとの子が不貞の証として産まれて来ては、心を保っていられなくても仕方ない。
「すぐに王城へ出立します。準備を!」
侍女長とケイに命じます。
「妃殿下、王城へ?」
ずっと黙って聞いていたケイが、顔色を変えます。
「大切な方に裏切られた衝撃というのは、簡単なものでは有りません。時には心を壊してしまう事も有り得ます。王太子殿下は、国王陛下唯一の子。王太子殿下に何かあれば、レーゼル王国の危機です。解りますね?」
それに。
愛した人に裏切られる悲しみは……解る。
「ですが、妃殿下は……」
「わたくしは、確かに離宮に住まう事を命じられたお飾りの正妃。国王陛下並びに王太子殿下の命に背いた咎めは、後ほど受けましょう。しかし。王太子殿下のお側に誰か居なくてはならない。そんな時、今までならばマイラが居たはず。でも今はそのマイラに裏切られたのです。他の者がお側に居る必要が有ります。そしてそれは、側近や友人でしょうが、その者達も裏切っているかもしれない、と疑心に囚われる可能性も有ります。解りますか? 信じていた相手を疑わねばならない王太子殿下のお気持ちが。
相思相愛の妻から裏切られた事で、他の信頼すべき相手も裏切っているのではないか、と疑ってしまう自分……。そんな相手が周りに居ても心が休まるわけが有りません。そんな相手を遠ざけるわけにもいきません。ですからわたくしが参るのです」
「妃殿下のお言葉は理解致しましたが、それでも妃殿下が向かう理由とは……」
今度は侍女長ですか。
「わたくしは、王太子殿下から全く信頼されていません」
わたくしの言葉に、侍女長もケイも黙ります。
「だからこそ、信じている相手を疑わなくて良いでしょう? 王太子殿下が王城から出て、この離宮や他の場所でお心を落ち着かせられる事が出来るのならば、わたくしが行く必要も有りませんが。側妃・マイラの今後等を考え、話し合うには、王太子殿下が王城から出る事は難しいはず。だからこそわたくしが向かい、信じていないわたくしが王太子殿下の側に居れば良いのです」
「それでは信じてない妃殿下をずっと疑っておりませんか」
ケイの静かな声にわたくしは首を振ります。
「不思議な事に、人間、信じていた人に裏切られた時、何の関わりもない第三者の存在に救われる事もあるものです。或いはかなり親しい相手だとしても、何も口出しせず、ただ黙って側に居るだけならば。ですが王城では親しい相手が黙って側に居るだけ、というのは許されないはずです。あの方は王太子殿下。良くも悪くもその立場を思い起こさせようとする方が多いでしょうからね。だから殆ど他人のわたくしが良いのですよ。それに、他の者では、王太子殿下に下手に近寄れないでしょうが。わたくしは一応正妃ですから、側に居ても不都合は無いでしょう」
わたくしの説明に何の意図も……思惑も無い事を悟ったらしいケイも侍女長も頭を下げて、王城へ向かう準備を始めました。ラッスルは当然として、何故かジョナスも着いて来るようです。
「あなた、わたくし専属とはいえ……元々離宮の使用人なのに」
「わたくしは妃殿下の専属でございます! 離れる気は毛頭有りません!」
と、鼻息荒く……いえ、力強くジョナスに訴えられたので受け入れます。それから何故か侍女長からエントランスホールに使用人全員を集めたのでお言葉を……と言われたので、何故に? と思いながらも、エントランスホールへ向かいます。
「この度の事態は皆、聞き及んでいる事でしょう。王太子殿下の、このレーゼル王国の危難です。王太子殿下が立ち直られるまでは彼方におりますが、立ち直られましたら、またこの離宮に戻って参りますので、その時はよろしくお願い致しますね」
「妃殿下の帰りを心よりお待ちしております」
わたくしの挨拶に、執事長が代表して応えてくれましたが、綺麗に全員が頭を下げて来ましたわ……。わたくし、いつの間に、敬意を表されていたのでしょうか。いえ、まぁ嫌われてないなら良いですけどね。
ケイが準備は万全です、と言われましたから、これから王城へ向かいます。まさかこんな風に再び王城に行く事になるとは思いませんでしたが。
王城にはもう二度と足を踏み入れない、と思っておりましたが。1年と少しで再び足を踏み入れる事になろうとは予想もしておりませんでしたわね。
でも、今は仕方ない。
陛下の許しも得ずに向かう事は、まぁ後から咎めを受けるとして。
王太子殿下が愛する人に裏切られた衝撃を癒すお手伝いは致しましょう。
わたくしも前世では、有りましたからね。
あの時は……いえ、忘れましょう。もう、終わった事です。
「それにしても。まさかこのような事になるなんて」
「はい。私も驚いております」
わたくしの独り言に応えるのは、もちろんケイです。ケイも王太子殿下と側妃が相思相愛だと思っていたので、まさか不貞されるとは思っていなかったようで、クールな侍女の顔を置いて来たように途方に暮れた顔です。ケイでさえこうなのですから、当事者たる王太子殿下のお心は如何許りか……
これなら出産時のトラブル、と聞いた方が未だ……いえ、それもそれで落ち着かないというか大変でしたわね。
「無事に産まれた事だけは安堵するべきなのかしら」
「まぁ……そこだけは。ただ、そういう問題でも無いとは思いますが」
「そうよね」
わたくしもまさかの事態なので、少々混乱しています。わたくしまで混乱していても仕方ないですし、寧ろわたくしは王太子殿下をお支えに行くのですから、わたくしが狼狽えていてはなりません。
こういう時は何か別な事を考えるべきです。
……そういえば、此方の世界は何故か医療関係の発達が遅れています。何故かしら。なんだか医療関係だけは中途半端なのですよね。あれかしら。ミヤビ様のような聖獣様が実在しておられるから、かしら。それに……王家直系だけは必ずその血の色合いを受け継ぐ、とか。
日本人は黒髪黒目が当たり前でしたけど、日本人と海外の方との結婚によっては、髪が黒で目の色が青系の方とかもいらっしゃいましたから、必ずどちらか、という事も無かったのですが。
やはり学校の七不思議ならぬ異世界の不思議なのでしょうかね……。
そんな事を考えていたわたくしの額が不意に熱を持ちました。同時に足元を見れば、ニャン様もといミヤビ様がいらっしゃいました。
『此方はそなたが考えているように、不思議な出来事、つまり神が実在している、と考えておる故な。人の生死・病等は神の領域と考えられている。それ故に発達が半端なのだろうよ』
わたくしの思考を読み取ったようにミヤビ様が仰います。
……って、わたくしの考えが解りますの?
『そなたにはワタシの証を授けた故な、読み取り易い』
ヒィッ。それじゃあわたくしの思考が丸見えじゃないですか!
『案ずるな。読み取ろうと思わなければ、やらぬから』
冷静に、わたくしの意見を退けられました。
ちなみにケイは今回、ミヤビ様はもちろん見えておりませんし、話も聞こえていないようです。ミヤビ様が力を抑えているから、とか何とか……。ただ、わたくしの目の輝きで、ミヤビ様が馬車に乗っている事には気付いたようです。
さすがですわね、ケイ。
そんなこんなであっという間に3日が過ぎていきました。
お読み頂きまして、ありがとうございました。