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第2章

 もう、耳がぐわんぐわんする。酒の量が増えるとともに怒声を強める朝倉の声がずっと頭の中で反芻する。

 「馬鹿なの。理香は、こんな男と・・・・・・」

 夜があけて朝5時になった。

 ようやく酔いつぶれた朝倉を家まで送った。

 なんとか、ノートは死守した。しかし、今日は、学校を休む他なかった。小坂には会えない日が1日できてしまった。

 一方、小坂は、荻内と朝倉のいない大学を過ごした。荻内と朝倉に連絡が一向につながらないので、小坂はそれぞれの家にノートのコピーを届けた。

「昨日、何かあったのかな?」

ポツリ。何も知らない小坂はつぶやいた。

 その翌日、3人は集まって授業を受けた。

 小坂は、荻内と朝倉の間に、微妙な空気があることを察知した。しかし、言える雰囲気ではなかった。荻内と朝倉が時々目を合わせるのだが、赤くなったりよそよそしかったりするのだ。

 小坂は、思わず朝倉の気持ちを考えてしまった。

「もしかしたら、そういうこと?」

 この勘違いが、後に悲劇を生むとは誰も思いもしなかった。

 大学3年生。夏にはインターンシップがあり、翌年は就職活動が本格的にはじまる。

 私は、実習のレポートを再提出していた。もうこれで、再提出は3回目である。

 4回目で、先生はあきれた顔で導出式を提示して再提出を要求した。

 やっとレポートが通った時、先生に言われた。

「小坂さんのノート見るのはいいけど、式と考えとばして書いてはいけないよ。荻内さんは、写しているだけだからわからないかもしれないけど、こっちはわかるからね」

 最悪だった。小坂は、省略して書いているらしかった。私は、全然わからなかった。

 私は、小坂のノートのコピーを取りに行った。コピーを受け取るとき、私はじっと見てしまった。

「どうしたの、文悟? 何かあったの?」

「いや、なんでもない」

コピーから目を外しカバンにしまった。

「私さ」

小坂が、言いはじめた。

「先生に言われているんだよね。『荻内さんにノートを貸すのはそろそろやめにしないか』って」

「えっ?」

私は、耳を疑った。

「まぁ、それはいいんだけどさ。私に何か言うことない?」

小坂は、不満そうだった。

私は、改めてお礼を言った。

「違う」

「えっ?」

私は、ない頭で必死に考えた。

「私のことは、どう思っているの?」

小坂は、私から目を外し恥ずかしそうにした。

「私は、小坂さんのことが・・・・・・」

「はい、違います! ホント、そうじゃないの」

即座にダメ出しされた。

 一体、どういうこと?

 小坂は、突然私のカバンを勝手にあけ、1枚の紙を取り出す。

 女の子のイラストだった。私は、血の気が去り、めまいがした。

「浮気??」

小坂は、イラストをじっと見て言った。

「これは、違うんだ」

「いや、1年前から千絵から聞いているんだよね。この話は。でも、文悟がヲタクなのは、しょうがないじゃん」

「でもさ、3年の前期赤点ギリギリで通った訳でしょ?」

私にイラストを見せつけ、小坂はにじり寄る。

「はい」

もう、何も言えなかった。

「絵に描いている『お姉ちゃん』は、私のように文悟を助けないよ? それは、わかる?」

「はい」

「なのに、この状況でお絵かきしているの? 科学者になるんじゃないの? イラストレーターになるなんて現実逃避よ!」

小坂は、イラストを破った。大きな音が響いた。

「それは、趣味で・・・・・・」

「私は、知っている。何度も郵便局で分厚い封筒を送っているのを」

2人とも限界だった。

「暗記でもなんでもいい。科学者になるの。もう、女の子を描かなくていいのよ。私がいるから」

私は、泣いてしまった。

「泣きたいのは、こっちだよ。どこがわからないの? 私のノートじゃわからないの?」

 私は、小坂のノートを暗記しているだけで何も理解してなかった。小坂の気持ちも。

 だが、私は応えられなかった。科学者になることも。小坂の好意にも。

 私にできることは、暗記だけだ。それ以外は、できないのだ。そう決めつけていた。

「と、とにかく覚えるだけで精一杯なんだ」

 自分でも、何を言っているのかわからない。

 小坂は、黙って私を見た。

「言うことは、それだけ? 私帰るね」

「待って。小坂さん」

「嘘つき、バイバイ。ずっと一生『お姉ちゃん』と仲良くしてろよ」

 小坂は、つっけんどんに私を突き放して去っていった。

 ビリビリに破れたイラストだけが鮮明に残った。

 私は、1人に戻った。そして、ぐちゃぐちゃのノートと、理解不能な授業だけが残った。

 私は、図書館でぐちゃぐちゃのノートと格闘していると、1人の女性がやってきた。

「最近は、どう? “イラストレーター”さん」

朝倉だった。気まずそうにしていた。

私は、ぎゅっと口を固く結び朝倉を見た。

「言いたいことがある」

私は、朝倉と一緒に外に出た。

「どうして私がイラストレーターになるって言ったの?」

「私は絵を描くヲタクな趣味があるとしか言ってない」

「じゃあなんで?」

「理香に言われたの。荻内の成績が下がっているのはなぜか?」

「毎月、大学近くのコンビニで絵をコピーして郵便局に分厚い封筒を送る変な奴がいると噂になっていたの」

「で、私とバレたの?」

「そうよ。理香は、聞いてきたよ。しつこく。絵をどこに送っているのか? 成績が下がったのはそのせいじゃないか?」

「・・・・・・」

これは、私のことを小坂から朝倉がかばっていたのかな?

「私は、もう隠しきれなかった。荻内が悪いのよ」

「でも、これは趣味の範囲だよ」

朝倉は、私の言葉に呆れた。

「もう、自分に嘘つくのやめなよ」

私は、朝倉を見た。

「もっと、正直に生きたらどうなの?」

「でも! 小坂さんがいないから、もう終わりなんだ! 卒業できないし、夢も無理なんだ!」

 絶望した私は、今にも泣きそうになった。

「理香のノートは、私が借りてくる」

朝倉は冷静に言った。

「へっ?」

「ノートがあれば、卒業できる。でしょ? そして、荻内は夢に向かって頑張れる」

「なんで、そこまで・・・・・・」

「なんでだろうね。私、荻内に興味湧いた。それに理香は、厳しすぎるのよ。荻内は、頑張っているのに」

「ありがとう。ありがとうございます」

 私は、朝倉を通して小坂のノートを借りることができるようになった。

その夜、父から1通のメールが来た。

「こんばんは。就職活動の準備はいかがでしょうか。国家公務員試験対策の教材を送りますので就職活動に役立ててください。あと、卒論は、自分が卒業できるテーマを選びなさい。理系は、深く深く勉強する学問です。我々のような広く浅く勉強する文系とは違うんだよ。」

 父は、私の成績を見てそう判断したらしい。

 科学者というプレッシャーから解放されたばかりだったのに。

 また重圧が襲いかかった。

 私は、公務員試験対策をしながら絵を描き、卒論に取り組む忙しい日々を送っていた。もちろん、朝倉には公務員のことは秘密だ。

 そして、卒論は父の助言通り卒業できるテーマを選んだ。朝倉と一緒の研究室にしたのだ。朝倉に相談したら手伝ってくれると言ってくれたのだ。

 なんとか、朝倉がまとめたデータと式で卒論を終わらせた。

 卒論発表会。私は、朝倉の隣で、小坂の卒論の発表を聞いていた。もう、完全に別世界の人間だった。

 私の卒論発表はというと、サクラの朝倉の質問に覚えている内容をたどたどしく答えるのがいっぱいいっぱいだった。

 卒業式後、朝倉と卒業祝いで飲みに誘われた。

 「卒業おめでとう。荻内は、どこ行くの?」

 多くの同期が、大学院に入学する中、私は公務員にもなれず、イラストレーターにもなれなかった。

 朝倉は、今年度、技術者として働くことになった。

「いくあてないんでしょ? ポチ」

 朝倉にはお見通しだった。

「そうです」

「なら、私の所おいでよ? 家だと、絵なんて描けないでしょ?」

それもそうだ。

「でも、千絵に迷惑かけてしまう」

「なに言ってんの、今更」

呆れた顔で、朝倉は言った。

「私は、技術者として働くから、大丈夫よ。それより、ポチはずっと誰かの言いなり? 理香は、もう振り向かないよ?」

「家に戻るよりマシ・・・・・・か?」

「そうよ。もっと、素直になりなさいよ。ポチ」

私は、朝倉の善意で心は痛んだ。

 それは、卒業式が終わった時だった。

 彼女が、現れた。小坂理香だ。彼女が、いなければ、卒業なんてできなかった。頭が上がらなかった。だが、私の中には、彼女なんてもはやいなかった。

「卒業おめでとう」

「卒業おめでとう」

私は、淡々とオウム返しに言った。

「相変わらずだね、文悟」

「・・・・・・」

私は、何しに来たんだろうと思った。

小坂は、じっと見つめ言った。

「千絵を嘘で苦しめないでね」

「千絵は、関係ない」

私が何か言おうとしたとき、彼女はもういなかった。

 そんなことがあったせいで、朝倉の案には素直に喜べなかった。

 私は、想像する。朝倉と一緒に歩む人生か、それとも、親の言うとおり公務員になる人生か。

 黙る私に、朝倉は睨みつけた。もう、こうする他なかった。

「朝倉さん、お願いします」

私は、朝倉の言うとおりにした。

「それでいいのよ。ポチ」

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