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第3章

 私の朝は、早い。朝5時に起きて公務員試験勉強をする。

 7時には、千絵が起きる。千絵の気配がしたら、参考書を閉じスケッチブックを開く。

「今日も、文悟は早いのね。じゃあ、行ってきます」

千絵は、会社に行く。私は、再び公務員試験勉強をはじめる。

 そして、千絵が19時に帰宅した時、また、スケッチブックを開くのだ。

「こういうのを描いて会社に送るんだね。へぇ」

 私は、時々自分の絵を千絵に見せて、進捗状況を報告した。千絵は、私の絵を見て楽しんでいた。とは言うものの、それらのイラストは、全部大学時代の作品だった。選考に落ちたポートフォリオの作品だった。公務員試験勉強をしていたら、イラスト制作なんて進むはずがなかった。

 だが、公務員試験勉強もつまづいていた。

 英語と、行政5科目はスムーズに勉強できていた。特に、社会学は、大学の先生に特別に教えてもらっていた。

 なのに、判断推理となると、お手上げだった。

 私は、恥をしのんで父に電話した。

「判断推理は、問題のパターンと解答全部覚えるの! 馬鹿か。それより、なんで家に帰って来ないんだ?」

帰らない理由を言わずに、ガチャンと電話を切った。

 私は、その通り暗記して、公務員試験にのぞんだ。

 結果は、合格だった。ついに、来年度から4月付けで市役所の職員になれたのだ。

「さて、千絵になんて言おうかな?」

私は、イラストレーターの夢を応援している千絵に申し訳なかった。

 結局、私は、市役所に決まったことを千絵に隠したまま、イラストレーター職の就職活動を3月まで続けて、決まらなかったら、市役所に入庁すると自分ひとりで決めた。

 ずるずると、イラストレーターの夢に固執しても・・・・・・。千絵の笑顔が浮かぶ。本当のことを言うには、失うものが大きすぎる。それは、たとえ、私の夢が叶うこととは違うけれども。私は、自分の夢で大切にしたい人を守れなかったことなんてもうごめんだった。

 3月下旬、私は千絵を外に誘った。

「2人で、出かけるのも久しぶりね」

 確かに、そうだった。大学時代に行ったいつものデートコースを歩く。

「その、今日は、言いたいことがあるんだ。だから、外に誘った」

「そうね。私も聞きたいことがあるの。今年は、イラストの仕事入ってきたの? それとも、どこかイラストで就職できたの? 決まらなくても、私がガンガン稼ぐよ。私、上司に評価されて、大きなプロジェクトに携わることになったの」

 千絵は、社会に揉まれてどこかたくましくなった気がした。

 私は、そんな彼女を見え透いた嘘で包もうとしている。

「私は、仕事決まったよ」

「へぇ。どんな?」

私は、言いよどむ。

「どこ?」

千絵は、もう一度訊く。

「もちろん、イラストの仕事。地元に根ざした企業なんだ」

 言ってしまった。もう、後戻りはできない。

 彼女は、笑顔になった。私は、胃がぎゅっとなって、痛んだ。

「おめでとう。よかったね。私は、嬉しい。やっぱり、文悟は必ずやると思ったよ。だって、好きなことにひたすら努力できるのって、すごいことだよ」

 千絵は、私の頭をくしゃくしゃになでた。犬を褒めるように、よしよしとなでた。

「言うことは、まだあります」

「なに?」

私は、千絵を見る。千絵は、きょとんとしている。

私は、手に持っていた赤いバラを震えながら渡した。

「これは?」

「夢を叶えるまで、応援してくれてありがとうございます。私は、朝倉千絵さんのことが好きです。結婚してください」

千絵は、驚きを隠せなかった。

「『こういう時、指輪でしょ』って、理香ならいいそうね。」

 千絵は、意地悪そうに言う。

「でも、いいわ。文悟は、1年中イラスト制作していたもの。今度、一緒に指輪買いに行きましょ?」

「そ、それは?」

「だ・か・ら、結婚してやるって言っているの!」

私は、心臓が飛び上がりそうになった。

「本当に、ありがとう。千絵のことを大切にするよ」

「私、幸せだよ」

私達は、家に帰った。嘘と共に。

 桜が、満開になる4月。

 私達は、新たな一歩を踏み出した。

 千絵に、私は起こされる。

「文悟、朝だよ。起きて」

私は起きて、スーツに着替える。

「イラストレーターって、もっと、ラフな格好で会社に行くと思ったけど?」

「スーツだよ」

「そうなの? ネクタイも、地味ね。今度、私がネクタイ買ってきてあげる」

「あ、ありがとう。でも、これは父からもらったものだから・・・・・・」

「そういえば、文悟の父さん、公務員だったね」

「うん・・・・・・」

 朝から、緊張が走る。

 出勤初日から、バレる訳にはいかないのだ。

「もう、行かないと、千絵、行ってくる」

私は、足早に外に出た。

「待って、私も出る」

千絵も、遅れて出る。

バス停まで、私達は一緒に出た。

「夜、また、連絡するね」

千絵の声をよそに、私は、市役所方面のバスに乗る。バスには、市役所方面とでかでかと書かれている。みんな、スーツにネクタイの姿で、バスに乗っている。

 千絵は、バスに乗った文悟に手を振る。

 「あれ? 地元で有名なイラスト制作する会社って、そっちだっけ? 文悟が間違って乗ったのかも?」

 ふと、千絵は首をかしげた。しかし、千絵は自分の会社にいかなければと思い直し、バス停をあとにした。

 私は、それ以降、千絵に市役所職員とバレないように朝早く出勤することにした。

 だから、朝早く出勤する新入社員として市役所で有名になってしまった。私は、朝早く来ているから、様々な部署の仕事を手伝うこともあった。

 そんな中、ふと、地域のポスターを描かないかと、話がやってきた。私は、びっくりしたが、喜んで引き受けた。これを見せたら、千絵も喜ぶだろうと私は思った。

 早速休日に取りかかった。

「あら? 珍しいわね。文悟が家でパソコンを開くなんて」

 もう、5月の下旬だった。市役所の仕事は、想像以上に不規則で忙しかった。私は、「お絵かき」なんてできる状態じゃなかった。

「ちょっと、仕事が会社で終わらなくて」

「ふーん」

 私は、スキャンした線画を慣れた手つきでパソコンのソフトを使って色塗りしていく。

 千絵は、パソコンを覗き込む。

「セミロングのこの子。どこかで見たことあるような・・・・・・」

「気のせいだよ。これは、いつも、描いている子だよ」

 セミロングの女性なんて、どこにでもいるのに、なんで千絵は気にするんだろう?

 そんなに見るので、私は、なぜか知らないけど、パソコンを隠したくなった。

「私って、セミロングにしたことがないの。私は、ショートカットなの。私を描かないの?」

「久しぶりに描いたら、こうなってしまって・・・・・・。今度、千絵を描かせて欲しいな」

 今度なんて、いつの休みになるのかわからない。私は、不機嫌になって

「集中したいから、向こうへ行って」

「わかった。わかった。完成したら見せてよ」

千絵は、口をとがらせ行ってしまった。

 数日後、上司にいくつかの完成したポスターを見せ1枚のポスターが採用された。

 ショートカットの女の子を描いたポスターは、やはり無理やり描いたからなのか採用されず、セミロングの女の子のポスターが採用された。

 ポスターを完成させた翌日、私は寝坊して、千絵と久しぶりに一緒に家を出た。バス停で、千絵と話す。

「文悟、文悟が乗るバスって、どれなの?」

しれっと訊く千絵。私は、自然に答えてしまった。市役所方面行きのバスと。

「このバス、市役所行くけど?」

私は、冷や汗ダラダラで、

「そのポスターの納品は、市役所だからだよ」

「そうかしら?」

千絵は、ぎこちない笑顔で、私を見た。

「そういえば、文悟は英語や文系科目得意だったもんね。そういうところは、大学の時から尊敬していた」

「えっ、そうなの?」

そして、唐突に

「スーツ似合っているね」

「へっ?」

「スーツ姿の文悟も好きよ。文悟、バス来たよ」

意味深な言葉を千絵は残した。

 私は、バスに乗り、スーツ姿に紛れる。千絵は、誰が文悟なのかわからなくなった。

 文悟を送り出す千絵の目元は、少し湿った。

 その金曜日の夜、完成したポスターを千絵に見せた。千絵は、不機嫌になった。

「ねぇ?」

「何?」

「理香は、セミロングだったの覚えている? 私は、覚えているよ。私は、ショートカットで理香はセミロング。理香は、私より小柄だった。文悟に会う前は、理香はたくさんラブレターが来て困っていた。私は、理香の友達として助けたんだよ」

「知らなかった」

「なのに、文悟に理香がノートを貸すようになって理香は変わった」

「それより、ポスター見てよ」

「だから、ポスターの話をしているの」

「セミロングなのは、偶然だよ。どうして??」

「違うよね。この女の子のイラストは、どうみても、理香でしょ?」

「違います」

もう、拉致が明かなかった。

私は、机にポスターを置いたまま、布団で寝てしまった。

 休日、私は、いつもより遅く起きた。

 「おはよう。千絵」

千絵は、ベッドにいなかった。

 私は、リビングに行く。

 机の上には、ぐしゃぐしゃのポスターがあった。私は、ポスターを広げてみる。所々、濡れていて、インクが滲んでいた。

 見上げると、千絵の姿があった。千絵は、目を腫らして真っ赤だった。

「どこまで本当なの・・・・・・?」

「私、馬鹿だった。私は、理香みたいに理想を押し付けて、苦しませていたんだね」

「・・・・・・」

市役所職員だとバレたらしい。

「それは、ごめん」

「でも、私に対する想いは本当なの? このポスターだって、大学の何かを引きずっている。いや、あなたの絵って全部そう!」

「千絵・・・・・・」

「もう、信じたいのに信じられないよ!!」

千絵は、再び泣いた。

「ごめん。悪かった」

とにかく、謝る。

「今は、千絵のことしか考えてない。それは、はっきり言える」

「どこが? あんだけなりたいと熱く語っていたイラストレーターにならなかったのに? 大学生活忙しい中、1ヵ月に20枚以上も描いて、毎月ポートフォリオを会社に送っていたのに? 市役所職員? どこが、私を好きだって証明になるの?」

「それは、千絵がいたから! 一緒にいたいって思った時、ずっと夢を追いかけて負担になるって思ったから」

「そんなの気にしなくてよかったんだよ!」

ピシャリと言われた。私は、千絵のことを思っていたのに、ひとりよがりだった。

「ごめん。自分勝手だった」

「で、これからはどうするつもり?」

「千絵さん、一緒にいさせてください」

「まさか、理香に会いたいって言ったら、別れるつもりだったけど」

冗談がきつい千絵。

「私は、千絵さんのことが好きです」

「それは、わかった」

「で、夢はどうすんの?」

「夢は、千絵さんと一緒にいることです!」

「馬鹿。イラストレーターになる夢はどうするつもりですか? って言っているの」

「それは・・・・・・」

私は、家族のために夢を諦めるのが普通と思っていたから、返答に困った。

「ホント。馬鹿。あなたの夢を応援する私は、なんなの?」

「あっ」

それでも、尻込みする私に、

「ほら、どうなの。言いなさいよ」

「私は、ずっと嘘で逃げていた。でも、私は、逃げない。私は、市役所職員しながら、絵も頑張る。今度こそ、千絵さん、あなたを描きたい。だから、一緒にいてほしい!」

「わかった。その言葉、忘れないからね」

 こうして、私は市役所職員しながら、時間がある時は、イラスト制作した。

 千絵が、元気な時に、私は千絵を描いた。元気いっぱいの笑顔が彼女らしい活発な性格をよく表していた。

 私の絵に理香の面影は、もうなかった。


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