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第8話 誓いを再び④

 おーい。

 起きなさーい。

 もう朝だよ。

 うるさいな。

 もう少しだけ寝かせてくれ。

 だめだよ。

 これ以上寝たら後悔するよ。

 なんでさ?

 だって、――――



          ◇



「やあ。こんなところで寝て、一体どうしたんだい、坊や?」


 黒のジャケットを羽織った黒髪の見知らぬ女性が、腰を屈めて僕の顔を覗き込んでいた。

 つまり、僕は今仰向けに寝転がっていることになる。

 なんでこんなことに……

 瞬間、今までの出来事が閃光のごとく頭の中を過ぎ去る。

 ああ、そうか。僕は死ねなかったのか。

 理由は推測することしかできないが、微かに状態保持の能力が働いていたのだろう。そうでなくちゃ、僕がこうして生きていることの説明ができない。

 もう死んでもいいと思えていたのだが、こうも肝心な時に能力を切り忘れていたなんて。

 身体中が痛むけど動けないほどじゃない。


「……近いです。顔、どけてください」

「おっと、ごめんね」


 そう微笑んで立ち上がった彼女は、全身黒色だというのに固さ、暗さ、そして陰鬱さというものがまるで感じ取れない。

 彼女のイメージを一言で表すならば、気の抜けた明るい女学生だ。

 彼女に続き、僕も立ち上がる。


「ねえ、なんでこんな廃墟で寝てたのさ」


 なんで、って聞かれてもな。本当のことを言えるわけでもないし。


「さあ、理由なんて解らないよ。ただ、ここが静かな場所だったから、かな」

「じゃあ、なんでここにいるのかな」

「解らないよ。何も」


 女性はそれ以上聞いてくることはなく、


「ふぅん。不思議な坊やだね」


 と勝手に納得している。


「坊やってなんだよ。僕は坊やなんて呼ばれる歳じゃない」


 目線を前方に戻し、そう主張した。


「私から見れば君はまだまだ坊やだよ」

「私から見れば、って。あなたは確かに僕よりも歳上なのでしょうけど、それほど差があるってわけじゃないでしょ?」


 見た目からすれば、彼女の年齢はおそらく二十代前半だろう。


「何を言っているんだい君は? 若く見えてるってのは嬉しいけど、私はとっくに三十八で二人の子の母親だよ」


 ――なにっ。

 目を見開く。

 三十八歳だと?

 しかも子供がおられる?

 僕は得体のしれない何かに遭遇してしまったようだ。


「そう、でしたか。それは申し訳ありません。それでは僕はこれで」


 立ち上がり、この場を離れようとする。

 うまく足に力が入らず、ふらつきながら歩を進める。


「ちょっと待ちな」


 と、呼び止められる。

 この状態を見て心配になったから、というわけではないようで、


「あのさ、何もわからないって言ってたけど、もしかして君は迷子かい?」

「迷子?」


 壊れた研究所を見る。帰る場所を失い、よりどころも失った僕。

 はは、と苦笑する。


「言う通り、ある意味僕は迷子なのかもしれない」

「そうかい、そうかい。君は迷子だったのかい」


 そう言ってははは、と笑いだす彼女。


「馬鹿にしてます?」

「別に馬鹿にしてなんかいないよ。そうだね。君は迷子と言っても、ただ道に迷ってるんじゃないんだろ。言うならば人生に迷ってるってところかな?」

「そう見えます?」

「見えるよ」


 目を見たら直ぐにわかった、と彼女は言った。


「そんな君に一つアドバイスをしてあげよう」


 彼女は僕の前に回り込み、少し屈んでから上目使いで僕の顔を覗きこんでくる。

 今さら気が付いたことだが、この女性は僕より背が高かった。


「君はどこかで進む道を間違えたんじゃないかな。だからいつまで経っても目的地にたどり着けない。迷い続ける。なら、君は前に進むより先に、引き返すことを考えるといい。

 選択が間違ったであろう別れ道まで戻って、そこにある標識をもう一度見直すといい。きっと示されているよ。君にとって進むべき道がどこにあるのかが」


 そう言うと、彼女は踵を返して口を開くことなく壊れた研究所へと歩いていった。

 不思議な女性だな、とそのまま見送ろうとしたが、彼女は背を向けたまま囁く。


「そうだ。最後に一つ、いいかな?」

「はい。何でしょうか」


 女性は首だけ振り向け尋ねてくる。


「ぜひ、君の名前を教えてくれないか」

「……」


 言い淀む。

 が、そこまで迷うことでもなかった。

 そうだ。

 自分が何者なのか。

 今は自信を持って答えることができるのだ。

 息を吸い込み、そして吐き出す。

 少ししてから名を告げた。


「――ハクア・フォーゲル。それが僕の名前です。あんまり広めないでくださいね」



          ◇



 彼女と別れたあと、僕は一心不乱に走っていた。

 僕は戻るんだ。

 カレンを殺した戦場へと。

 自由に動かない身体を無理やり動かしながら走る。

 何度も倒れようと、そのたびに立ち上がる。

 行かなければならないんだ。絶対に。

 不安の蔓延る毎日だっだけど、お前がいたことで、ここでまた出逢えたことで、救われたんだ。ひとりじゃないって。一緒に進んでいける人がいるんだって希望を持てた。

 カレンと一緒にいるだけで、僕は笑っていられた。カレンの微笑みは僕に勇気を与えてくれた。

 一縷の望みかもしれない。そもそも望みなんてものは絶たれているかもしれない。

 それでも僕は走った。

 最後の戦場となった闘技場へと。

 最愛の彼女の待つあの場所へと。



 破壊されつくした闘技場へと戻った。

 再びカレンの元へと一直線に駆け寄り、身体を抱え強く抱き締める。

 身体は冷え切っていた。人として生きている温もりの一切を感じさせないほどに。

 もう二度と目を開くことのないカレン。


「カレン、カレン、カレン――」


 名前を何度も叫び続ける。

 やっぱり、ダメなのか。

 遅かったのか。

 そんなことって。

 そんなことってないだろ。


「あああぁぁああぁ――」


 大粒の涙を流してカレンをさらに強く抱きしめた。

 もう助けることはできないんだ。

 カレンの声を聴くことも、カレンの笑顔を見ることも叶わない。

 そんな絶望にかられそうになったときだ。


 トクン……トクン……


 微かにだが何かの鼓動を感じた。

 何の音か一瞬戸惑うも、ある確信をもってカレンの胸に耳をあてる。

 トクン、トクン、トクン……

 頬が緩む。間違いない。

 カレンのものだ。


「まだ……生きてる。生きてる!」


 僕はいっそう強くカレンを抱き締めた。

 間に合ったんだ。

 まだ助けられるんだ。

 最後の希望がここにはあった。

 身体の一部しか原型をとどめていないにもかかわらず、彼女の命は尽きていない。

 人間でなくなったがゆえの、半機械人間としての恐ろしいほどの生命力なのか。そうとしか考えられない。

 一刻も早くこの傷を癒さなければならない。方法ならある。今ならはっきりとわかる。どこに行って何をすればいいのか。

 だが、カレンの身体を治すというのは僕の勝手な自己満足だ。もしかしたらカレンは死を受け入れていて、僕のやろうとしていることは迷惑だけでしかないかもしれない。


「それでも僕は、これから先もずっとおまえと一緒にいたいんだ」


 堂々と口にした素直な気持ち。

 カレンにそれが届くことはなく、この言葉もただの独白になってしまっただろうけど。


「もう、絶対に離さないからな」


 言うと、それに応えるように頬に冷たい感触がする。

 僕の頬に柔らかな指が触れていた。


「嬉しいよ、ハクア」

「カレン――!?」


 ボロボロにされながらも、僕に太陽のように暖かく明るい微笑みを向けてくれたのだ。

 こんなに嬉しいことがあっただろうか。

 こんなに救われたと思えたことがあっただろうか。

 溢れだした涙が止まらない。


「もう、みっともないよ」

「そんな…こと、ないよ。……普通だよ」


 言って涙を拭う。

 それでも、涙は一向に止まらない。

 嬉しくてたまらないんだ。

 カレンは微笑みながら言葉を紡ぐ。僕の言葉に答えるように。


「ふふ、こんなわたしだけど、迷惑を掛け続けるわたしだけど、あなたを殺してしまった私だけど、あなたと一緒に過ごす毎日を望んでいいですか?」

「ああ、もちろんだ、カレン」

「ありがとう、ハクア。さっきのその言葉、忘れないからね。もう、絶対に離さないんだから」


 お互いの存在を感じあう。

 触れ合う肌。伝わる心臓の鼓動。

 それらは生きているという実感を与えてくれる。

 結局のところ、僕たちはまた彼に救われ、九死に一生を得たに過ぎない。

 僕はカレンを抱きかかえ、立ち上がる。

 そして、僕たちは何もない虚空に頭を下げてから、二人でこの戦場を去ることにした。



          ◇



 時を同じくして、ハクアの前に現れた黒いジャケットの女は崩壊した研究所の一室、ロゼの部屋を訪ねていた。


「おじゃまします……って誰もいないんじゃ、こんなことを言うのもおかしなものよね」


 普段ならばロゼが笑みを浮かべて出迎えてくれるのだが、今回ばかりはそうはいかない。

 漆黒の女性はこつこつと歩を進ませ、中央にあるロゼの机に腰をかけた。そして、誰もいない空間に向かって女は言葉を紡ぐ。


「それにしても、なかなかいい舞台を演出したじゃないの。涙が流れそうなくらいに感動的だった。でも、それと同じくらい恥ずかしくて耳を塞ぎたくなったわ。

 かなりの演技力だったけど、あれはないんじゃない? ありがとう、僕は君たちに出会えて、本当に幸せだったよ、って。よくもまあ、あんな言葉を言えたわね――」


 静かに笑う彼女。

 しかし、それを止める者がいた。


『黙って聞いていれば好きなように言う。相変わらずうるさい女だ。でも、君のことを見ているといつも飽きず愉しくいれそうだよ。シェリーさん』


 男性とも女性ともとらえることのできるその中性的な声。それはたしかに聞こえるものの、そこには誰の姿もない。

 一見すると奇怪な現象ではあるが、シェリーと呼ばれた女はさも当然のように虚空の声と会話する。彼女には分かっているのだ。たとえ姿が見えなくとも、彼がここにいることを。


「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない? 少しだけ馬鹿にしているようにも聞こえたけど」

『むしろ馬鹿にしている以外にどう聞こえたんだ。それに、君はもう少し私のことを心配してくれてもいいだろ』

「心配? かつてアーネストとやり合ったウルクスの異変を生き延びたあなたを心配って。それこそ無駄……」


 シェリーは言葉をとぎらせる。


「――ちょっと待って。今、あんた、自分のことを私って言わなかった?」

『言ったけど、それが何か』


 ふふ、と含み笑いをする声の主。


「あなた、一体どっち?」

『あら、バレちゃいましたか。ですが、質問するほどですか? 分かっているのでしょう? 私の名前はロゼ・フェイズ。この研究所の所長ですよ。ただし、人格は違いますが』


 シェリーはやれやれ、と大きく嘆息する。

 ロゼと名乗った者は続けて語る。


『頭脳に特化したロゼ。そして戦闘行為に特化した私。先程の戦闘でロゼは眠りにつきましたが、心配はありません。同じ身体を扱っているのです。彼の情報処理能力、ある程度なら私も使うことは可能です』


 事実、元の人格も別人格の戦闘能力を引き出している。


「あんた、さっきから勝手なこと言ってるけど、もしロゼの想いに反したことをしてみな。あんたを存在ごとなかったことにしてやるからね」

『恐い恐い。私もあなたに消されるのだけは勘弁ですからね。勝手な行動は慎みますよ』

「そうかい。そうだといいけど。まあ、それは一旦置いておくとしよう。それで? わたしを呼びつけたのはどういう用件があってのこと? あまり面倒なことだったら引き受けないからね」

『心配しなくていい。君にはあることを一つ頼みたいんだよ。私は今、こうして身体を霊体化させることで簡易的な休息を図っている。それもあって自由に行動することができない』


 そして、彼は言う。


『アーネストを見つけて連れ戻すんだ。どのような手段を使ってもかまわない』


 それが、ロゼの望みであった。


「連れ戻す、か。かなりの難題ね。――それじゃあまさか」

『ふふ、そのまさか、ですよ。十一年の歳月を掛けてやっと至宝の顕現に成功した。陣の内側で繰り広げられたルークとネロの闘争では叶わなかった。が、君はやってくれたじゃないですか』

「ああ、あれね。あの疑似能力者たち。確かミラとフラン、そしてシェルプ、だった? あんたが言うから、あの子たちをここに来るまでに始末してきたけど。

 わたし、上手くできた? ああ、ルークくんはジェインを連れて離脱してたみたいだから省いているからね」

『問題ありません。あなたのおかげで我が城に眠る『土の至宝』は、すでにこの手の内にあります。つまり、彼らの魂は完全に溶解され至宝降臨の贄になったということ。

 これは星座の魔術のシステムを騙せるほどの能力者を人為的に生み出すことに成功したとも言い換えられます。

 ゆえに、至宝の復活に正規の能力者が必要なくなったことが証明され、十二の至宝すべてを手中に収めることが可能となったのです』

「ということは、ついに始まるのね。わたしたちの最後の闘いが」

『すべては私たちの悲願を果たすために』

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