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第8話 誓いを再び③

 ざあざあと雨の音が聞こえる。

 ひゅうひゅうと風の音が聞こえる。

 日も落ちた夜の色。

 しかし何故だろうか。身の震えるような寒さは感じない。

 暖かい何かに包まれているような感覚で、むしろ心が落ち着く。

 それでも、うまく働かない頭でも、これだけはわかってしまった。


 ――そこには地獄が待っている、と。


 重い目蓋を開いてすぐに理解できたことは、膝を突いて佇む僕がカレンの腕に強く、優しく抱かれていること。


「――よかった。やっと起きてくれたね」


 今にも消え去りそうな囁きで尋ねる少女の声。


「カレン、これは……!?」


 カレンの身体を中心に池のように溜まった赤い液体。

 意識を失っていた僕であろうと確実に分かることがある。

 カレンは最後まで何者かと戦い、そして僕を守り続けてくれたということだ。


「何で、何で逃げなかった! おまえは本来戦闘型の能力者じゃないんだ。いくら馬鹿でもこうなることくらい予想できただろ」


 震える喉から精一杯発した声。


「ふふ、じゃあわたしは馬鹿だったのでしょうね。最後までなんとかなるって、絶対にネロさんを救えるって、信じてたから」


 僕を、救える――?

 そう言うと、力尽きるように抱き締めていた腕がほどかれ、カレンの身体が倒れそうになる。それをなんとか地面に着く寸前にカレンの身体を支えることができた。

 そこで初めて見るぼろぼろになったカレンの姿。

 息を呑み、首を横に振る。目の前に映るそれを否定したくて。

 美しく柔らかなそれは見るも影もなく、無残な血に塗れた肉片と化している。

 右上半身は腕を含め抉り取られ、右脚の膝以下は欠損している。

 左目の周りは潰れ、右目ももうまともに機能していないだろう。

 残った身体にできた何箇所もの深い切り傷は拷問の後のようにも思えるほどに。

 カレンの命の灯が、じき途絶えようとしていることは言うまでもない。

 自分の両腕を見る。

 血に塗れた拳。

 爪には引き裂いた皮膚のようなものが貼り付いている。

 カレンの傷は侵入者に負わされたものではない。


「……嘘だろ。まさか、これは、僕が、やったのか?」


 カレンは虚ろな目のまま重い口を動かす。


「少し、激しすぎだよ。わたし、初めてなんだから……もっと優しく手解きしてくれないと、ついていけないよ」


 ほんの微かな挙動でさえ苦痛なはずなのに、それでも僕を安心させようとしているのか、口元が微かに笑みを浮かべる。


「やめろよ。こんな時にまで冗談言うなよ。今すぐに手当てをして、それから……」

「もう、無理だよ。この身体を、どう治すっていうの?」

「でも、何か……何か助かる方法があるはずだ」

「思い当たるものがあるの?」

「それは……」


 今の僕の思考では、到底その回答にたどり着けない。

 何かがあったのは確かだ。

 けれど、それが今のカレンに効果があるものなのか、どこでできるものなのか。その一切が記憶の片隅にさえ現れてくれない。


「僕のせいだ。侵入者を追い払うという目先のことだけに囚われて、先のことが見えていなかった。どうなるかなんて想像がつくだろうに。

 僕が、自分の身の丈に合わない力を使おうとしたばかりに君を。救うどころか、逆に傷つけてしまった。僕は、最低な男だ。すまない。すまない。すまない……」


 どうしようもない。懺悔以外のなにものでもなかった。許しを請いたかったわけじゃない。カレンもこんな見苦しい姿は見たくないはずだ。だけど、言葉にせずにはいられなかった。


「……もう、いいんだよ。こんな結末はわたしの本当に望んだものじゃない、けど。……でもね、……わたしは幸せだったよ。あなたと出会ってからの毎日が、幸せだった。

 わたしが悩んでいた時、いつもそばで支えてくれた。ずっと励ましてくれた。一緒になって考えてくれた。…………そんなあなたといられたことが、……心の底から幸せだったんだよ……」


 カレンは雨音に掻き消されるくらいに、今にも消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。


「だから、……今こそはわたしの番だ。今度こそあなたの助けになりたい。そう思ったんだけど。……必死に戦ったんだけど。

 …………やっぱりダメだったみたい。……結局のところ、……わたしの方こそあなたを傷つけるばかりだった。本当に、ごめんね……」

「謝るなよ。これだと悪いのがどっちだかわからなくなる」

「じゃあ、お互い様、ということで」


 微笑みを絶やさないカレン。もう動くことのないはずの腕を、それでも力の限り動かそうとして。残された左手が僕へと掲げられる。


「でもね、あなたはきっとどこまで行っても優しい人なんだと思う。……ほら、あなたは今も、こんなに優しい目をしてるじゃない。わたしのことを想って、涙を流してくれている」


 言われて気が付いた。僕の目には大粒の涙が湛えられ、その堰も破れ零れ落ちていたことに。

 体温の消失した作り物のようなカレンの細い指が、溜まった涙を拭きとるように優しく撫でる。


「嬉しくはあるけれど……そんなあなたは見たくないよ。わたしの前ではずっと、お月様のように綺麗で、素敵で、暗闇の中でも輝き、照らし続けてくれる人でいてほしい。

 だからネロさん。……ううん、ハクア。もう、泣かないで……」


 次第に、その声も弱まってくる。カレンの喉からはひゅうひゅうと言葉にならない息が漏れるだけで。もう耳を澄ませても聞こえてこないくらいに。次の一言が、もう限界だったのだろう。


「…………あなたは……これからも、いき…………幸せ……見つ、け…………」


 そう言い残し、彼女の腕が力を失い地に落ちる。

 光の消失した翡翠の双眸。

 目の前の最も愛した橙色の少女。

 その生命活動が停止した。



          ◇



 目に涙を湛え、声の限り泣き続けた。

 いつまでも泣き叫んだ。

 気が付けば雨はもう止んでいた。

 カレンがこの研究所で目覚めた時の絶望するような目を見て、この少女を必ず外の世界に連れ出してやると、そう誓ったのに。

 記憶を取り戻し、カレンのことを思い出してから、この少女を必ず死という運命から救い出すと、そう誓ったのに。

 それなのに。それなのに。それなのに。

 僕はこの手で、カレンを殺してしまった。


「……僕は、何のためにここまで生きてきたんだろう」


 愛した少女はもういない。

 救いたい親友ももういない。

 残されたのは僕一人という事実。


「もう、生きる意味なんてどこにもないじゃないか」


 抱いていた、今ではもう動かないカレンを寝かせ、僕は戦場をあとにする。

 僕は歩き出した。ゆったりと、いつ倒れてもおかしくないくらいの足取りで闘技場を離れる。

 破壊されつくした壁や地面は、ロゼさんとジェイン、そしてルークとの戦闘の激しさを物語っている。



 ふと、過去の思い出が映った。

 毎日のように行われていたフランとの戦闘訓練。

 仕事においては一番のライバルとも言えるあいつ。巨漢で強面で、意外なくらいに仲間想いで、笑いそうになるくらい子供に懐かれるあいつ。

 ロゼさんほどじゃないけれど、フランも間違いなく僕の親友として誇らしい人だ。今はどこで何をしているだろう。果たして無事なのだろうか。そう脳裏をよぎる。

 そういえば、あいつとの戦闘訓練、勝敗の数が前回ので引き分けになってしまったな。あいつのにやける顔が目に映るよ。

 だがそんなこと、今となってはどうでもよかった。

 立ち止まることなく、目的地へと歩を進める。



 辿り着いたのは研究所の駐車場。

 自動車も大型のトラックもすべて破壊され、使用できる車両は一つもない。雨が降っていたというのに、いまだに炎を上げている。

 無残に散らばっている機能停止した機械獣の群れ。

 そして同じく横たわる息絶えた異能者たち。

 その中には、僕の良く知る二人の能力者がいた。

 機械獣との戦闘で致命傷を負ったのかは判らない。

 彼らは他の者と違い、銃弾の雨に曝されたかのような傷跡が残ってる。



 ふと、過去の風景が見えた。

 聞こえてくるのは、もういないはずのミラさんの声。

 医務室でいつもお世話になった彼女。扉を開けたときに見せる様々な表情や仕草が、実は結構好きだったりした。

 怪我でお世話になったのは、そのほとんどが僕ではなくフランだったけれども。そこでフランを気遣うなど、意外な素顔も見れた気がする。

 僕にとって彼女は、お姉さんのような存在だった。

 けれども、立ち止まらない。

 目指す場所に着くまでは。



 辿り着いたのは研究所の中で最も高い棟の一階ホール。そのエレベーター前。

 照明はすべて切れており、頼りなのは窓から差し込む月明かりだけだった。

 当然、エレベーターが動いているはずもない。ボタンを押そうが、反応はなし。

 階段を使って上ろう。

 そう思い、移動する。

 室内だというのに、外と変わらず機械の獣の残骸がそこら中に広がっている。

 その中に、一際目を引く鮮やかな紫色のドレスを纏った何かがあった。

 元は人の形をしていたのだろうが、激しい戦闘に巻き込まれその原形をとどめていない。



 ふと、空気の流れを感じた気がした。

 いつもふよふよ浮いていたあいつ。シェルプはいつも前向きで、お調子者で、たまに鬱陶しくて。それでいて些細なことに気が付き助言してくれる小さな女の子。それにいつも僕たちは元気づけられた。

 僕たちとは違いとても小さなその身体で、彼女は必死にもがき続けていた。

 そんな彼女は自分が無力だって感じているけれど、やっぱり誰よりもすごいんじゃないかって僕は思うよ。たぶん、他の皆も同じ意見だと思う。

 でもシェルプ。

 やっぱり、ゾウに踏まれても大丈夫、っていうキャッチフレーズはやめるべきだよ。

 もう、思い出に浸ることもなく、僕は歩き続ける。

 あとは、隣にある階段を上るのみ。ただひたすらに上へと。



 屋上への扉を開くと薄い光が隙間から射し込む。

 完全に扉を開ききったとき、目の前に見えたのは、厚い雲の層から顔を出した白銀の満月だった。

 そうしてから、屋上の景色が視界に映る。

 屋根のような遮蔽物のないそこは、研究所すべてを巻き込む激しい戦闘を経てい幾許かの変化が見られた。

 この屋上の風景を構成するのは、罅割れて崩れたコンクリートのタイルと、破り裂かれ本来の機能を果たさない落下防止用の柵のみ。

 そんな場所へと何日ぶりだろうか、再び足を踏み入れる。

 涼しい夜風が耳元でひゅうひゅうと音を鳴らす。それは気持ちよくもあったが、少しだけ傷に響いた。

 辺りを見渡すと崩れた柵の方に、(もういるはずのない)何よりも大切な彼女を見つける。

 僕は安堵の息を吐く。


「――カレン、こんなところにいたんだな」


 カレンを呼び、歩いていく。

 カレンは僕の方へ振り向き、手をかざした。

 何故勝手に屋上にいるのか問い詰めようかと思いもした。しかし、それよりも先に、僕は彼女の手に触れたかった。もう一度、あの心安らぐ温もりに触れたかったのだ。

 カレンの方へと歩み寄る。

 カレンの手に触れようとした。

 なかなか触れることができない。

 だから、一歩前へ脚を踏み出した。

 それでも触れることができない。

 だから、一歩前へ、一歩前へ、繰り返し脚を踏み出した。

 そうしてやっと、カレンの手を掴めた。(――掴めた、はずだ)

 そのとき、カレンの表情はどんなだったか。

 知る間もなく光を纏い、煙のようにその光を散らせ、儚く消えていった。


「――――そう、だよな…………」


 そうして至るは空虚な世界。

 僕の足元に地面はなかった。

 屋上の縁から脚を踏み外し、重力に従うままに落下する。

 そして、僕の身体は地面に叩き付けられ、その衝撃から血液を、内臓をぶちまけて、痛みを感じることもなく、絶命した。



 ここに能力者、ネロ・ヴァイスの物語が完結する。

 本来ならあの時に失われていたはずの命。それを先送りにして、ここまで生きてこられた。温かい仲間とともに。それを今ここで清算しよう。


 ありがとう、カレン。

 ありがとう、ロゼさん。

 ありがとう、みんな。


 ――とてもいい夢が見られたよ。

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