第8話 誓いを再び②
駆けだしたのは同時だった。
もとより十数メートル程度しか離れていなかった両者の距離は一瞬のうちに詰められる。
ネロは持ち前の機動力を武器に疾走する。さらに侵食したドラゴンフォースは、彼の行動をさらに人間の反中から逸したものへと変貌させる。
対してカレンも一歩も引かずに能力を行使し、地を蹴り駆ける。
カレンの能力は自分以外の『モノ』を強化させることに特化している。つまり自分の身体、肉体以外は何であれ強化できるという意味だ。
カレンの全身が薄い橙色の光に覆われる。
両手にはめた黒の革手袋を。身に纏う服の全てを。
そして機械と化した一部の身体を。
時には鋼のように強靭で。時には羽毛のように力を吸収する。形状はそのままに保ちながら、あらゆる方面から襲いかかる攻撃を防ぐ装甲へと変貌させた。
暴走状態のネロを止める手っ取り早い方法は、ルークが行おうとしたように、力づくで組伏せて気を失わせること。
しかし、カレンにそれをできる見込みはない。圧倒的な戦力の差があるからだ。カレン自身もそれは理解している。だとしても、そう簡単に敗北するつもりもなかった。
だから、カレンにできる唯一のこと。
それは自身の持ち得る全てを使い、ネロの体力が尽きるその時まで戦い続けることだった。
ネロは跳躍し拳を構える。
カレンもそれに呼応し拳を突き出す。
ぶつかり合う二つの拳。
同等とも言えるかに見えるそれらは、わずかにネロの方が勝っていた。
押し戻されるカレンの拳。ミシッと軋む細腕はこれ以上のつばぜり合いを許してくれない。耐えかねたカレンは咄嗟に拳を引き戻し後退して距離をとる。
しかし、それをネロは許さない。すぐさま地を掛け迫りくる。活歩による超速の接近。次に繰り出されるものは何か。
いや、何が来たところで後方に跳躍している最中のカレンに回避は困難だった。ネロの震脚による大地を鳴らす踏み込み。カレンに対して横に向き、力を込める。
そして放たれるはネロの操る武術にある技の一つ、冲捶。
その直線状に漆黒の魔力が奔り、大地を抉り取る。注意すべきは拳だけではない。ネロが身に纏う漆黒のオーラも彼の攻撃に入っているのだ。
しかし、それがカレンにあたる事は無かった。
拳を放つ直前のことだ。
攻撃にはなりえない衝撃破がカレンの身体をよろけさせ、カレンは地に倒れてしまったのだ。
幸運なことにネロの一撃を間一髪のところで回避することができ、すぐさま反撃に移る。
カレンはネロから距離をとろうなどとは思わない。そうしたところでネロに追いつかれることは明白だったからだ。
さらに言えば距離をとってしまえば、あの弾丸のような速度とその後に待つ必殺の一撃がカレンを容赦なく貫くことになる。
拳を突き出した状態のネロに、姿勢を落としたままのカレンはその顎目掛けて身体ごと拳を突き出す。
偶然を伴ったその予想外な展開。しかし、敵対するものを破壊するという一点しか持たないネロにとって、それは心を乱す材料にはなりえなかった。
カレンが不意を突こうとも、それを上回る反応と俊敏さをみせるネロ。カレンの行動を視認した後でさえ、その速度に対応し、上体を逸らすことで拳を回避する。
ならば、とすかさずカレンは次手に移る。
身体を翻しながら、ネロの胴目掛けて横薙ぎに放たれる右脚。それも直撃までは至らず、服を掠めるまで。ネロは咄嗟に後ろへ跳び退くことで回避したのだ。
だが、カレンはネロを逃がさない。ネロの回避と同時に、カレンも地を蹴り跳躍した。
自身の能力で強化した右脚を再びネロに振るう。鋼鉄の棒で薙ぎ払ったかのような一撃は今度こそ直撃し、ネロの首を確かに刈り取る。
ゴキッと鈍い音を響かせ、真っ赤な血をまき散らした。
しかし、これで再起不能になるネロではない。ネロは瞬時に能力でその首を再生させる。
ネロは空いた左手でカレンの右脚を掴みとると、そのまま力任せにカレンを砂の大地に叩きつけた。身体の一部が砕けたのは言うまでもない。
ガハッと肺に溜まった空気のすべてを吐き出すカレン。そこには血の色も混じっていたが気にする余裕は微塵もなかった。
カレンの目前には右腕が蒸気機関じみた剛腕へと変貌してゆくネロの姿。避けられなければその時点で、圧倒的な力に押しつぶされ無残な肉片と化すだろう。
左手はカレンの脚を掴んだまま放さない。
歯を食いしばり全身を駆け巡る強烈な痛みに耐えながら、カレンは自身の身体を大きく捻る。カレンの右脚を掴んだネロの腕は、それでも時間が止まったかのようにびくともしない。
であれば、カレンにできることはひとつしかなかった。
カレンはネロの左手を軸に身体を持ち上げる。そのまま右手に嵌めた革手袋にさらに強化能力を上乗せし、ナイフの如き切れ味を再現する。
これから行う行為に罪悪感はあった。しかし、自分が倒れては元も子もない。まずは自分が生き残ることを最優先に考えなければならない。
強化した右手を、ネロの左腕目掛けて一閃する。
スパッと切断されたネロの左腕。ネロは痛みを感じていないのでは、と思わせるほどに表情の変化がなく、また悲鳴を上げることもない。
剛腕による攻撃は続行される。
ネロの左腕から解放されたカレンは、一片の迷いもなく地を蹴り離脱する。
その直後だった。
カレンが元居た地点は、地雷が起動したかの如く爆散した。
「はあ、はあ、はあ――」
砂埃が舞い上がる最中、やっとの思いで逃れたカレンはそれから目を離すことなく乱れた呼吸を整える。
数秒の静寂。油断はしない。
自分の右脚にまだ締め付けられたかのような違和感が残っている。
前方に意識を向けたまま、視線をずらし違和感の正体を探った。
「――うぅっ……」
その脚にはまだ、切断したはずのネロの左腕が強く掴んだままだったのだ。
消えることなく、離すことなく、石のように硬直したそれ。
カレンはそれを見た瞬間、ある疑問を巡らせる。
ネロは状態保持の能力でその身体を常に能力発動時の状態に保つ。
けがをすれば瞬時に再生する。
ならば、腕を切断された場合、どのような再生の仕方をするのか。
切断口から新たな腕が出現し元通りになる?
その場合、残った腕はどうなる?
切断された腕を繋ぎ合わせ、その切断面を再生させる?
その場合、腕の切断面は傷口が開いたままということになるのでは?
予想はできるが断定はできない。
再生の仕方次第では予想だにしない窮地に至るのではないか。そう不安になって仕方がない。
前方の砂煙は未だ止まず、ネロが跳び出してくる気配もない。
今のうちに、と切断した腕を引き剥がそうとする。
もともとネロの身体の一部だった腕に触れようとする。
――その瞬間だった。
圧倒的な死の気配が再びこの場にまき散らされる。
ネロの発したただ一度の咆哮。それは巻き上げられた砂塵を瞬時に霧散させた。
爆散したその中心に佇むネロ。機械と化した腕は元の状態に戻っている。その身体に傷はなく、切断されたはずの腕は元通りに再生していた。
であれば、カレンの脚を掴んでいたネロの腕はどうなる?
「――――え!?」
切断されたはずの腕はひとりでに動き出し、その皮膚から泡を吹くようにその原形を崩していく。 まるでネロの形状変化の能力のように別の何かに変貌していく。
それはカラカラと金属音を響かせる蔦状のもの。
カレンを大地に繋ぎとめる鎖と化したのだ。
カレンはあのとき気付くべきだった。ルークを貫いた棘状のものが何であったのか。
それがまさにネロから欠け落ちた肉片であり、それを武器へと変化させたものだったということに。
そうであれば、切り離された腕がどのような変化をもたらすのか予想できたはずなのだから。
強化した手で右脚を絡めとる鎖を断ち切ろうとする。
しかし効果は無し。
切断はできず、変形するどころか傷一つ付かない鋼鉄の鎖。
もう逃がしはしない。この場で殺しつくす。そんな強烈な意志を感じ取れる。
鎖の切断はもう諦めることにした。
(――来るならこい!)
動じることなく静かに構え直すカレン。
その姿は凛々しく力強い少女の体現と言えよう。
しかし、その内面はどうか。恐怖はないのかと聞かれれば、死ぬほど恐いとしか答えられないほどに、心は身体と同じように今も摩耗し続けているのだ。
それでも戦い続けなけらばならない。
それがネロを救うただ一つの希望であるのなら。
カレンはその恐怖の全てを乗り越えよう。
ネロは今再び、カレンに向かって駆ける。
カレンはもう回避という行為を封じられている。
真正面からの殴り合い。
それがカレンに残された最後の手段だった。
ネロの腕が辿り着く。カレンはその腕を払い直撃を避ける。ただそれだけの行動だったが、強化の能力では足りないくらい腕が痛みに軋んでいた。
ネロは怯まずにカレンの正面から拳による連撃をさらに繰り出す。
カレンも負けじと受け流し続ける。
その中でネロに隙ができ反撃にでる、ということができたのならそれは僥倖だろう。
何度も何度も迫りくるネロの攻撃と、繰り返されるカレンの防御。
それが覆る瞬間はいつになったら訪れるのか。
カレンの腕は、あんなにも綺麗だった白い肌は、今となっては傷や痣だらけの酷いものに堕ちていく。
もうじきカレンの体力にも限界が来る。もうだめなのでは? 自分の力ではそもそも敵うことなどあり得なかったのでは? もうじきネロの手で殺されてしまうのでは? そんな、不安が頭をよぎる。
(…………ん?)
そのとき、カレンはふとした変化に気が付いた。
ネロの動きが変わったわけではない。
カレンの体力に限界が来たわけでもない。
明確な理由があったわけではない。ただそんな予感がしたのだ。
状況が変化しようとしている。
ネロはもうじき、勝負に決着をつけてくるはずだ。
だったらそれは――
(――あれが、来る)
カレンはネロの戦いをずっと見てきた。だからこそ感じる。たとえ自我を失おうと、ネロは今まで見せてきた身のこなしと同様であった。
たとえどれだけ暴れ狂う獣になろうと、ネロの戦闘スタイルは崩れなかった。意思はなくとも、そこには身体に染みついた記憶がある。
ならばネロは、必ず決め技として寸勁を放ってくる。
繰り出される技が何か分かれば対処はできる。
反撃に出るための最後の賭けだ。
(やるなら今しかない!)
カレンは残った力を振り絞る。払う左腕がネロの腕に触れた瞬間、力の限りネロを大きく後退させた。同等の衝撃で弾かれた左腕はカレンの胴に僅かな隙が生じさせる。
それを好機とネロは活歩による超速の接近から、拳を突き出す。
しかしまだ生きているカレンの右手によって遮られる。ただし強化された右手であろうと、粉砕されるのは目に見えている。
「――だけど……まだ、終われない!」
だからカレンは行使した。自身のうちに潜むわずかな魔力。それを糧にした最大限の疑似魔術を。
「深淵に煌めく救世の星。我が身を喰らいて今こそ咲き誇らん。顕現せよ、空を隔てし橙赤の花よ!」
カレンの右手を中心に生じた橙色の蕾。それは美しくも荘厳で昂然たる花と化す。
ロゼから受け渡された防御術式を備えた礼装。ロゼがカレンの能力に合わせて調整した秘蔵の品。
カレンを動かす燃料ともいえる魔力を燃やし、さらに自身の強化の能力を重ね掛けさらに補強する。
自分自身を強化することができないという制約。しかし、一旦体内から放出され礼装とともに展開された術式はもう自分自身の身体ではない。
カレンの能力の神髄。その強化能力は一介の魔術師を遥かに凌駕する。
開いた花の大きさもカレンの身体と同等の大きさ。展開できる方向は発動した瞬間に礼装を向けていた方向のみ。故に城門の如き防御力を備えようと、攻撃の来る場所がわからなければ真価を発揮できない。
だが、カレンにはわかっていたのだ。ネロは必ず寸勁を放ち、そして胴の中心を狙ってくると。
賭けに近い無謀な策ではあったものの、見事技の対処に間に合う。
しかし、安心してはいられない。
いくらロゼの製作した礼装であろうとも、カレンの状態が万全である時にこそ最大の効果を発揮する。この礼装もいつ破られてもおかしくないのだ。
今のネロが放つ威力では数秒後には破壊される。
逆に言えば数秒は持つということ。
カレンは瞬時に、迷いなく次の策に移行する。
「今だ。虐げられし異能者たちの怨嗟の声よ。我が手に集い煉獄を謳え。来て、紅蓮纏いし終焉の魔槍!」
紫電を伴い吸い寄せられるようにカレンの左手に収められた魔槍。それはルークの愛用する紅蓮の魔槍。
この戦場に赴く上で一時的に借り受けた対魔兵器。ただ一度のみ振るうことが許された絶対的な力の奔流。その魔槍を手にした犠牲としてカレンの左腕は完全に砕け散った。
だが、これでいい。
あとはこの天に掲げた滅属性を付与したままの魔槍を振り下ろすだけ。
ただそれだけで決着がつく。
「これで、終わりだッ!」
カレンは堂々と死闘の終幕を宣言する。
魔槍の穂先は確かにネロの身体を刈り取り、身に纏う漆黒の魔力が綻び始める。
ネロを蝕む呪いが消失する吉兆が現れた。
しかし、同時にそれは起こった。
「――あぁぁぁあぁあ■■■■■■■■■■■■!!」
抵抗するネロの更なる咆哮が大地を、空間を、震わした。
瞬間、カレンの目の前が爆散する。
バキッ、と軋む音が鳴る。
何度も何度も繰り返し響くそれが何であるかは歴然だ。
展開させた橙赤の花はまるで硝子細工のように無残に砕け散った。手にした魔槍は呆気なく吹き飛ばされた。
「――い、やっ……」
その衝撃に耐え切れず十数メートル弾き飛ばされるカレン。
能力の行使に限界がきたらしい。無理をしすぎたらしい。身体に纏う橙の光は次第に消えていく。これではネロの猛攻に耐えることができない。
何とか地に伏すことは避けたかのように思えたが、うまく体勢を保てずに膝を突く。
右脚の感覚がなかった。
それもそのはず。カレンの右脚は鎖を介して大地に繋ぎ止められたまま。
膝を境目に引き千切れていたのだから。
(……ああ、……ここまで、か)
ネロは右腕を蒸気機関じみた巨大な剛腕に変形させる。
その一撃がどれだけ破壊力のあるものなのかも、カレンは十分に知っている。
もう動くことも避けることもできない。耐えることなどできるはずもない。
剛腕を振り上げ、今まさにカレンの身体を破壊しようと疾走する。
(もう、だめだ。やっぱり、わたしはあなたには敵わない。
どうやっても止めることができない。わたしは無力だ)
「……ごめんね、ハクア……」
その囁きと共にカレンは眼を瞑る。
死を覚悟した。
もう、死は怖くなかった。
あれだけ恐かったものなのに、今ではもうすっかりと。
もとより死した身であることを受け入れているのか。それとも、ただ思考が麻痺しているだけなのか。
ただ、カレンは悔しかった。
ネロのために何もできず、無為に死んでいくことが。
何よりも悔しかった。
それでも、
それでも、
カレンは残された正真正銘最後の力を振り絞る。
ネロの疾走は止まらない。
その先に待つは死という事実。
そんなものはどうでもいい。
片脚で立ち上がり、まるで駆けてくる子供を抱擁せんが如く両腕を広げる。
ネロは吼える。猛獣の如き怒涛の破壊行為をまき散らすべく。
繰り出すは必殺を超えた絶技。
『絶招・猛虎硬爬山』――!!
カレンは強く、強く、想いの限り優しく、そして温かく――
「――待ってる。きっとだよ」
太陽のような微笑みでネロの身体を抱きしめるのだった。




