第7話 願いの果てに⑤
決着がついた。ジェインが倒れたことで機械の獣を生み出す魔術は解け、この研究所を脅かす敵はその機能を停止させることだろう。
もうこれ以上、犠牲者は出ない。そう思うと嬉しくて仕方がなかった。
隣で死闘を見守っていたカレンがロゼさんのもとへと駆けていく。僕も続けて駆けて行った。
ロゼさんは駆け付けてくれた時と同じように悠然と佇む。
「所長。数年のブランクって何だったんです。圧倒的じゃないですか」
「すごいですよ。所長がこんなに強かったなんて」
無事な僕たちを見てか、先ほどとは打って変わってあまりにも優しい表情を浮かべるロゼさん。
こんな表情もできるんだな。もっと見ていたいな。そんな感傷に浸りたくなる。
「そうでもないさ。久々にあの魔術を使ったものの、一度の発動でこのざまだ。もう一度あれをしろと言われても、少し休憩をはさみたくなるくらいにね。
衰えたものさ。アーネストやあの娘とやり合ったあの時は、こんなものじゃなかったのにな」
悲観するように自身の腕を見るロゼさん。その腕は微かに麻痺したかのように痙攣していた。
「それに、あまり見られたくないところも見せてしまったね。しかし、無事で何よりだ、ふたりとも。僕が来るまでよく持ちこたえたね」
「誇れることじゃないですよ。ジェインは僕たち相手に手加減をしていたのですから」
「それでもだ。君たちが食い止めていなければもっと被害は広がっていたはずだ。十分誇れることだよ」
「ネロさん。ここは素直にありがとうって言っちゃおうよ」
「そうだな。所長、あなたにそう言っていただいて嬉しいです。そして助けに来てくれて感謝します」
「よろしい。そんなことより、もうここに用はないだろ。魔術の残滓の回収もしたいが、雨も降りそうだし一旦は研究所に戻るとしようじゃないか」
「そうですね。シェルプちゃんにミラさん、フランさんもどうしてるか心配ですし」
そう言ってロゼさんは研究所に向かって歩き出す。
カレンも一足遅れてロゼさんに付いていく。
僕は何気なく背後を見た。
激しい戦闘の跡。巨大な植物兵器は未だに姿を現したまま消えることはない。その中にいるはずのジェインからはもう、気配すら感じない。
静寂がこの身を包む。
「……そうだな。全部終わったんだ、――ッ」
瞬間、背筋が震えるほどの悪寒。
吐き気をもよおすほどの悪魔的な気配。
ここにいてはいけない。すぐに逃げるんだ。
そう僕の脳が危険信号を送ってくる。
この感覚を、僕は知っている。
「ロゼさん、逃げ――」
言い切る前に。
伝えきる前に。
ロゼさんが理解する前に。
目前の空間が破裂する。
鼓膜が破れんばかりの轟音が身を貫き、衝撃に吹き飛ばされないように耐えるだけで精一杯だった。
目を開き、そしてロゼさんを見れば……
「――しょ、所長……」
吹き飛ばされていたカレンは地に伏せながら言葉を紡ぐ。ただし、それ以外はもう出てきはしない。
ロゼさんの身体は燃えるような真紅の槍に貫かれていた。
この状況はテレジアの遺跡の時と同じだ。
ごふっ、と口から血を吐き出す。
ロゼさんは自身を貫く槍を見て「……ああ、油断したな」と他人事のように囁いた。
むしろ、この状況になることをあらかじめ予想していて、その結果すらも受け入れんとする。そんな落ち着きを見せるロゼさんに、恐ろしさを抱く。
「……ルーク、か」
虚空に光が集まり、そこに顕現する槍遣いの能力者。ルーク・シュバルツ。
「ルーク!!」
怒りに任せ、躊躇いなく飛びかかろうとする。が、それも叶わない。
「お前は邪魔だ」
目が合う。
それはまるで宇宙に渦巻く星々のようで、――
その瞬間、全身の力が吸い取られるように地に伏す。
魔眼の力か? しかし、僕はルークさんが魔眼の所有者であるという情報は持ち合わせていない。
もしそうだとすると、僕は今、ルークさんの威圧のみで動けなくなっていることに他ならない。笑える。ルークさんを打倒したいと意気込んでおきながらこのありさま。今の僕はあまりにも無力だ。
「久しいなロゼ。自分が支配していたはずの人形に、逆に殺される気分はどうだ」
「そう、だね。うん……たまには、悪くないかな、……こんな気分も。自業自得かな、ってね。……僕は、自分の望みを叶えるために、君を利用した。こうなることも、納得できる」
「ならば潔く死ぬがいい。懺悔は地獄に落ちてからするのだな」
「――くく」
ロゼさんは力なく微かに微笑む。
「? 何がおかしい」
「いいや。……何も。どうせ、僕の命は長くない。ならば最後に、ネロに一言、声を掛けるくらいさせてくれてもいいだろ」
槍に貫かれ、もう機能しない身体をよそに、首だけをこちらに向け語り掛ける。
「ネロ、君は決して弱くない。証拠に君は今もカレンとともに戦場に立っているじゃないか。君は諦めかけていた僕を奮い立たせてくれたじゃないか。
恥じることはない。ただ経験が足りなかっただけなのだから。それならば、別の何かで埋め合わせすればいい。もうそろそろだ。君が服用した竜化薬。それは間もなく最大の効力を発揮する」
言われて気が付く。僕の内から湧き上がる、滾る魔力の胎動に。
「ロゼさん」
「必ず、だ。必ず目の前の能力者を打ち倒し、そしてカレンと共に生きのびるんだ。僕からの、友人でなく主としての、最後の命令だ」
力なく、しかし強い意志でそう告げた。
そして直後、ロゼさんはルークの魔弾の豪雨に曝され、身体の一遍も残すことなく霧散した。
ロゼさんの魔力の痕跡でさえも、塵のように風に舞い消えていく。
――ありがとう、僕は君たちに出会えて、本当に幸せだったよ。
そんな声が、聞こえたような気がした。
「……ロゼ、さん」
傍らでカレンが地に伏せ震え、泣いている。
何もできなかった。
今もなお、ロゼさんがいたはずの場所を眺めることしかできない。
情けないにもほどがある。
僕は結局、ロゼさんが消失するその瞬間まで、一歩たりとも動くことができずにいた。
恐怖に圧され震える身体は、目の前の敵を排除したいという感情も、単純に『動け』という脳の命令すらも受け付けない。まるで地面に縫い付けられたかのような感覚。
けれど、唇だけは動かせた。声だけは絞り出すことができた。
低く、そして掠れたような怨嗟の声で。
「……ルーク。あんた、自分が何をしたのか分かっているのか」
友人であった人間の死を目の当たりにして、僕の頭の中は今までにないくらいの怒りで満たされていた。
「……」
ルークは何も答えず、僕という存在を見据えるのみ。
「必ず、だ。必ずあんたを八つ裂きにしてやる。あんたが今したことを何倍にもして返してやる。
楽に死ねると思うな。おまえには死よりも辛い苦痛を与えてやる。僕はお前を、お前を、……お前、を……?」
――あれ?
そう何かの違和感に気が付いたときにはもう遅かった。
僕の頭の中にはある呪文のような言葉が繰り返し響き続ける。
まるで洗脳にかけるかのように、何度も、何度も。
――殺せ。目の前に立ち塞がる能力者を殺すんだ。
――そうすれば、君の守りたい世界の平穏は約束される。
――さあ、ネロ・ヴァイス。
――その怒りを解き放て。
そして、僕の意識は真っ白な闇の底へと沈んでいく。
そこから先は覚えていない。
気が付いたときには――
すべてが終わっていた。




