第7話 願いの果てに①
光のトンネルを潜り抜けた先、そこは目と鼻の先さえも見渡せないくらいの闇。そして息苦しいほどに閉じられている空間。
ここは本当に、僕たちが暮らしていたあの研究所なのか?
そう勘繰りたくなるくらい、ここは別の世界だった。
背後で輝き続けていた光は次第に弱まり、話にあったとおりにそれは消滅した。
それにより、僕の回りは完全な闇に包まれる。
どこを向こうと僕の目に映るのは真っ黒に染められた壁だけだ。
「カレン、いるか?」
「うん。無事だよ」
「そうか。よかった」
たとえ何も視認できなくとも、その声と僕の手を握ったままの暖かな手はカレンが無事隣にいてくれていることを証明してくれる。
それさえ分かれば十分だ。
さて、と息をついた時、壁に取り付けられていたのであろう蝋燭が次々に火を灯す。
「おかえりなさいです。カレンさん、ネロさん」
フランやミラさんとは違うが聞き覚えのある幼い声。
僕たちの目の前にはふわふわと浮遊している着せ替え人形のように小さな少女、シェルプだった。
「シェルプちゃん? どうしてここに」
と聞いたのはカレンだった。
「転位門の制御を任されたですよ。誰か一人はここにいる必要がありましたから。でもですね、うちは嫌って言ったんですよ。それに、みんなと一緒に機械の化け物たちと戦うってことも。
それなのにフランさんが無理やり。聞く耳なしです。あとで仕返ししてやるです。冷水ぶっかけてやるです」
シェルプは話し続ける。相変わらず面白い女の子だ。
この様子もいつも通りのことではあるが、今日この時ばかりは若干の苛立ちが芽生え始めた。
「シェルプ。緊急事態なんだろ。状況を説明してくれ」
「うぐっ。ネロさん、いつにも増して恐いです。わかったです。ついてくるです」
とだけ言ってシェルプはふよふよと移動を始める。
言われるがまま後ろについて、複雑な迷宮を走り続ける。いくつもの階段を登っていることから、あの転位門は研究所の地下深くにあったのだろう。
「状況の説明ですが、まずフランさんからはどこまで聞いてます?」
「ジェインの率いる機械の獣に襲われている、とだけだ。かなりの数で苦戦しているらしいな」
「苦戦、ですか。強がりもいいところです。苦戦どころの話じゃないです。圧倒的ですよ。あと何分もつかってくらいに悲惨な状況です」
「そこまでひどいの? シェルプちゃん」
「はい。魔導人形部隊はもう八割がたやられてるです。対してあっちは無尽蔵。長期戦になればなるほど不利になるです。ミラさんも言ってましたが、機械獣を生み出している大元を絶つしか他にないと」
「確かに。使い魔を使役して戦うことを主としている魔術師を相手にする場合、それは定石だ。が、そいつの居場所がわからないことにはどうしようもない。調べはついているのか?」
その質問に、シェルプは悔しそうに拳を握りしめる。
「そんな余裕はありませんよ。みんな、目の前の敵に対抗するのに必死ですから。うちは何とか戦線から離脱しましたが、それでも大元を絶つなんてことはできませんです。
だからこそ、ネロさんたちに頼みたいのです。その大元を見つけ出して叩いてほしいです」
涙交じりの震えた声に、僕は安心させるように言う。
「心配するな、シェルプ。言われるまでもない。僕たちはそのために帰ってきたんだから」
「そうだよ。シェルプちゃん。わたしたちに任せて」
カレンもシェルプを安心させるように微笑んでそう答えた。
「ネロさん。カレンさん。ありがとうです」
じゅるじゅると鼻水をすするシェルプ。こんなにも小さく非力な少女が頑張っているのだ。その想いに応えなければ、男がすたるってものだ。
急いだおかげもあり、数分もしないうちに地上にたどりつく。
迷宮の圧迫感から解放され安堵の息をついた。のだが、それも束の間、目の前に広がる光景に息を呑む。
「――なんだよ、これは」
シェルプの言うように、地上はまるで戦場そのものだった。
すでに死した魔導人形や機械の獣がいくつも横たわっている。建物からは轟々と火が噴き、今にも崩れそうな状態だ。
そんな赤に染まった景色から、昔の記憶が蘇る。ここはもうじき地獄と化す。あの地獄にまた戻ってきた。その恐怖に飲み込まれそうになるが――
「ネロさん、急ぐですよ!」
そのシェルプの呼び掛けで我に返る。
「――あ、ああ。それで、どこに急ぐんだ」
「まずは所長さんのところです」
◇
道中数匹の機械獣に襲われるも、なんとかそれらを撃退し所長室まで辿り着く。
いつもならノックをしてから扉を開けるのだが、今回ばかりはそんな時間すら惜しい。僕たちは勢いよく扉を開き、中へと駆ける。
それは酷い有様だった。
外から直接襲撃を受けたのか、壁は崩れ吹き曝しになっている。家具は壊され、整えられていた書類は散乱している。火の手が回ってきていないのが幸いであるが、ここはもはや部屋として機能していると言えなかった。
そんな場所には誰もいないようにも見えた。しかし、微かに人の気配を感じる。ただ、それと同時に鼻につく血の臭い。すぐ隣に設置されたソファからだ。
よく見れば、背もたれの陰に隠れてロゼさんがソファに横たわっていた。
「――ロゼさん!」
駆け寄り名前を呼ぶ。同時にはっと息を飲む。
「……やあ、ネロにカレン。おかえり」
そんな風にロゼさんは平静を装っているが、僕たちはそういかなかった。
何故なら、目の前に横たわるロゼさんから大量の血が溢れ出していたからだ。
流れ出る血液はソファに染み込み、それでも染み込みきらない血液はぽたぽたと床に滴り落ちる。
「おかえりじゃないですよ。その傷はどうしたんですか」
それでもロゼさんはまるでどうとでもないように微笑むが、これは誰がどう見ても致命傷だ。
「ルークさんが帰ってきたです。ジェインさんと一緒に。目的は無の霊獣ジェミニの確保らしいです。今は研究所のどこかで指揮をとっているみたいですが――」
そこまで言ったところでロゼさんがそれを遮る。
「――シェルプ」
「あ、ごめんなさいです……」
普段おしゃべりなシェルプも、ロゼさんという人にかかればその一言のみで黙らせることができるようだ。しかし、シェルプのその言葉だけでこの事態に陥った原因が予想できた。
「ルークさんが帰ってきたのですか?」
「それにジェインさんとも言いましたよね」
僕たちがそう問うと、ロゼさんは恥ずかしそうに頬を掻く。
「……はは、しくじったよ。まさか、こうやって奇襲をかけられるとは思わなかった。これはルークにつけられた傷さ。なんとか人形を盾にして辛うじて逃げ回ってはきたものの、どうしたものか……」
普段のような口調で無事なように振る舞ってはいるが、次第に額から汗がにじみ出てきて、どう見ても苦しそうだった。
「シェルプ。……傷の手当てを、頼む……」
「わかりましたです。道具とってくるです」
そう答え、シェルプは奥の部屋へ飛んでいく。
それを見届けてからロゼさんは話し始める。
「シェルプの言ったように目的は霊獣。君たち二人の中に埋め込んだジェミニの核だ。こうなることを予期してこの日付近に二人を遠ざけようとセッティングしたんだけど。うまくいかないものだね、まったく。このまま二人でイチャイチャしておけばよかったものを」
「でも、僕たちの力が必要になること見越していたからこそ、ミラさんやフランを通じて転移装置を渡してくれて、こうして連絡をくれたのでしょ」
「ミラとフランが? くっ、余計なことをする。あれは彼らが勝手にやったことだ。僕はまったく関与していない。あの阿呆どもが、僕の計画を台無しにして……」
珍しく辛辣な言葉を口にするロゼさん。
しばらくしてシェルプが戻り、傷の手当てを始めた。
「それはそれで、だ。このまま黙っていると眠ってしまいそうなんだ。そのまま永眠なんて馬鹿げているからね。何か話をしないか。
例えば、レイベルで何があったか、とか。できれば、耳を塞ぎたくなるくらい恥ずかしい話があればいいのだが」
「残念ながら、そんな甘い体験談はありませんよ」
「そうか? でも、何か一つくらいはあるだろ。レイベルに行って得たものが」
「それは……」
あるにはあるのだが。
言い出しにくく、カレンに助けを求めようとするも、カレンも僕と同じように助けを求めていた。その目線はおそらくこう言っている。
ネロさん、何とかしてよ~、と。
だから仕方なく僕からロゼさんに訊いてみることにした。
「単刀直入にお聞きします。ロゼさん。あなたは僕たちの――」
と口に出すが、やはり気まずくて言いづらい。そんな僕たちを見てか、ロゼさんから話を切り出してくれた。
「そうか。記憶、取り戻せたんだね」
「……はい」
僕がそう答えると、次はカレンのほうを向いて訊ねる。
「カレンも?」
その質問に、カレンは「はい」と頷いた。
そんな僕たちの答えを聞いたロゼさんは微笑する。
「それだったら、これ以上隠そうとするのは無意味な足掻きにしかならないね。
――そうだよ。白状するとさ、僕は、ロゼ・フェイズは、君たちと幼い頃からずっと一緒に育ってきた親友だった。
どれだけ時が経とうとも、どれだけ自分を失いかけた時でも、決して忘れることはなかったんだよ。あの時の思い出だけは」
重い腕を動かし、恥ずかしそうに頬を掻く。気まずかったのは僕たちだけじゃなく、ロゼさんも同じだったようだ。
「今、フランとミラが先頭に立って機械の獣と戦っている。状況は圧倒的に不利だが、ルークが出てこない限りあの二人がやられるようなことはない。すぐにでも戦場に赴きたい気持ちはあるだろうが、今は少しだけ時間をもらってもいいかな」
「……はい。ですが、その前にひとつ言わせていただきたいことがあります。あなたは何故、ずっとこの真実を隠していたのですか」
できたのなら、もっと早く言ってほしかった。あんなに辛い過去を一人で背負ってほしくなかった。いくらでも僕たちは力になったのに。
「言えるわけないだろ。君たちは本来なら死ぬ運命にあった。でも、僕の勝手な想いで君たちを甦らせてしまった。君たちの運命を捻じ曲げてしまった。
記憶が薄れているのなら、せめてあの地獄を忘れたまま生きてほしかった。それに、今までの僕の旅路にしても同じこと。知らない方がいいことも、やはりあるんだよ」
僕たちの想いとはすれ違うように、ロゼさんはその罪悪感から自分一人で背負おうとしていた。しかし、そんな思い違いの独り歩きはもう終わり。ロゼさんは真実を知った僕たちに頭を下げた。
「けど、黙っていたことだけは良くなかった。まずは君たちに謝りたい。すまなかった」
そんな行動を見て僕は首をふる。
「謝る必要はありません。謝る理由がわかりません。だってあなたは、僕たちの命を救ってくれたじゃないですか。
所長がやってきたことについては今でも困惑はしていますが、少なくとも恨んではいません。だから、頭を下げないでください」
そんな僕の言葉に意表を突かれたのか、ロゼさんは目を丸くする。
「ネロ。まさか君は憎しみの感情を消失してしまったのか」
それを聞いてカレンはふっとほくそ笑む。
「カレンもどうしたんだ」
「だって、その言葉にその態度。わたしに見せたものと同じなんですよ。デジャヴって言うのですか? これって。おかしくって笑っちゃいました。
ネロさんはね、所長の行いのすべてを受け入れ、そのうえで許すって言ったのですよ。要するに器が大きすぎるってことです。ネロさんも成長したんですよ」
「その言い方は何だよ。まるで僕がもともとダメだったよう言いぶりじゃないか。……しかし、カレンに言われてしまいましたが、まあ、そういうことです」
器が大きいは過大評価なだけですけど、とだけ付け加えた。
それを聞いてかロゼさんはふっと一笑する。
観念したのか開き直ったのか、先ほどまでの強張った表情が一変して朗らかなものになる。
「理由は分かったよ。それでもだ、全てを知ったというのに、君たちは僕のことをまだ所長って言うんだね。昔みたいにロゼって呼んでもいいんだよ」
「さすがにそれはできませんよ。もう僕にとって所長は所長ですから。愛称のように思ってください」
「所長も人のこと言えないですよ」
とカレンが言う。
「それはどういうことだい?」
「前はわたしのことカレン、なんて呼び捨てじゃなかったでしょ」
「そうだったね。たしか、カレンさん、だったか。カレンさんって呼ぼうか?」
「いいえ、今のままで。急に畏まられるとむず痒いです」
「じゃあ、今のままで」
三人一緒に笑う。
それを見ていたシェルプは初めての光景にたじろぐ。
それを見た僕たち三人はまた微笑む。
ここが戦場であることなんてお構いなしに、昔のように笑うのだった。




