第6話 失われた過去/壊された未来①
夢を見た。
久しぶりに見る心地よい夢。
暖かな光に包まれて、重力の無い宙を漂う。
そこで囁かれる少女の声。
『わたしはここにいるわ。きっと会いに来てくれるって、信じてる』
妙に現実感がある。けれど、思い通りに身体を動かせないことから、やっぱりこれは夢なんだろう。
それでも、その声だけは夢でも何でもなく、本当に聞こえたものだったのかもしれない。
そして、五月二日。
僕たちの最後の日が幕を開けた。
◇
目覚まし時計のベルが鳴り響く。
その音で目が覚め、ベルを止める。
時計の針を見れば、設定した通り午前の五時半を示している。
カーテンの隙間から早朝のうっすらとした日差しが射し込んでいる。それがどれだけ弱い光であろうと、眠りから覚めた直後の目にとって強烈な刺激となった。
数秒間それらの刺激を感じて、布団から出ようとする。
その時だ。
僕の身体を覆い隠していた布団が突然宙に舞う。
そして発せられる甘い声。
「朝だよー。起きなさーい。あと五分なんてのは無しなんだからね」
部屋に響きわたる目覚まし音声。
掠れた視界。目を凝らして見てみると、寝ている僕に覆いかぶさるように顔を近づけている少女がいた。寝起きに突然現れるなんとも魅惑的な形相。
普段は見ることのないパジャマ姿に結わえていない下ろした髪。そこから漂う甘いの香り。それらは僕の心を容赦なく惹きつける。
……はずなのだが、僕にそういった感情は全く起きなかった。
その少女がカレンだったからか?
それともいろいろと防御があまいくせに、橙色の眼鏡だけは忘れずにかけていたことがおかしく思えたのか。
いや、たぶん寝起き故に僕の脳が働いていなかったのだろう。
「――カレン。一体何をしにきた」
特に焦るようなこともなく、冷静な口調で問いかける。
「何って、起こしにきてあげたに決まってるじゃないの」
「起こしに? 僕はそんなの頼んでないぞ。それに、これは不法侵入だ。訴えられても文句は言えないからな」
「え、訴えるの?」
「次もするようなら訴えるかもな、ロゼさんに」
裁判官ロゼの誕生である。
以外と似合っているかも。
「それ死刑宣告と同じじゃない。お願い、それだけはなんとか」
「それなら僕の質問にひとつ答えろ。それで許してやるよ」
「うん。でもネロさん、卑猥な質問は止めてね――って、腕をドリルに変形させないでください。闘技場以外の施設では能力の使用禁止だって!」
「そうだな。でも、緊急事態等の例外においてそれは適用されない。だろ、カレン?」
「へ?」
続けて無機質な金属の刃を高速で回転させる。
「うぉっ、動いた?」
「そう。今はまさに緊急事態。故に能力使用の制限は解かれる。能力を行使して目の前の侵入者を排除する」
「うわぁ、こっちに向けないでよ。もしかして寝惚けてる? 危ないって!」
「おまえがふざけるからだろ。まったく」
そう言って、腕の形を元に戻した。
「さて、これは置いておくとして、改めてひとつ質問だ。おまえ、どうやって僕の部屋に入った?」
この部屋に入るなら、当然扉を開いて入るか、窓から侵入するしかない。だが、扉も窓もしっかりと鍵をかけている。扉は電子キーとなっており、ピッキングによる開錠は不可能だ。
「それはね。その、なんて言うか」
カレンは申し訳なさそうにもじもじとする。そして口にした言葉。
「予備の鍵を貸してもらったの」
「鍵? いやいや、おかしいだろ。普通他人の部屋の鍵なんて渡してもらえるはずないって」
「それじゃあ普通じゃなかったんだね。以前の仕事から帰ってきたときに、一か八かで所長に聞いてみたの。ネロさんのお世話をしたいので鍵を拝借してもよろしいでしょうか、って」
お世話? メイドかよ。僕たちの関係はあくまで対等。上下関係なんてありやしないだろ。
「もしかして、それでロゼさんは貸したのか? 僕の部屋の鍵を?」
「ばっちり」
ロゼさんは共犯だった。
裁判官が共犯者ってなんだよ。馬鹿げてる。無罪確定じゃないか。
ここのセキュリティシステム、なんだか不安を覚える。
「わたしも驚いちゃった。まさかそれだけで借りれてしまうだなんて。何か裏でもあったりして」
「あの人のことだ。ただの遊びだろうさ」
「かもね。……え? ほんとにそう? 反射的に、かもねって言っちゃったけど」
「その可能性もあるだろうさ。ほら、僕もレイベルに行く準備をしたいから、一旦部屋から出ていってくれ」
「うん。それではまた、一階のホールで」
カレンは橙の髪を靡かせながら部屋から出ていく。
そして振り向き小さく手を振った。
その時の彼女の表情はどうだったか。
僕にはそれが、憑き物が落ちたかのような、無垢な明るい少女の笑顔に見えた。
◇
数分後の玄関ホール。
ベンチに座ってカレンの到着を待っていた。時刻は六時ちょうど。カレンと待ち合わせた時間ピッタリだ。となればカレンは遅刻していることになる。
早朝であるからか人の気配が全くない。住み慣れた建物もここまでくるとまるで廃屋のようで気味が悪くなる。だけれど、それでもここは僕たちの住む家である。そんなに悪くは言えない。
しーんと静まるホールで数分佇む。特に何も考えず、じっとこの空間と一体になるように。
そんな中で、廊下の奥からリンとエレベーターが到着した音が鳴る。
続けてコツコツと走る足の音がこちらに向かってくる。
「ごめんね、少し遅れちゃった」
と謝りながらやってきたのはカレンだ。
ワンピースに薄手のカーディガンといういつも通りの見慣れた私服姿。
僕の前まで来ると、流れるような動作で頭を下げる。
「大丈夫だ。僕もついさっき来たところだ。気にしなくていい」
「ありがとう。ところで朝食はどうする?」
「途中の店で食べればいいだろう。希望があればそこに寄るけど」
カレンはそれを聞き考える。
「じゃあハンバーグが食べたい」
「ハンバーグ? 朝から? それに、ハンバーグならここにもメニューであるじゃん。他のにしなよ」
「ええ、今はとてもハンバーグを食べたい気分なの。もちろん大根おろしは必須だからね」
「そうかい。じゃあそうしよう。レイベルまでの道にあればいいけどな」
「ハンバーグ、嫌?」
「そんなことないさ、それより」
それ以前にこの時間に開いている店があるのかどうか疑問だが。
場所によっては朝の五時から開いているところもあるらしいが、どこもそういうところばかりではない。
開いていなければほかの店を探せばいい。
ちなみに僕は、
「味噌汁が有るか無いか。朝はそれが重要だ」
◇
研究所の玄関ホールを出てから数分歩き、駐車場に辿り着く。
もともと来客なんてものはないため、物資の運送にきた大型のトラック数台と車を十数台停めるスペースしか用意されていない。そんな駐車場の奥にある屋根付きの区画にひっそりと銀色のシートに覆われたものがある。
「あれだ」
そう言って僕は指をさす。
カレンはそれを見るも、何だかよくわからないものが置いてある、とのように首を傾げていた。
停められている数台の車の横を通りすぎ、その銀色のシートのもとまで歩く。
シートを取ると、そこにあったのはとある有名なメーカーの大型バイクだった。いったいどれほどの価格なんだ、と思いはしたものの、それと同時に無駄な思考だとも思う。僕が買えるような額でないことは明白だからだ。
「バイクか。ちょっとした大型ってだけで何の意外性もないね。おもしろくない。どうせならもっと派手に改造しないと」
「意外性って。バイクを知ってる人に聞かれたら説教されるぞ、その言葉。それに改造したら警察に目をつけられるからだめだ。常識で考えろよ」
それ以前にむやみに改造なんてするものじゃないし。素人の行いでは機能が低下するのがおちだ。
「ま、それはわかってるよ。冗談です。もし派手なバイクに乗って行くとか言い出したら、ネロさんとはここでさよならだったよ」
いままでありがとうございました。もうあなたとは他人同士。もう話しかけないでね、と。
「よし、それじゃあカレンは後ろに乗ってくれ。ちょっと揺れるだろうが我慢しろよ」
「うん」
そして、ヘルメットを被ろうとしたところで「おはよう、カレンちゃんにネロくん」と声をかけられる。
振り向けば、そこにはミラさん立っていた。
「……ああ、ミラさんですか。おはようございます。ここにいるってことは、今からどこかに出かけるのですか?」
その質問にミラさんは首を振る。
「違うわよ。むしろ帰ってきたところ。さっき所長さんに仕事の報告をしてからまたここに戻ってきたの」
「あれ? 所長ってこんな時間から起きているんですか?」
と意外そうに言うカレン。
「いつもなら寝てるらしいけどね。私がその時間に帰るって連絡してたのもあるけど、他にも用があったみたい」
「そうでしたか。で、今回の仕事はどうでした? たしかミラさんが外に出るのは四回目だったかと。でもそこまで苦労しなかったんじゃないですか?」
「そうね。仕事自体は苦労しなかったわ。順調に進んで問題なく終わった。今回もフランと一緒に行ってきたんだけれど、あいつって意外と頼りになるのね。知らなかったわ。
それに、現地の子どもにも優しくて、気がつけば皆からなつかれてるの。フランは荒くれものの野獣タイプって思ってたけど、見直しちゃった」
と微笑むミラさん。
「それじゃあ、何も問題はなかったのですね。よかったです」
と言うも、それについては首を振って否定した。
「――問題は、あったわ。仕事が終わってからだけど。帰りにちょっと厄介な子に出会っちゃって」
「厄介な子、ですか?」
うん、とカレンの問いにミラさんは頷く。
「多分ネロくんやカレンちゃんと同じくらいの年齢だったかな。大きな鎌を持った銀髪の魔術師と一戦交えたんだけど。厄介な相手でね。不意打ちにあってフランがやられたのよ」
フランが?
そんな、まさか。
「ミラさん。フランは無事なんですか? 大きなケガをしたんじゃ。まさか、死んでなんて――」
詰め寄る僕をなだめるようにミラさんは答える。
「落ち着いて、ネロくん。フランなら大丈夫よ。軽い怪我で今は医務室で寝てるけど、一日もすれば治るわよ」
「そうですか。よかった」
と、胸を撫で下ろしたカレン。
僕も同じような気持ちだが、それ以上に気になることがある。
「不意打ちだったとしてもフランがやられるなんて。相当な実力者だったってことですか?」
「純粋な強さっていうよりはむしろ珍しくて対応しきれなかったって感じ。あれはまさに秘術の類いよ。あの死神、火と幻の属性を合わせ持っていた。それに加えて微量の時属性も兼ね備えているかもしれない。
あ、でもこの話はあなたたちを脅かすためにしたわけじゃないのよ。実体験を元にしたためになる話ってやつよ。だからこの話はあまり深刻にとらえなくていいわ。たとえ無事に終わったとしても、気を抜いてはいけないってこと」
「家に帰るまでが遠足ってことですね」
カレンの答えにミラさんは若干苦笑する。
「それとは、少し違うかも……」
そんなことより、とミラさんは話を変える。
「あ、そうそう。本題がまだだった。さっき報告しに行った時に所長さんからこれを預かったの」
そう言って手のひらサイズの立方体の機械を差し出す。
一つの面に水晶が埋め込まれていて、起動と同時に立方体が展開されそうにも見える。
「なんですか、これ?」
「空間転移装置。前に魔術人形の移動に使った礼装よ。原理ついて詳しいことは訊かないでね。何も答えられないから」
空間転移。以前カレンに聞いたあれか。
そう言えば自分自身でもそんな感じの体験をしたことがあったな。テレジア学園の地下での出来事だ。あれを思い返すと嫌な予感しかしない代物だが。
「わかりました。とりあえず持っていきますね」
受け取り、それをポケットにしまう。
「そりゃ助かるわ。わたしが怒られなくてすむ」
「苦労してるんですね」
「あなたほどじゃないわよ。……それじゃあ、気を付けてね。何かあったら自分たちだけで解決しようとせずに、わたしたちに連絡すること」
「はい。わかりました」
と、僕は答えた。続けて同じようにカレンも答えた。
ミラさんは踵を返し研究棟へと戻っていく。
「それじゃあ、改めて出発するとしますか」




