第5話 終わりの始まり④
「レイベルという街をご存知ですか? そこに少しの間だけカレンと二人で出掛けたいと思っているのです。外出の許可をいただけないでしょうか?」
その問にロゼさんは意外なくらいに目を丸くする。しかし、すぐに落ち着きを取り戻し聞き返してくる。
「カレンと二人でか? いや、そんなことはいい。君は今、レイベルと言ったね。僕は聞いたことないのだけれど。はて、それはどこにある街だったかな? ここからあまりに遠すぎるようなら少し考える必要があるからね」
「あれ、知りませんか? ここカルデアからずっと南に位置する海岸沿いの街らしいのですが」
「おいおい、僕を何でも知ってる天才みたいに言わないでくれ。僕にも知らないことはあるよ。それにしても海岸沿いか」
言いながら、ロゼさんは書棚から地図を取り出して確認する。
「ああ、ここだね。ここからだと、そうだな……山を二つ越えた先になるのか。車でずっと走り続けても半日はかかるじゃないか。テレジアに行ったばかりだというのによくやるよ。でも行けない距離ではないね」
「仕事となると別ですよ。あくまで小旅行みたいなものですから。……ん、車? 僕たちは列車で行こうと思っているのですが?」
「はい? あんな場所を列車が走るわけないじゃないか。誰に需要があるんだよ」
需要がないって。駅が必要ないくらい人が少ない場所なのか?
しかし、列車がないのか。それは困ったな。
「ではあの、車を――」
「だめだよ」
え、即答――?
「ですが数台あるでしょ。どれか一つだけでも――」
「だめだ。あれはすべて僕の愛車でね。残念ながら誰にも運転させるつもりはないんだよ。信用していないわけではないけれど、もしものことがあったら困るからね。
敵に襲われて大破、なんてことがあれば僕はひどく恨むことになる」
「敵を、ですか?」
「君を、だよ」
え? おかしくないか、それ。
「……そう、ですか」
「冗談だよ。そんな怖い顔をするな。とは言え、移動手段がないと君も困るだろ。車の代わりといってはなんだが、バイクを貸してあげよう。あの大型のやつ。もちろん二人乗りはできる。カレンは後ろに乗せてやるといい」
二人乗りか。カレン、後ろに乗って暴れないか心配だな。
それでも、乗り物を借りられるだけありがたいと思っておこう。
「では、それでお願いします。次に外出の日時についてなんですけど、出来るだけ早めに時間を取りたいのですが」
「そうだね。君にやってもらいたい仕事はいくつかあるんだけれど、その中でも二つは急ぎでお願いしたくてね。少なくともそれが終わってからになる。日付でいうと……五月の二日、土曜日なんてどうだい?」
意外と早い日付を指定してくれて安心した。
だけど言い換えるならば、その二つの仕事はこの日までに終わらせなければならないということか。さて、どのような仕事を言い渡されるのやら。
「ではその日でお願いします。今日はいろいろとありがとうございました。それではそういうことで失礼します」
そう言って頭を下げる。流れるような動作で踵を返し扉に向かって足を踏み出した。
が、このまま退室させてはもらえないようで「ちょっと待った」と引き止められる。
「――それで、行く理由は?」
ぎこちない仕草でもう一度ロゼさんの方に向きなおす。
「……言わなきゃ、だめですか?」
「当たり前だろ。それはどこにいこうと当然のルールだ」
「た、ただの観光ですよ。カレンに海を見せて、あげたくて」
嘘だ。
まるっきりの嘘だ。
海を見せたいってなんだよ。もっといい理由があるだろ。すぐに見破られて咎められるに違いない。最悪、逃げ出す算段をしているなどと、僕の行動に訝しむのでは。
そう不安になるものの、
「そうかそうか。それならいいだろう。今まで仕事づくしだったからね。これを期に心も身体を休めてくるといい」
と、予想に反したロゼさんの反応に呆気にとられる。
「あれ、いいのですか?」
ロゼさんは僕たちが逃げ出すのではないか、などと疑わないのだろうか。それとも逃げ出したところで連れ戻す手段はいくらでもあるのか。
「もしかしてやましいことでも考えていた?」
「い、いえ。そのようなことは決して」
「それならいいじゃないか。今の時期に海を見に行くくらいなら問題ないだろ。泳ぐと言われればさすがに許可を出せないけど」
でしょうね。
カレンの身体のことを考えるならば、それくらい承知している。
半身が機械でできているんだ。もし海に入ろうものならおそらく……沈む。
「君とカレンなら、間違いは犯さないだろう。いろいろな意味でね」
「そう思って頂けるのならありがたいです」
いろいろってなんだよ。いろいろって。
……だが、どうだろう。話がうまく進みすぎている気がする。普段のロゼさんなら何らかの疑いは持つはずだ。それがこうも順調に外出の許可をとれるなんて。
なんだがロゼさんのいいように動かされているような気さえする。
勘ぐりすぎだろうか。
ともあれ、ここで悩んでも答えはでない。考え込んでいては余計に怪しまれるだけだ。
「それでは、失礼してもよろしいでしょうか」
と、部屋を出て行ってもいいか聞く。
が、ロゼさんの言葉に遮られる。
「そうだ、最後にひとつだけ。海に行くなら魚を買ってきてよ。魚と言ってもただの魚じゃなくてその街特産のものがいい。売ってないなら潜って捕ってきてもかまわないから。よろしくね」
指を一本だけ立てて、笑みをこぼすロゼさんだった。
◇
「そういうわけだ。おまえの分の申請もしている」
ロゼさんとの会話を伝えると、カレンは明らかな不満の色を浮かべる。
「そんな顔をするなよ。なんか後悔しそうじゃないか」
「いやいや、嬉しいよ。ここまで私のためにしてくれて。でも急すぎるよ」
「確かに急かもしれない。でも、こうでもしない限りおまえは故郷に帰ろうなんてしないだろ。もう嫌と言っても無理やり連れていくからな」
「知らない。わたしは一度も故郷に帰りたいなんて言ってないし、今までの会話からどうすればこれに繋がるのかも分からないよ」
刺々しくはないものの、大変ご不満の様子。それも当然。レイベルはカレンにとっての闇に等しい。同時に忘れることのできない光だ。
そんなレイベルを壊した張本人。戻りたくても、戻ることさえ許されない。そう認識している彼女。
だけれども、それはカレン一人の都合であり、他人の意見を全く反映していない。
だから、今度は僕の言葉に耳を傾けてほしい。カレンの身近なものとしての想いを。
「テレジアの帰りからずっと考えていたんだ。カレンは正義感の強い娘だ。当然、罪から逃げることなんてしないだろう。けど、少し頑固なところもある。
だから、結局ずっとこの世界で戦い続けようとするんじゃないかって。意味もなく自分自身を痛めつけようとしているんじゃないかって。意地でも自分自身に罰を与えるように。
でも、よく考えてみれば、カレンは僕たちと同じように一度死んでいるようなもの。だが、僕たちと違って以前の記憶がある。それは死の瞬間の恐怖を覚えているということだ。死んでいった者たちの苦しみを知っているということだ。
これは、ある意味で相応の罰をすでに受けたことになるんじゃないのか? ならば、せめて。いや、だからこそ、生きることのできなかった者たちの分まで精一杯生きていく。幸せになれなかった者たちの分まで幸せになる。
それをレイベルの皆に誓い、前を向いて進むことが、お前にとっての償いになるんじゃないか?」
カレンは黙って僕の話を聞く。
頷きもしない。首を振りもしない。
だが、目線を逸らす彼女の表情に少しの変化が。
強張っていたものが、だんだんと穏やかに、静寂に。
彼女の中で、答えが出つつある。
「おまえは今まで償いという言葉を悪い意味でしか捉えていなかったんだと思う。だから、これからは少しでも良い方向に考えていってもいいんじゃないかな? 生きていたい、その感情自体が償いになると僕は思うんだ」
これから先、きっとカレンの未来は明るいものになるはずだ。希望に満ちた世界が待っているはずだ。そうなって欲しいと僕は思う。
そんな様子を見てカレンは目を丸くする。
すると次は頭を抱えて、うう、と唸りを上げる。
表情がころころと目まぐるしく変化するカレン。大丈夫かと声をかけようとしたが、最後に彼女は「はあ」と大きなため息をついた。
「わたしの負け。もういいよ。ネロさんの好きなようにして」
それは、ぼそっと、きわめて小さな呟きだった。そのため、聞き間違いかとも思えた。
人の耳は都合がいいようにできている。彼女の言葉とは関係なく自分の聴きたい言葉に変換されている可能性だってあり得るのだ。念のためだ。失礼を承知で訊いてみる。
「ごめん、聞き取りづらかった。もう一度言ってくれるかな」
それを聞き、カレンは顔を赤らめる。
そしてむっと口をとがらせてから、
「だから、あなたの好きにしてって言ってるのっ!」
と、叫んだ。一瞬だけ言葉を失う。
でも、今度ははっきりと聞こえた。今度は聞き間違えない。
言葉は違うが、カレンはしっかりと、僕と一緒にレイベルに行くことを認めてくれたのだ。
それを聞いた瞬間、あまりの嬉しさから心の中で「よしっ!」と叫んだ。
「そうか、それなら」
これから先の予定を話そうとする。
が、そっと口の前にカレンの人差し指が添えられる。
少し待って、という意味なのだろう。僕は頷いてカレンの言葉を待つ。
「――その代り」
その、代り……?
言って、ふふ、と微笑する。まるで無垢で可愛らしい少女のように。
「絶対にわたしを一人にしないでね」
これが条件、だと。
これにはつい、僕もはにかんでしまう。
何の誘惑だよ、と。
僕はすでに決まっている答えをカレンに伝える。
カレンは分かりきった答えを僕から聞く。
「もちろんだ。当たり前のこと、だろ。」
そうだ。僕にとってこれは当然のことなのだ。条件にも何にもならない当然のことなのだ。
ははは、とお互いに声に出して笑う。
無事に後味の悪くならないように終えることができたらしい。
二人で並んで歩く。自然と歩幅は一緒になっていた。
駐車場に止めている車が見えてくる。見ると、助手席からミラさんが微笑んで手を振っていた。ミラさんは一度だけ運転席側を見てから、僕たちに向けて苦笑する。たぶん、フランが待ちくたびれているのだろう。
「それじゃあ、帰ろうか」
「うん」
研究所で出会ってから。
カレンを救いたいと願ってから。
初めて僕は、カレンと同じ景色を見ている。
やっとスタート地点に立てたのだ。
このまま終わりまで突き進むだけだ、と決意を新たに僕は研究所へと帰る。
噛み合って回り始めた歯車は、もう止まることはない。
身の回りのすべてを巻き込み加速する。
終わりはすぐ、目の前だ。




