第5話 終わりの始まり②
薄暗い廊下を進みつづける。
ぴとぴと、と爆発により壊れた排水管から水が漏れ、滴が落ちてくる。
僕の進んできた道には、獣のような何かが数十体と気を失い倒れている。
そいつらをどれだけ倒そうと、ただの徒労にしかならない。しかし、無意味なことではないだろう。このようなモノが襲い掛かってくるということは、それだけ捕獲対象に近づいているということ。
僕の目的は最初から最後までこの研究所の所長を捕らえることのみ。そして魔術機関に引き渡すことで仕事は完了する。
彼が何をしたかは事前に伝え聞いている。
生体実験。陸上生物はもちろん、海洋生物にも手を出し、生物兵器として改造を施す。また、たちが悪いことに、そこには魔術的要因が入り込んでいる。生物兵器自体が一体の魔術師として機能している。
簡単な例を挙げるなら、普段街を歩いている犬や猫が電撃や炎を飛ばしてくる、ということが起こってしまうわけだ。
それらが後ろに倒れている獣ども。唯一の救いは、まだ人間と同等またはそれ以上の知能を持っていないことか。
そのためか、この時点で止まっていたのならばまだ見逃されていたらしい。
では、何が原因でとらえることになったのかといえば、それら生物兵器を用いた内密な取引が行われていたらしい。それがあまりにも広範囲に広がれば一般社会に多大な影響を及ぼすことが想定される。
彼は魔術の使い手にとって超えてはならない一線を超えてしまった。よって手に負えない事態になる前に機関はロゼさんに依頼したのだ。
さて。ここに来る前にフランから連絡があった。所長室と思われる部屋に捕えるべき男の身柄はなかったと。
まあ、当然だろう。これだけの騒ぎを起こしたんだ。余程の自信家でない限り、逃げずにとどまるようなやつはいない。必ずどこか安全と考えている場所に隠れ潜んでいるはずだ。
そこで、僕はある場所へと向かう。建物の一角に目立たないほどひっそりと存在していた地下へと続く階段。おそらく一般的な建物でいうと地下三階くらいまでは降りたか。
化け物を撃退しながらずいぶん歩いたが、おそらくここで最後。目の前には金庫のように頑丈に施錠されていたであろう鋼鉄の扉。だが、それはすでに開かれていて、まるで入って来いと誘いをかけているようだった。
罠だろうかと思うくらい慎重ではあるが、そこで立ち止まり引き返すほど臆病な性格はしていない。通信機でフランに地下室のことたけ伝え、そのまま歩き続け大きな扉をくぐる。
その瞬間、がしゃんと鉄同士のぶつかる音がする。振り返るまでもなく鋼鉄の扉が自動的に閉じられたことがわかる。そして眩い照明が灯される。
そこに広がるのは数十メートル四方の白い部屋。目の前の壁には人の力ではびくともしなさそうな鉄の扉。
その前に立つ初老の男性。一切隠れもせずに僕と対峙する。
「ようこそ、フェイズの魔導人形」
決して大きな声ではない。しかし、閉じられた空間のためか、それはしっかりと僕の耳に届いた。
「おまえは……」
「私の名前は、――と普段なら自己紹介でもしていただろうが、残念ながら君たちのような傀儡に名乗る名はない。
ただ、どうやら君はできそこないの人形とは違い意志疎通ができるらしい。どうだ、特別に少しだけ話しをしてみないかね?」
「話しだと。お前にそのような時間が残されていると思っているのか」
「さてな。だが交渉の時間くらいはあるだろ」
焦りの感じられない余裕な口調が続く。それは自信の表れか。それとも状況を理解できていないだけなのか。
「どうだ。ロゼのもとを離れ私のもとに来ないかね? 報酬は弾む。君が望むものは可能な限り揃えよう」
そんな誘いも、どのような報酬も、僕にとっては天秤に掛けるまでもない。
はっ、と笑い捨てる。
「くだらない。僕がそのような戯言に耳を傾けるとでも思ったか」
そして、男の笑みが消える。
「それは残念だ。なれば、最後にひとつだけ頼みたいのだが、よいかね?」
先ほどとは一転して、その言葉に一切の抑揚が感じられなくなる。
「まさか見逃してくれとでも言いたいのか?」
「見逃してくれ? それこそ君の台詞ではないのかね」
その言葉を発した瞬間、ゴンッと機械の駆動音のような音が響く。
「――?」
何事か、と辺りを警戒する。
すると、男の背後に存在する巨大な鉄の扉が徐々に沈んでいく。
これから起こることがまったく予想できないわけじゃない。それでも「何をするつもりだ」と問わずにはいられなかった。
恐怖、ではない。場合によっては、僕は決してあいつに見せてはいけない姿を晒してしまうことになるかもしれない。そんな不安が頭をよぎる。
それでも時間は止まらずに進んでいく。
扉が完全に開ききる。そして、暗闇の奥から不気味に光る朱い双眸。ズシンと重量感のある音を伴いながら、それはやってきた。
四足歩行で犬のようにも見える。光にさらされるにつれ明らかになる正体。頭部には猛牛のような二本の角。そして爬虫類の持つような尻尾。すべての部位が異様なほどに盛り上がった筋肉に覆われている巨大生物。
「これが私の研究成果。合成魔獣キマイラだ。来い、キマイラ。食事の時間だ」
キマイラと呼ばれる魔獣は、グルルと唸りを上げながら、男の横につく。
「このように、キマイラは私の意のままに動く」
異様な光景だ。力関係では明らかに優っているであろうあの獣は、まるであの男を主人と見なしているかように指示に従う。
「最後の頼みが何か教えてやろう。貴様が宿す力をもって、私を愉しませろ。これに尽きる。キマイラが能力のすべてを出しきってから、散るがよい」
そして、男は僕に向かって指をさす。キマイラの視線はその先へ。
「行け、キマイラ。一遍の肉も残すな。最後の血の一滴まで飲み干し、奴を喰らい尽くすのだ!」
その言葉を合図に、おとなしかったキマイラは雄叫びをあげ、その見た目通りの凶悪な獣へと変貌する。獣は地を蹴り、僕という餌を喰らうため、一直線に駆ける。
それを見て僕は何を思ったか。
不思議と恐怖はなかった。でも、その代わりに……
逃げもしない。
隠れもしない。
しかし、構えもしない。
ただ、その場に佇む。
「どうした。足がすくんで動けないか? 目の前の現実を見て恐怖したか。所詮は人間をベースとした傀儡。元の性能からして、かなう道理などないのだよ」
自信に満ち溢れた台詞を吐く男。
そんな彼など、今となってはただのゴミ同然の存在だ。返す言葉など一つもない。
目を閉じる。
感情の整理をしよう。
あの魔獣を見て思ったこと。それは同情だ。そして灯る静かな怒り。
本来なら自然で雄大に、あるいは良き心を持つ人間と協力し合って、その生を謳歌していたことだろう。
だが、今となってはどうだ。あれは何だ。ただの動く肉塊。魔術の犠牲となった命の成れの果て。そこにはもう本来の尊厳など存在しない。
だから、僕が今からする行為は、決して悪意によるものではなく。
あくまで正義による暴力を振るおう。
魔術という呪いから解放するために。
――目を開く。
目前には猛進する化物。
今にも僕を貫かんとするその巨大な角。
それを真正面から掴み、受け止めた。
身体が引き裂かれそうな衝撃と、それに伴う苦痛。数メートル押し戻されるも、踏み止まり、そこからはもうびくともしない。
単純な力比べでさえ、この獣は人間ベースである僕に敵わなかった。
「……だから気乗りはしなかったんだ。僕はね、死というモノが嫌いだ。どんなものよりもね。自分が死ぬことはもうこりごりだし、他人が死ぬところもできるのなら見たくない。
何故なら僕自身、死というモノの恐ろしさを知っているからだ。僕自身が体験した地獄そのものだから。
だから、どのような仕事であっても死者を出さないように努めてきた。その対象には人間だけでなく動物も入っている。
ここに来るまでに使い魔となった獣が襲い掛かってきたけど、そんなものでさえ気を失わせるだけに抑えている。
そんな僕をあいつは優しいって言ってくれた。けど、それは違う。僕は逃げているだけだ。死という現実から。こればかりは克服できないだろう。いや、克服しようとも思わない。
僕は、いずれ自分が死ぬ時までそれから逃げ続けることだろう。目を逸らし続けることだろう。でもね、どのようなことにだって例外はある」
「貴様、何を言っている」
「僕の目の前のこれは何だ? 尊い命か? 違うだろ。命の消え去ったただの傀儡だ。動く肉塊だ。動物を利用した使い魔とはわけが違う。
もう元には戻らない。もう元の生活には戻れない。そこに命というものは存在ぜず、そして死という恐怖もまた、感じることはない」
「それが何だというのだ! キマイラ、魔術を行使しろ!」
動きを縫われた魔獣は、男の声に呼応し角を光らせ稲妻を放つ。
それでも僕は手を放さない。焼けて黒焦げになった腕も、能力で瞬時に再生する。
口から炎を放とうとも、精製した氷の柱を突き刺そうとも、その状況が覆ることはない。
そんな光景を目の当たりにして、男は絶望する。
「ありえん。ありえん。ありえん。ありえん!」
自身の最高傑作であり、唯一無二の存在証明である合成魔獣。
それを真っ向から否定される悪夢。
「どうなっている。あのロゼがここまで精巧な能力者を生み出すことなど――」
首を振りながら、一歩、また一歩と後退する。
そして、背中が部屋の壁にぶつかったとき、すべてが決する。
腕に最大の力を込め、角を支点に魔獣の身体を持ち上げる。
「――おおぉぉおお!」
叫びとともに、僕の何倍もの体重をもつそれを空中へと投げ上げる。そして慣れた動作で、あるひとつの構えに移行する。
「今、楽にしてやる。それが僕のしてやれる唯一の慈悲だ。傀儡と化した魂たちよ。その束縛から解き放たれ、安らかに眠るといい」
落下してくるソレの胴にめがけて、そっと手を添えるように寸勁を放つ。
そして、キマイラと呼ばれる魔獣は無残にも、そのたった一手で霧散した。
あっけない結末だった。
ここで勝利の宣言をするようなことはなく、ただじっと目の前で震える男の歪んだ顔を睨んだ。
大量の汗が流れ落ちる醜いものに変貌した男は、一言だけ告げて奥の扉から逃げ出していった。
「化物どもめ。覚えておけ。次こそは必ず貴様らを破滅させてやる」
もう、次など来ないとも知らずに。




