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第4話 異界よりの帰還②

 カレンと別れてから十五分を超えたくらいだろう。

 ティアさんと話し終えたカレンが人混みを避けながら、こちらに駆け足で向かってきた。


「お待たせしました」

「もういいのか?」

「はい。話すことは話してきましたから。もしわたしが能力者としてではなく、ただの学生として生きていたなら、ティアさんとはいい友達になれたかもしれません」


 と微笑む。が、それがどことなく哀愁を帯びているようで、僕は少々疑問を持った。


「そうなのか? 僕にはお前たちが本当に仲直りはできたのか、って思ったけどな。なんだか無理に笑っている気がする」

「――そう見えます?」

「ああ。内心では何か思い詰めたような感じで。ただの直感だけどな」

「そうですか。……でも、ティアさんと仲直りできたのは本当のことです。ネロさんの言うような表情をしているのは別のことについてです。あの、ですね……」


 と話を続けようとするが、喉に何かがつっかえているかのように「あの、その……」だとか、「えっと……」と、なかなか自身の気持ちを言い出せないでいるカレン。

 見かねた僕はカレンの手を引っ張り駅の中に入る。入って右側に切符売り場と案内所。正面に改札口。そして、左側には多数の長椅子とレール全体を見渡せる二階に続く階段がある。

 僕はそこに向かって歩き、階段をのぼる。二階も多数の長椅子が設置されていた。そのうちの一つに座り、カレンを隣に座らせる。そして、待ち時間に購入したある物を差し出した。

 木目模様の厚紙で作られた弁当箱のような物。

 閉じた蓋の隙間からは少量の湯気がもれている。

 嬉しいことに中にあるものはまだ冷めていないらしい。


「ほら、これでも食べて気持ちを落ち着かせろ。意外と美味しいぞ、これ」

「何ですか?」


 カレンは首を傾げながら受け取り、恐る恐ると蓋を開けた。

 すると箱の中に閉じ込められていた湯気が香ばしい匂いを乗せて立ち上がる。その時、こわばっていたカレンの頬がほんの少しだけ緩んだようにみえた。


「タコヤキっていう食べ物らしい。いい匂いだろ」

「はい。いい匂いです」


 そう言ってから、爪楊枝でタコヤキを一つ取り上げ、口に含もうとする。が、そこで動きを止めて僕に訊いてきた。


「――あ、あの、本当にいただいてもいいのでしょうか」


 カレンはすんでのところで食べるのを止めたと思っているが、もう唇にタコヤキのソースがついてしまっている。僕はつい微笑んで「大丈夫だ、気にするな」と食べるように促した。


「それでは、いただきます」


 カレンは止めていた動作を再開してタコヤキを口に含む。よく噛んで味わい、そして飲み込んだ。


「ほんとだ。美味しいです、……けど」 

「けど?」


 カレンの肩が小刻みに震えだし、呼吸が荒くなる。そして、目からはうっすらと涙が流れていた。


「なんでだろう。目が熱くなってきちゃった。わたし、もしかして泣いちゃってる? ごめんなさい、せっかく気を遣ってくれたのに」


 自分の気持ちをコントロールできないことによる戸惑いからなのだろうか。言葉遣いが聞き慣れないものになっていた。

 タコヤキの箱を横に置き、手のひらで涙を拭って必死に止めようとしている。それでも指の隙間から溢れるほど、カレンは涙を流した。


「ずっと、一人で耐えてきたんだな。今までの生活や昨日のような事は辛かったのか?」


 そう、囁くような声でに訊く。カレンは顔を覆ったまま「何度目です? それを聞くのは」と鼻水を啜る音を交えながら聞き返す。


「まだ二回目だよ」


 そして、ポケットからハンカチを取り出し、カレンに渡した。カレンはそれを受け取ると涙を丁寧に拭き取る。それでも、赤く染まった顔を元に戻すことはできなかったらしい。


「ネロさん、わたしは楽しいですよ。みんなと一緒にいれて。だから、辛くはありません」


 やっぱり、おまえはそのような言葉で返してくるんだな。それが偽りの気持ちなのだということは、既に分かっている。

 だからといって「その気持ちは嘘なんだろ」なんて今まで言えなかった。ずっとカレンから言ってくれるのを待つだけだった。言えば、余計にカレンを辛い目に会わせるだけだと思っていたから。

 しかし、どのような理由であれ、涙を流すカレンを見て、いつものように気付かないふりができるほどねじ曲がった性格は持ち合わせていない。


「あーあ。なんだかみっともないですよね。わたし」


 カレンは立ち上がり、前に進んで手すりを掴む。

 そのままレールを走る列車を眺めていた。


「そんなことないさ」


 僕は立ち上がらずに答えた。


「どうしてです?  わたしはもう小さな子供じゃないのに」

「子供じゃなくても泣くときはあるだろ」

「あります?」

「そうだな。例えば、……

 ――悲しい過去や取り戻したい過去を思い出した時とかはどうだ」


 それを聞いたカレンは恐る恐る僕の方に振り返る。まるで信じられない物を見たときのような目をしていた。


「カレン。おまえにはここに来る前の、普通の人として生きていた頃の記憶が残っているんじゃないのか」


 カレンはいつものように研究所の屋上からにぎやかな街の風景を眺めていた。まるで、以前の記憶を遡り、懐かしんでいるようにも見えた。

 昨日の買い物の時だってそうだ。お土産探しは別にして、最後に探して買ってきたあの品物はカレンにとっての何なんだ。

 それらが不審に思えてならなかった。僕には以前から元々持ち合わせていたあの記憶があったから、余計にそう感じたのだろう。

 カレンは諦めたように肩を落とす。


「はは、わたしから全部告白しようと決心していたのに。先を越されちゃいました」


 そして、恥ずかしそうに微笑を浮かべ頬を掻く。


「その通りです。ネロさんの言う通りです。わたしには本来失われているはずの記憶が残っています。完全に、ではないですけどね」

「そっか」

「いつから確信したのです? できる限り悟られないようにしてきたのですが」

「確信なんてしてないさ。確かにおまえの様子に際立っておかしなところはなかったからな。研究所の屋上から景色を眺めていることも、ただ憧れているだけともとれた。

 この街、テレジアでのおまえの行動も、ただはしゃいでいるだけにもとれた。ただし、おまえと出会った時の記憶が僕に残っていなければ、の話だがな。

 おまえは研究所で目覚めた時、僕を見て何かを言おうとしただろ。知ってる顔を見てその人の名前を呼ぼうとした。そこから推測するに、君は自身の生前の記憶だけでなく、僕についての記憶も持っているはずだ。

 だから、僕のことが気になったり、見ていて落ち着かない気分になったんじゃないのか。カレン、君はいったい誰なんだ」


 カレンにとっての何なのか。

 僕はそれが知りたかった。

 しかし、それが叶うことはなかった。


「出会った時のこと、まだ覚えていたのですね。でも、ネロさん。最後の部分は間違いですよ」


 そう言うと、カレンは再び僕のところに戻ってきて隣に座り、話し始める。


「わたしはネロさんのことは知りませんでした。昔の知り合いにあなたとよく似た人がいて、ネロさんとその人を重ねてしまった。第一ネロさんのように冷静な雰囲気はなくて、もっと熱血感に溢れる人でしたから。別人ですよ」


 その人のことを思いながら話しているのだろうか。ほんの少しだけ、カレンの顔に笑みが浮かぶ。たぶん、カレンはその人に好意を抱いていたのだろう。なんだか嫉妬してしまう。ここにはいない、その人に。


「一つだけ、聞いていいか?」

「はい。何ですか?」

「おまえは、自分の故郷に帰りたいか? 家族や友達に会いたいか?」


 その問いに少し考えてからカレンは答える。


「……帰りたいです。会いたいです。でも、無理なんです。わたしは死んだはずの人間なんですよ」


 自分が死んだという事実。それがどれだけ重いことなのか、十分理解しているつもりだ。

 だから、自分の故郷に帰れない。

 だから、自分の親や友人たちに顔向けできない。

 カレンはそう思っているのだろう。

 でも、それは違うだろ。


「……でも、今は生きている。こうして触れあえるじゃないか。だから、もし自分の故郷を覚えているのならそこに行ってみないか。もっと記憶を取り戻せるかもしれない。過去の知り合いとの関係を取り戻せるかもしれない。

 遠い地だったとしても、僕がなんとかする。休暇に関してもロゼさんに頼んでみるよ。せっかく決心して記憶が残っていることを話そうとしてくれたんだから」


 余計なお節介だってことはわかっている。

 それでも言わずにはいられなかった。

 カレンは僕にはない、無くしてはいけない光を持っているのだから。

 しかし、それでもカレンは「駄目なんです」と首を振った。


「もう一度言います。わたしの家族の住んでいた、わたしの友人の住んでいた、愛する故郷に帰ることなんてもうできないのです。できるわけがないのです。だって――」


 言っていることは同じであっても、その真剣な眼差しは、僕に一言たりとも反論を許さない。

 そこでやっと勘づいた。カレンが決心して告白しようとしていた内容は、記憶が残っているという一点ではなかったということに。

 自分が死んだという現実は変えられないからだとか。生前の家族や友人にとってもそれは同じことだから、今さら親族の方に顔向けできないだとか。

 そんな予想は全て的外れだった。

 カレンが本当に隠したかったことは。

 カレンが本当に打ち明けたかったことは。

 気持ちのありようで解決できるものではなかったのだ。

 記憶が残っているという事実の、その向こう。

 黙ったままの僕に対してカレンは言う。


「――わたしは、自分の故郷をこの手で滅ぼしたのですから」

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