第4話 異界よりの帰還①
翌日、四月十九日の日曜日。
時刻は午前七時半頃。
昨日、始発の列車に乗ると言いながら僕とカレンは共に寝坊してしまったようだ。研究所に着くのはおそらく日付が変わった頃になるだろう。
時間は遅くなったものの帰りの列車に乗るためにテレジア中央駅への道を歩く。
それにしても足が重い。身体中が怠い。しかしそれもそのはず。異界に飛ばされたことに霊獣の出現。そしてルークさんとの対峙。予想外の連続だった。
こんなの当分の間はこりごりだ。
とは言え、ロゼさんはこのことを予測して僕たちに任したのだろうか。
もし僕たち以外があの遺跡に行けばどうなっていたか。微かな疑問だった。
「昨日は危険な目にあわせてすまなかった。まあ、こんなことは滅多にないから安心しろ」
と、声をかけるもカレンは僕の後ろについて歩くだけ。ただの一言も声を発しない彼女は、何だか不自然で気になった。昨日の出来事にはカレンも何か思うところがあったのだろうか。
「……どうかしたのか、カレン?」
そう訊ねると、カレンはびくりと肩を震わせ「いえ、何でもありません」と動揺を隠すように言うだけだった。
特に会話もなく数分歩き続けたところで僕たちは駅に到着する。休日でもあるからか駅は人で溢れかえっていた。
そこで突然、妙な視線を感じた。
ただ、それによって圧迫感や焦燥感が生まれることはない。その視線からは敵意が微塵も感じられなかったからだ。
辺りを見渡すと、常に流れる人混みの中におとなしそうな少女が一人、その場を動かずに佇んでいる。
たしか百貨店で会った三人の女の子のうちの一人だったはず。遠くから見ていることもあり、また顔が少し隠れているため確証は持てないが。
「カレン、ちょっと待て。あそこ、入口から横に逸れた柱付近。そこに立っている女の子がいるだろ。あの娘、何だかこっちを見てないか?」
促され、それを目にしたカレンは急に目を細くして「あら。待ち伏せですか」と、低い声で敵意を向ける。
二人の女性を交互に見つめ、そしてカレンに訊ねた。
「あの娘って――」
「わたしを襲い、そのうえ服と眼鏡をぼろぼろにしたティア・パーシスさんですよ。ネロさんも顔くらい覚えているでしょ?」
やっぱりあの女の子はティアさんだったか。
カレンは普段あまり見せないむすっとした顔をしている。機嫌が悪くなったのは言うまでもない。ここはティアさんの視線を無視してここを過ぎ去るのも一つの手。
しかし彼女はやはり僕たちに用があったらしく、小走りで人混みを避けながらこちらに向かってくる。
そして僕たちの目の前まで来たところで「……あの、その」と、今にも周りの雑音にかき消されそうな控え目な声で話しかけてくる。
それに対して何と答えるのが適切かと考えていると、横からカレンが異様にいきいきとした声で返答する。
「どうも、パーシスさん。お元気そうで何よりです」
視界の端に映るカレンの横顔が恐い。微笑んではいるが、内心何を考えているか分かったものじゃない。わりと本気で恐い。これもあの時の恨みか?
「あ、はい。……えっと。おはようございます」
ティアさんはカレンを見て一歩退き、怯えたような声で挨拶した。
この状況を黙って見ているのは息苦しくて仕方がない。せめてこの娘の気持ちをやわらげてあげたいと思い、僕は優しく話しかけた。
「どうしたんだい。僕たちに何かようかな?」
「……その……カレンさんに用が……ありまして」
そう言うどことなく口下手な彼女は、ちらちらと何度も僕の方を見てくる。僕がここにいることが気になるのだろうか。
僕がいると話しにくいことがあるとか。あるいは人見知り。あー、でもカレンの前では普通に話していたらしいから無いか。
「えっと、もしかして僕は邪魔かな。何だか僕がいると話しにくそうだし」
「い、いえ。そのようなことは……」
小声ながらも、できればここにいてほしい、と必死に訴えているような気もした。
理由はわかる。きっとカレンが恐いのだろう。
「……まあ、気にすることはない。二人でじっくり話し合うといいさ。僕は先に切符を買ってくるから」
いくら怒っている状態のカレンでも、そう簡単に手を出すほど子供ではない。……そうであると信じたい。
テレジア学園の女の子たちの問題だったら僕にも関係ある。しかし、ティアさんは用事の相手にカレンだけを指名した。
ならば、今目の前で起こっている問題は僕に関係ないこの二人だけのもの。二人の話し合いで解決させるべきだ。僕が介入する余地はない。
「カレンもティアさんを怯えさせないようにな」
カレンも乗り気ではなかったが、二人を半ば無理矢理通行の邪魔にならないところまでつれて行き、二人を置いて僕は離れることにした。
「それじゃあ僕は切符を買って改札口の近くで待っているよ」
◇
切符を買ってくるとか言ってこの場を去ったネロさん。本当に面倒なことをしてくださる。
何が切符を買ってくるですか。すでに往復の乗車券を持っているではないですか。わたしは一刻も早くここから離れたいというのに。
「で、わたしに何のよう?」
腕を組み、睨むような目付きで目の前の少女を見つめる。
ちょっとした威嚇のつもりだったが、やはり物怖じするような素振りは全く見せなかった。ネロさんの前で見せたあれはなんだったのか。まさか芝居でもしていたの?
そんな彼女は先程とは打って変わって、しっかりとした口調でわたしを見て言った。
「どうしても、あなたに謝罪したかったんです」
「そのためだけにここへ? この場所にわたしたちが来ることをどうやって突き止めたの?」
と、まずは聞いてみる。
ネロさんは彼女を全く警戒していなかったけど、わたしにはそんなことはできない。
まず、なぜ彼女がわたしたちとまた出会うことができたのか、である。意図があって現れたとのことだから偶然ということはないだろう。実はあの時の続きで襲いかかるつもりでは、と訝しんでしまう。
「わたしの友人から、ネロ・ヴァイスという方が今日の朝に列車に乗って帰ると聞きました。それなら一緒に行動されていたあなたも同じかと思いまして。
それに外国から来たのなら、この街で一番大きな駅から乗るだろうと考え、ここで待っていました」
……ネロさんが原因でしたか。
彼女の言い様から時間までは分からなかったようだ。しかし、そこであることに気がつき、つい口にしてしまう。
彼女はどうしてもわたしに謝りたいと言った。それが仮に真実だとすれば……
「まさか、始発の時間からずっとここで待ってたんじゃ……」
呟くような声だったが、ティアはしっかりと聞き取っていたようだ。
「……はい、その通りです。今日は学校も休みですので、ずっとここで待つつもりでした」
正直驚いた。それ以上に、彼女の行動が理解できない。つい饒舌になって問い詰めてしまう。
「はい? わたしはあなたにとってただの見知らぬ他人でしょ。どうせもう会うことなんてないし、あなたの人間関係に狂いが生じる可能性は万に一つもないはずじゃない。なのに、何でわたしに謝罪するためだけにここまで出来るの?」
叫びそうになる気持ちを抑えながら、問い詰める言葉を続ける。
「もし、わたしたちの行く駅が違ったら? もし、気がつかずに通りすぎてしまったら?
それだけであなたの行いは無駄になってしまったのに。そうなる確率は決して低くはないはずなのに。あなたにとってどこに得があるっていうのよ」
それに対してティアは呆然とする。しかし、動揺しているわけではなさそうだ。態度を一切変えずに、少し悩んでから言う。
「……得、ですか? そんなことは全然考えていませんでした」
――え?
そんな意外な彼女の言動。その考えに至らなかった自分が馬鹿だというように苦笑をする彼女に、言葉が見つからなかった。
「わたしは昨日のことで自分が許せなかったんです。あなたのこともろくに知ろうとせず、悪人だと決めつけて行動に移してしまった、わたし自身の稚拙さに。
だから一言謝るために友達から情報を聞いて、ここまで来ました。得とか損とか、そんなんじゃありません」
真剣な顔つきで言い、そして頭を深々と下げる。
「あなたの話をまともに聞かず、能力者ってだけで悪者扱いして。あまつさえ刃物で服まで破って、縄で柱に縛りつけて、あなたを傷つけてしまった。本当に、ごめんなさい」
そう言って紙袋を一つ手渡された。
「これは……」
中身を確認してみると、そこにはカーディガンと眼鏡が一つづつ、そしてお菓子だろうか? ラッピングされた箱が一つ入っていた。
カーディガンと眼鏡はどちらも元々わたしが身に着けていたものと同等の品とみられる。まさかこれも謝罪のために用意してきたというのか。
ティアは再度頭を下げた。全ては自分が悪い。あなたは何も悪くない。ただの被害者だ。そう言っているようにも感じた。
全ての罪を自分が被るような物言いで、彼女は本気で自分『だけ』が悪いと思っている。
わたしには到底真似できない行為だ。もう怒る気にもなれない。自分の器の小ささに我ながら呆れてしまう。その恥ずかしさから顔を隠したくなるくらいに。
「……ティア、さん」
急に弱々しく畏まった声で話しかけたからか、ティアさんは顔を上げ、目をぱちくりとさせていた。
「冷静に考えてみれば、あの時のわたしの対応にこそ悪いところがあったんだよね」
無理矢理彼女を友人のもとに行かせるためにはったりをかけたり、挑発的な態度をとった。むしろ、わたしの方が軽率な行動をとっていた。先に謝るべきはわたしの方だったのに。
「……わたしの方こそ、ごめんなさい」
そう、頭を深く下げて謝罪の言葉を口にした。
ティアさんは謝りに来たはずなのに、逆に謝られているこの状況に困惑し「……え? ……え?」と言葉にならない声を発していた。
そして、ようやく状況が理解できたのか「もういいですよ」と言う。
「頭を上げてください。謝罪しに来たのに逆に謝罪されるなんてなんだか困っちゃいます。ここはお互い様ってことにしませんか?」
相も変わらず落ち着いた口調。言われて顔を上げる。そこで見た彼女の微笑みは、まるで深い闇を消し去る陽光のようで。とても輝いて見えた。
悔しいけど、やっぱりわたしじゃ敵わないや。
◇
『一つ聞きたいんだけど、その後の友人関係は良好?』
そう、別れの際に気になったので訊いてみた。
それに対してティアさんはふふ、とはにかむ。
『能力者であることはまだ隠し通さなければならなくて少し大変ですけど、それでもなんとかやっていけそうです。これも仲直りの切っ掛けを作ってくれたあなたたちのおかげです。ありがとうございました』
彼女は無垢な笑みで言うのだった。
ティアさんと別れてから分かったことがある。
彼女はとても強い。能力者としてではなく、人として自分の弱さや欠点と向かい合い、それを受け入れて前に進む強さ。
能力者であることを隠すのも、魔術も何も知らない友人を巻き込みたくないと思ってのこと。
わたしとは大違いだ。わたしはずっと研究所の仲間を、ネロさんを、彼らのためでなく自分の身を守るためだけに騙し続けてきた。
認めたくない現実から逃げてきた。過去から目を逸らし続けてきた。
でも、そんなことは今日で終わりにしよう。しっかりと真実を伝えよう。
改札口で待つ、あのお人好しな彼に。
わたしのもとから離れてしまってもいい。
嫌われてしまってもかまわない。
それがわたしに対する罰なのであれば。




