第3話 地底に眠りし光の霊獣⑤
ネロとルークが戦う事は今回が初めてではなかった。
半年ほど前の話だ。
いつもフランと行っていた模擬戦にたまたまルークが参加することになった。
ネロは能力者として目覚めてから一年間厳しい修業に耐えてきた。さまざま仕事をこなしてきた。
だから、いくらルークが研究所随一の能力者であると謳われていようと、いい勝負ができるとネロは思っていた。
しかし、どうしたことか。
ネロの拳はルークにかすりすらしない。
結局ネロは文字通り手も足も出なかったのだった。
後から判明した話であるが、ルークはネロとカレンのいざこざを見かねてこのような行動に出たらしい。
そのおかげもあって、そこからあれこれあってネロとカレンは現在のような関係になったのである。が、それはまた別の話。
あれから半年。
ネロは更なる高みを目指して自身の身体を、異能を磨いてきた。
ルークに負けないために。
ロゼの期待に応えるために。
カレンを何者からも守り抜くために。
しかし、ネロは思い知らされる。
この世界には決して越えられない壁があるということを。
◇
戦闘が始まってから数分。
ネロはルークに休む暇も与えないほどの速度で攻撃を加えていく。ルークはそれらをすべて槍で受け流していた。
対するルークも槍による攻撃を繰り出し、ネロはそれを強化された拳で弾き返す。
「腕をあげたな」
相変わらず余裕そうな口振りでルークは囁く。
「あの時とは大違いだ。相当訓練したとみる」
「そりゃどうも」
ネロは真剣だというのに、ルークはまるでネロを子供をようにあしらう。それにネロはついむきになってしまうもそれを表情に出さず次の手に移る。
「それならこれはどうだ!」
ネロの右腕が鋼鉄の如く銀色に変化し、更に数倍もの太さに膨れ上がる。
ネロの有する二つの能力の内、残りの一つが発動したのだ。
それは単なる肉体の『強化』ではない。構造そのものの『変化』だ。今のネロの腕は人のそれではなく機械仕掛けの腕となる。その周りには色の無い半透明な靄が竜巻のように吹き荒ぶ。
魔力ではないものの、それと同義の膨大な異能の力がオーラとなって視覚化されているのだ。
そこから繰り出される技はガードしたところで腕を骨ごと粉砕し塵にするほどの破壊力を備えている。たとえルークほどの手練れであろうと命の保証はできないだろう。
今まさにそれが解き放たれようとする。
ネロを侮り防御行為に徹してきたルークだ。途端の攻撃方法の切り替えに合わせて回避することができなかった。
ルークの立つ位置はネロの攻撃の射程範囲内。
標的に狙いを定め巨大な拳を突き出す。爆弾が炸裂したかのような破裂音が響き、異能の力は硝煙のように霧状に拡散していく。
手応えはあった。直撃した感覚は確かにあった。
だが、おかしい。
ネロの拳には何かに触れる感覚が今もなお続いている。
そう。ルークは吹き飛ばされることもなく、押し倒されることもなく、まるで何もなかったかのようにその場に佇んでいたのだ。
「――しかし、これがおまえの限界でもある」
呆れ果てたように落胆した小さな声が届く。
ルークを包む霧が晴れたとき、そこにあったのは禍々しいほどの漆黒の煙で造られた円盤状の壁だった。
ルークが手をかざし、その前で槍がプロペラのように回転する。その軌道上に煙が円盤状に展開され、ネロの攻撃を受け止めていた。
「嘘、だろ……」
それ以上の言葉がでてこない。
ルークはネロの攻撃をかわせなかったのではない。かわさなかったのだ。
必殺だと思い信じてきた技をこんなにも余裕綽々で受け止められるなど、ネロにとって信じられないことだった。動揺から能力が解除され、機械化した腕はもとの人間のそれに戻ってしまう。
「もしかすると、と思ったのだがな。俺の見る目がなかったということか。仕方がない」
目の前の敵を倒すという敵意が、より鮮明な殺意となってネロに襲いかかる。ぞくりと背筋に電流が走るような戦慄を覚えた。
ルークは人差し指を一本立てて言う。
「一分だ。俺の全力に一分間持ちこたえてみろ。おまえ一人の力でな。それができれば、おまえたちだけは見逃してやる」
ネロはその言葉を理解することができなかった。言葉の意味ではなく、そう言うに到った理由。つまりは意図だ。
しかし、ネロにそれを考える時間も、ルークの言葉に返答する時間も与えられなかった。
突然ネロの視界からルークが消えたのだ。
その驚愕からネロは瞠目する。それでもすぐさまその状況を判断した。ルークは人間離れした恐るべき速度でその場から移動したのだ。
しかし一瞬とも言えるその速度に身体の動きがついていってくれるはずもない。敵の動きを予測し回避することなど到底できるはずもなかった。
ネロの身体に重たい衝撃が走り、がくっと視界が折れ曲がる。防御する暇もなくネロは宙に打ち上げられた。
一体どこから来た攻撃なのか、何による攻撃なのか、ネロには一切視認することができなかった。
しかし、これだけは予想できる。
右脇腹付近にルークの得物、赤い長槍が直撃したのだ。意識が飛びそうな激痛から推測するに直撃した部分は間違いなく肉体を抉りとられていることだろう。
致命的な一撃。しかしネロもこの程度でくたばる能力者ではない。
痛みを認識した直後、傷の急激な治癒が始まる。
ネロは発動していたのだ。ルークが視界から消えた瞬間、意識するよりも早く己の身体が危機を察知し、無意識に異能を展開した。
ネロ自身は目で確認する余裕などないこと、まだ痛みが消えていないことから、傷がどこまで回復しているのか判断できない。
しかし、それだけがネロの命をつなぐ頼みの綱。とにかく今は自身の能力がどこまで効力を発揮してくれるかに賭けるのみだった。
ただし、いくら傷が治ろうとも自己の異能による副作用、つまり傷を癒す度の体力の消耗が消えるわけではない。
それでも一分間、ルークの攻撃に耐えるため肉体の状態保存を決して解くわけにはいかない。
ネロが地に落下し始めたとき、視界の片隅にルークの姿を捉えた。
ルークはすでに槍を構え、続けてそれを一直線にネロの胸部へ突き刺そうとする。
一撃目、二撃目、と十数回の攻撃はなんとか弾き返した。
しかし、もうネロの力では追いつかない。弾き返すのを諦め両腕でガードしようとするも当然のようにそれを貫通して胸を貫く。
「――っ!!」
そしてそれを強引に引き抜くと、続けてもう一突き。更にまた一突き。
数十回。ネロが地に落ちるまで一体何度貫かれたことか。それがわかるのはこの猛威を振るう化け物、ルークただ一人だけだ。
端から見ていたカレンにとってもこの光景は異様なものであった。
「……こんなのって。ひどすぎる」
ルークによる槍さばきは音速の域を越えている。目で捉えることすらとうに不可能。空を切る音のみが耳に伝わり、切っ先はすでにネロの身体を切り裂いている。
これを見て懐いた感情は、ただ純粋な恐怖だった。
血液が飛び散り、真っ白な地面を赤に染めていく。そして、その血肉は蒸発しネロに吸収され、それを糧とし再生を繰り返す。
しかし徐々に傷が目立ってきた。ルークの攻撃速度は、一瞬と言えるほどのネロの再生力すら上回っていたのだ。
ネロが地に落ちその反動から軽く弾んだところで、ルークはネロの腹に強烈な蹴りを入れる。
バキバキと骨が粉砕される鈍い音が響く。ネロは抵抗する間もなく吹き飛ばされ、再び宙を舞い壁に叩きつけられる。
圧倒的であった。もはや勝負でも、殺し合いでもない。一方的な虐殺だ。
ネロに反撃の手段など与えない。
吹き飛ばされた勢いで壁に張り付けられるネロ。
ルークはネロのもとへ初動もなく、再び姿が消えるほどの速度で移動する。引き絞られた弓から放たれる矢、なんてものじゃない。例えるならば銃口から放たれた弾丸だ。
一刻も早くその場から逃れるためにネロは壁を蹴る。しかし、すでにネロの目前には赤い髪の悪魔が到着していた。
すかさず両腕を頭の前に構えるも、槍の一凪ぎで再び壁に叩きつけられる。
ネロが重力に従うままに落下する直前、ルークはネロの髪を掴みそのまま数メートル下方の白い地面に投げつけた。ネロは受け身をとることもできず背中から叩きつけられる。
ぐはっ、と口から血を吐く。もう痛みで自分の身体を自由に動かすことさえ望めない。
ルークはそこで攻撃の手を休めるはずもなく、自身が落下する全エネルギーを槍に込めネロの腹に突き刺した。
「あああぁぁぁああ――!!」
ネロの苦痛による余りにも痛々しい叫びがこの空間に響き渡る。
槍は垂直に地面に貫通している。まるでネロを材料にした、人体の生きた標本のようだった。
「――もう止めて!」
そう叫んだのはカレンだった。
悶え苦しむネロを見て、黙っていることなどどうしてもできなかった。恐怖という感情を圧し殺し、精一杯ルークを睨み付ける。
「お願い。もう終わりにして」
ネロを解放することを乞う。
しかし、それを聞き入れるはずがなかった。ルークは口を歪めて言う。
「そうだな。終わりにしよう」
カレンを横目にルークは槍の固定を左腕一本に担わせ右腕を自由にする。すると、轟と右の手のひらに大量の力が収束する。
それは次第に鼓膜が破れんばかりの轟音を撒き散らす黒い雷の球体へと変貌する。そんな凄烈な雷を纏った腕を振り上げた。
「ネロ。この一撃を身に浴びてもなお再生できるか、俺にその奇跡を見せてみろ」
ルークは間違いなくこの一手で決めにくる。
「やめてぇー!」
カレンの必死な叫びも虚しく、ルークの腕はネロの頭を目掛けて降り下ろされようとする。
直撃しようものなら、どれだけの再生力を持っていようと肉片一つ残りはしないだろう。
一瞬、ネロは諦めかけた。
これはルークを侮り勝負を仕掛けた愚か者への罰なのだと。ルークの黒い雷は僕に与えられた裁きの鉄槌なのだと。
ネロは静かに目を閉じる。
あとは黒い雷に身を焼かれ、滅ぼされるのを待つのみ。
――しかし、ネロはそう簡単に死ねないようだった。
『■■■ッー! しっかりしろー!!』
そんな甲高い少女の声が耳に響く。
懐かしいような、そうでもないような。
でも、それを聞くと何故だか心が安らいでいく。
一瞬、その声はネロの妄想かと思ったが、それは確かな現実のもののようだ。
重い瞼を開き声の方に振り向けば、目に涙を浮かべながらも勇気を振り絞ってネロを激励するカレンの姿。
そうだ、なにをしているんだ。
自分の情けない行為に笑ってしまいそうだ。
こんなところで死んでどうするんだよ。
再びネロの目に光が宿り、開かれた拳を強く握る。
カレンの想いは確かにネロに届いたのだ。
どうにかしてこの場から退く方法。それを薄れゆく意識のなかで思考する。
逃れたくとも、腹に突き刺さり固定された槍を弱りきったネロの力で抜けるはずもない。
ならば――
僅か一瞬の猶予で思い至ったただひとつの秘策。しかし、それは余りにも危険な賭けであった。
そうであっても、もう迷いはしない。
ネロは右手の形状、性質を変化させる。
状態保存の能力を発動していることから、形体変化の能力には制限がかかる。先の機械の腕のような複雑な構造に変化させることはできない。
しかし、今はそんな物に変化させる必要はない。
想像する。
何よりも鋭く、そして触れただけで切れるようなものを。
ネロは自身の右手首から先を一本の刃物に変化させた。これでルークに反撃する、なんてことは思わない。優先するべきは何としてでもこの場から離れること。
ネロはその刃を自身の腹部、槍が突き刺さった真横に突き刺した。そして、横に振り払うように身体を切断する。
「うああぁぁぁああ――!!」
歯を食い縛り、必死に痛みを堪える。
こうして槍の逃げ道を無理矢理作り出したのだ。
傷口が再生する前に身体を横に無理矢理ずらすことで、ようやく束縛から逃れることに成功する。
強力な再生力をもつネロだからこそできた、常軌を逸した方法であった。
その行為を目の当たりにしたルークは驚きを隠せずにいた。しかし、その理由はこの方法で逃れられる可能性を考えていなかったことによるものではない。
ルークはネロに自殺できないという暗示をかけられていることを知っていた。
だからこそ、まさかネロが自分にかけられた暗示を振り切り己の身体を傷つけることを考え、それを実行することができるとは思ってもみなかったのだ。
結局ルークには思い至らなかったが、ネロがこのような行動を起こせたのはそれが自殺をしようとしての行為ではなかったからだ。
ネロは自死のためでなく、生きて帰るという強い意思の持って己の身体を切り裂いたのだ。
一秒にも満たない僅かな時間であったが、ルークはぴたりと硬直する。我に返り再度降り下ろした雷の先には、すでにネロはいなかった。そのまま空振りして地面に直撃する。
黒い雷は暴力の塊となり凄烈な爆音とともに地面を崩壊させ、ルークの位置を始点に巨大な放射状の穴を形成させる。同時に大量の塵が巻き上げられ、分厚く密度の高い壁を生じさせた。
それによりルークの視界は数メートル先が見えないほど遮られる。
ルークはネロの居場所を捉えられずにいた。
目では姿が見えない。
雷の轟音が完全に鳴り止まず、微弱な音は聞き取れない。
気配を感じ取ろうとしたところで、弱りきった気配は遠方に存在するカレンと霊獣レオの気配にかき消される。
対してネロの場合。彼にはルークの立つ位置が見えていたのだ。しっかりと自分自身の目ではっきりと。
何故ならば、ルークが発した黒い雷の光が腕からまだ完全に消えていなかったのだ。
鮮明ではなくとも、その黒い輝きから影の状態でそこに存在しているのがわかるのだ。故に気配の察知など必要ない。
この時点で二人の能力者の立ち位置が逆転した。初めて、ネロがルークの猛攻を退け攻撃に転じたのだ。
ただ一瞬のネロの優勢であろうとルークにとってこれは信じがたいものであった。
しかし、それは紛れようもない事実だ。
ネロは叫びたくなるような激痛に耐え、なんとか居場所が捉えられないように声を殺す。
何度も何度も、殺された数だけ再生を繰り返した。
その副作用は痛みの振り返しとなってネロの身体を軋ませる。
ネロの体力はもう限界だ。立っていることさえ辛いくらいに。
もう、身体の形態変化すら叶わない。
それでもネロは前へとその一歩を踏み出す。
うっすらとルークの背中が見えてくる。
その中心に出せる限りの渾身の一撃を食らわすために、ネロは拳を一直線に突き出した。
――最後の、一撃だ!
声には出さなかったものの、心のなかでそう叫ぶ。
拳は見事ルークに直撃した。
しかし、それはまったくダメージに繋がらなかった。
ルークに当たりはしたものの、文字通りただ当たっただけ。ネロの拳は攻撃とも言えない、ただ触れるという行為にしかならなかったのだ。
ルークにもそうなることは分かっていた。槍の束縛を逃れたところで、ネロの身体はもう限界を越えていたことを。
だからこそ焦らずに、あえてその場を離れず立ち尽くしたままでいたのだ。攻撃が当たった瞬時に反撃に移るために。
しかし、ルークは反撃に移らなかった。
ネロが力尽き、膝を折ってもなお動きはしない。自分に一撃を入れたことによるせめてもの情け、などという感情的なものでもなかった。
理由は単純明快。
自分の敷いたルールを守るためだ。
「――ふっ。時間、だな」
ルークは何故か嬉しそうな口調で囁くと、ネロの方へ振り返り槍を収める。
次第に巻き上げられた塵は拡散していき、二人の能力者の姿を鮮明にする。
ルークの前にひざまづくネロ。
ネロを見下ろすルーク。
誰の目から見ても勝敗ははっきりとしていた。
それでも――
ある意味でネロはルークに勝利したのだ。
今日この日をもって、ネロ・ヴァイスは能力者としての人生で初めてルーク・シュバルツという頂に一矢報いたのだった。




