第095話 いつも隣にいるアイツ
振り返った俺が見上げた先で雪を避けるように空を見上げていたその女性は、「寒いねぇ」と呟きながら、地に落ちていた俺の左手をそっと握った。
「あ、アンタは……」
「若い若~い呪術師のハロンヌさんさ。どっかの誰かが呼んでると思って表に出てみりゃ、どこかで見た顔が倒れてんじゃないの。気にならない方がどうかしてるってもんさね」
その人物は、以前マーロンさんに連れられて訪れた呪術師の女性、ハロンヌだった。彼女は俺の手を取ると「しっかりしな」と俺を立たせ、雪まみれになった尻を叩いてくれた。
「アンタ、こんな夜中にこんな場所で何してるんだい。……いいや、当ててみせようかね。あれだろう、人探しだ。そうだね?」
霜焼けでささくれた俺の鼻先に触れた彼女は、そのまま指先を額へ移動させ、今度は目を瞑った。そして俺の思考でも読み取ったのか、「なるほどねぇ」と呟く。
「悪い、あまり時間がないんだ。俺、今ある物を探してて――」
しかし俺の口を指一本で閉じた彼女は、「いいや、物じゃないよ、間違いなく人だ」と断言する。
「いや、だから……」
「前にも言ったろ、アンタは誠実に生きればいいってさ。それさえ間違わなけりゃ、いつだって運命はアンタの味方だよ。心配いらない」
「そうだ、だったら教えてくれ、太古のしゅ――」
俺の質問を聞くより先に、「ひとつ」と言葉を足すハロンヌさん。そして俺が彼女を見つめた瞬間、頬に爪先を当て、「それはいつも、アンタのそばにいるよ」と呟いた。
「俺の……そば……?」
「さぁ時間だ、もう行きな。あとは全部、アンタのインスピレーションが解決してくれる。自信持ちなよ、色ボケの化け物さん?」
バチンと背中を叩かれ悶絶している俺に手を振ったハロンヌさんは、「暖かくして眠りな」と捨て台詞。「いてぇな!」と悪態ついて振り返ったとき、彼女の姿はそっくりそのまま闇の中へと消え去っていた。
「なんだよ、急に出てきて勝手に喋って早く帰れって。それにしたって、俺が探してる奴が俺のそばにいるって?」
彼女の言葉が引っ掛かり、俺は頭の中でその言葉を反芻させてみる。俺が誠実に生きるとき、それはいつも俺のそばにある。そしてソイツは、いつだって俺の味方で、俺の近くに。
「俺の……? 特筆すべき人物……。歴史上の……、記録が、近く……?」
その瞬間、頭の中で何かがパンッと弾けた。
俺は同時に駆け出し、限界に達した身体の心配すら忘れて走っていた。そのときの俺は、さぞかし不気味な表情だったに違いない。だって――
「ハァハァ、見つけた……!」
激しく鳴らして開ける扉。
全員の視線が、一斉にこちらへ向けられる。
しかし俺は一心不乱にソイツのことを探し、ただひたすらにソイツを求めていた。
「俺の近くにいる絶対的に歴史的な人物、確かにそうだ、アンタ、やっぱりホンモノだよ!」
歴史上に名を残す存在は、なにも種族や経歴だけに限ったものじゃない。
絶対的君主である魔王?
その魔王を討った勇者?
世界最強の魔物?
それとも……
「忘れてた、すっかり忘れてた! 俺の相棒は、かの有名な魔女に呪いをかけられ、永遠の命を与えられちまった悲しき珍獣だってことをよ!」
そうだ、そうに決まってる!
俺は工房に飛び込むなり、ヒゲ男の作業している隣の椅子で眠りこけていたモコモコさんを神々しく担ぎ上げ、「見つけた」と呟いた。そして盛大に口元から流れていたポンチョの「ヨダレ」を小瓶に詰め、すぐさま集めた材料を混ぜ合わせた。
「これで全部揃った。おいおっさん、こいつで満足か!?」
混ぜ合わせた素材たちが光を放ち、モチ状に膨らんでいく。そしてパスんと音を立て、ヒゲ男の作業している台の真ん中に落下した。
「見事じゃ! 完璧じゃ! 最高じゃ!!」
男のか細い腕が急激に太さを増し、光り輝く物質を一目散に叩き上げる。さらにはその物質をほんの数ミリの薄さにまで伸ばし、人ひとりが乗れるほどの四角い板に切り分けていく。そしてその六枚の板を組み合わせて立方体にしてから、これまで作り上げた素材をその箱に塗り込むようにして重ね、最後に巨大なフタで箱全体を覆った。
ヒゲ男はペタンと尻もちをつき、「フィニッシュじゃ」と俺を見た。親方とポンチョがこちらを見つめているが、俺はなんのことやらわからず尻込みしてしまう。しかし直後、「はよぉ燃さんかボケェー!」とヒゲ男に一喝される。そういうことは、先にちゃんと言っといてくれよ!
「どうなっても知らねぇぞ。最後に残った魔力、全部くれてやらぁ!」
これまでの苦労と、怒りと、とめどなく溢れてくる不条理さを指先に乗せ、パチンと指を弾く。バチッと音を鳴らしてフタごと発火した箱は、しばらく炎を吹き上げて燃え続け、最後には燃え尽きて黒焦げになった外装のカスを残し、ようやく静かになった。
炭と化した箱だったものが作業台に残ったものの、俺と親方は顔を見合わせ、「やっちまったか!?」と顔を歪めた。やはり火加減が強かったかと慌ててみるが、もはや後の祭りだ。今さらどうすることもできない。
しかしそのとき、躊躇している俺たちに代わって、クンクン鼻を鳴らしながらポンチョが箱に近付いた。そしてこわごわと指でつついた。すると――
「 ほわぁわああ! 」
黒焦げだった外装がパリッと音を立てて剥がれ、ピキピキと崩れ始めた。いよいよやっちまったと苦笑いを浮かべる俺たちをよそに作業台の上に飛び乗ったヒゲ男は、ポンチョを両腕で抱え上げ「ヴィクトリー!」と叫んだ。
外装が弾け、ヒゲ男が溜まったゴミを大袈裟に振り払うと、辺りに大量のススが舞い、全員が煙くなってむせてしまう。しかしそれよりも俺たちが目にしたモノの姿があまりにも神々しく、俺はいつしかむせることすら忘れてそれに見入っていた。
「よし! 完成! 完璧!」
見た目は、ただの箱でしかない。
しかし時折、目がおかしくなったのかと錯覚してしまうほど、箱の頂点が次元という概念を失ったかのように揺れ、周囲の光を吸い込んでいた。しかも内部はブラックホールのような暗黒と呼ぶに相応しい闇に覆われて、モヤモヤとした得体のしれない雰囲気が漂っている。
指で触ろうとしたポンチョを掴まえ、「あかんよ」と首を振ったヒゲ男は、ポンチョを俺に抱かせるとすぐに、用意してあったブラックホール専用の外箱を上からポスっとはめ込み、さらに四隅を準備してあった部品で器用に四点留めし、ガッツンガッツンと叩き上げた。そして最後、一面だけそのままになっていた箇所に扉を取り付け、パタンとフタを閉めた。
「ハイお終い! イモよこせ!」
体育座りした人間がゆったり収まる程度のコンテナが完成し、ヒゲ男がイモをよこせと手を出した。唖然としながらも、ひと目でその仕事ぶりに納得してしまった俺は、「どんだけでも持ってけ泥棒!」と、リュックに入っていた全イモを取り出し、作業台の上にぶちまけた。
「オホゥッ! イモッ! イモッッ! イモッッッ!」
ポンチョをイモパーに誘ってご満悦のヒゲ男がイモを頬張る傍らで、俺と親方は無言のままハイタッチし、腕をクロスさせ「ヨ~シャッ!」と叫んでいた。
窓の外からは、微かに光が差し込んでいた。
雪は未だ止むことなく降り続けている。
しかしそれを溶かすほどの興奮に包まれながら、俺たちの二週間は賑やかに明けていくのだったーー
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