第052話 竜虎相搏つ
三人を抱えたまま前転した俺は、空気の壁を蹴って、急降下を開始する。内臓が浮くあの感じに襲われ、「フヒーヒヒヒヒ!」と悪魔のような声を上げたリッケさんの凶悪な残り香を漂わせながら、俺たちは一気に蟻玉へと距離を詰めていく。
「ハク、網を投げられるタイミングまで可能な限り並走をお願いッ!」
「アイアイサー」と返事した俺は、蠢くように進んでいく蟻玉に魔力ペイントを施し、暗闇でも見失うことなく追えるよう準備を整える。そして付かず離れず、超反応で進軍する蟻玉の動きを予測しながら並走を開始する。
「よし、これならいけそうよ! 森が少し開けたタイミングを狙って網を投げるわ。準備しておいて!」
頷いた俺は、彼女の握る網の隙間に薄く魔力のコーティングを施し、隙間から逃げられぬように万全を期す。そして前方に見えてきた僅かに開けたスペースへ導くよう、左右のスペースに少しの水を放ち、蟻たちを誘導させた。
「ナイスよ、ハク! よ~し、タイミングは完璧ッ!」
蟻たちが開けた空間に飛び出した瞬間、俺の肩を踏み切って飛び上がったマーロンさんが、狙いすまして網を投げた。美しい放物線を描いて広がった網が、アメーバが餌を捕らえるが如く蟻玉をパクリと覆い込む。空高くで「どうだ!」と叫んだマーロンさんは、くるくると宙返りを決めて着地し、放った網の元へと駆け寄る。しかし……
「完璧、我ながら完璧すぎるタイミングね! ほらほら蟻さんたち、大人しくしてちょうだい……って、あれ?」
あれだけ大量に捕まえたはずの網を掴んでみるも、驚くほど手応えがなさそう。それどころか網の中には動く生物の存在感すらなく、大量の蟻を抱えた気でいた彼女の腕から力が抜けていく。
「え? あれ? どうして!?」
ガバっと網を持ち上げるけど、蟻の姿はどこにもない。
網の中にあったのは、地中へと続く巨大な穴だけだった。
「あ…………。そうか、蟻って地面を掘って逃げられるんだった……」
マーロンさんの虚しい呟きに、リッケさんの口角がニヤリと上がった。
ああ、やっぱりそうなるってわかってたのね……。
「必然、これが至極当然の結果ですわ! たとえ上手く上下左右を封じたとしても、彼らにはまだ逃げ道がある。そう己が住む、『母なる大地』が!」
勝ち誇って高笑いするリッケさんに、地面を叩いて悔しがるマーロンさん。
いやいや、もう少し仲良くやりましょうよ……。
「フフフン、こうなれば次はわたくしの出番ですね。内緒にしておりましたが、わたくしもこの日のために、彼らを捕まえる方法を模索していたのですよ!」
マーロンさんの肩に手を置いたリッケさんが、ニヤ~と嫌な薄ら笑いを浮かべながら宣言した。反対にマーロンさんは悔しそうに顔を伏せ、劇画調に「私は無力だ」と嘆いてみせる。……なんなの、この二人のおかしなテンションは。
フフフフフフと延々「フ」を周囲に撒き散らしながらリュックを降ろしたリッケさんが、中から巨大な『ブツ』を取り出し地面に置いた。
大きな筒状のその装置は、悪魔が天に手を突き出すような形状に加え、異様な形の無数の突起が付いており、さらには『ポンッ』という合図一つで怪しい光を放ちながら熱を帯び始めた。そして数秒後にはキュイーンとメタモルフォーゼし、最終的に大きな円球となって落ち着いた。
その怪しげな見た目やナリは他の追随を許さず、俺とマーロンさんは思わずゴクリと息を飲んだ。
「これは私が彼らを探究し、ついに、ついに辿り着いてしまった敢然たる造形美の結晶体。言うなれば、彼らを優しく包み込むために生み出されし究極の、いいえ、至極の最終兵器なのです!」
自分の存在に酔ったナルシシズムの究極系とでも呼ぶのだろうか。これ以上の自画自賛があるのかと疑ってしまうほどの賛美に背中を押されて姿を現したその装置は、音もないのにゴゴゴと地響きが聞こえてきそうな存在感を醸し出しながら、土の地面に座り良く鎮座していた。
「まずはシックかつ美しいこのボディ! 彼らが嫌う生者のイキイキした色艶を徹底的に排除し、屍人を連想させる薄汚れたドドメ色を徹底再現。しかも薄暗く狭い空間が好きな彼らが落ち着けるようなカラッと渇いたカッサカサの筒状空間から続く先には、不規則に入り組んだ枝状の小部屋を完備。蟻独特の習性を満たしてくれる完璧すぎる素敵空間となっております。しかーし、それだけではございません!!」
さらに少しずつ円球状に膨らんだそれは、10メートル以上の蟻が入っても中身を潰してしまわぬよう、急激に堆積を増やしつつ、蟻たちが過ごしやすいよう小分けの空間に切り替わっていく。それを一目見て悔しそうに唇を噛んでいるマーロンさんを一瞥し、既に勝ち誇った様子のリッケさん。もう勝手にしてください。
「あとはこの装置を蟻たちの進む道筋に設置するだけ。するとどうでしょう!? ……ひとりでに蟻たちが私の用意したハウスちゃんへ飛び込んでくるじゃありませんか。……フフフフフ、ちなみに先に言っておきますが、蟻たちを使った事前のシミュレーションは完璧です。その点、抜かりありませんよ!!!」