第315話 興奮と小休止
最大にして最後の盾を失ったフライは、目の前に迫った敵を撃ち落とさんと、苦し紛れに溶解液を溜めた。しかしその時間すら与えない彼女の爪先がフライの目玉に着地し、さらにコンマ数秒後、高く掲げた二本のククリ刀が、脳天に突き刺さった。
ザクッ、ザクッとニ度の斬撃音に続いて、さらに直後、ブシュッと液体が吹き出る音が響いた。L字に裂かれたフライの脳天から多量の血液と脳髄が溢れて落下し、バランスを失った六本の脚が、その場で崩れ落ちる。逆に折れ曲がった節が爆ぜ、激しく転倒したフライの頭上で、二つの刀を握りしめた彼女は、最強の戦士を思わせる雄々しい声で勝利の勝鬨をあげた。
「す、す、スゲェ……。や、や、や、やった、やっちまいやがった……!!」
ペタンと座り込んだバーサムが、気の抜けるような声で呟いた。
シーリカの指先でくすぶっていたタバコは、一度も吸われることなく灰になって地面に落ちた。
「日々の努力は決して裏切らない。勝負は時の運なんて言うけど、最後の最後まで諦めない気概が勝負を決めることだってある、……な~んてね」
目に涙を浮かべ、あんぐりと口を開けたまま立ち尽くしていたニコルの肩を叩き、「凄いだろ、あれ俺の奥さま」と自慢する。何か言いたそうにこちらを見る彼女の顔は険しいものの、どうやら心打たれたのは俺だけじゃないってことだよな!
「ハァハァハァハァ、……やった、やったの、私……?」
全身に血を被り、緑色の顔で呼吸しているマーロンさんのもとに、シーリカが駆け寄って抱きついた。「姉さん、スゲェっす!」と彼女を称える反面、微妙に蚊帳の外にされてしまったシルシルは、不服そうに眉を潜めていた。
「ははは、お疲れ、シルシル」
彼の尻尾とハイタッチ。
初めてニヤリと微笑んだシルシルは、「これしき、容易いものです」と得意気に尻尾を振って応えた。
シーリカに抱きつかれたままなマーロンさんは、目の前の現実がまだどこか嘘のように感じているのか、抱えた彼女の背中越しに握ったククリ刀の刀身に映る己の姿を見つめていた。そして、
「私、……勝ったんだ」と呟き、グッと目を瞑り、勝利の余韻を噛み締めた。
ガゴンと、どこからか音が聞こえてきた。どうやらエメラルドドラゴンフライは、ダンジョンにおけるエリアボスの扱いだったらしく、閉ざされていた空間が解放されたようだった。
二人に駆け寄って勝利の喜びに浸る彼らの姿を俯瞰に眺めた俺は、誰にも気取られぬように顔を伏せ、ひとりガッツポーズする。自分自身の勝利とは全く違う格別な感情が、そこに確かに存在していた。
「やった、やりましたね姉さん! あっし、ずっと信じてましたぜ!」
「嘘つけよランド、テメェずっと俺たちはもう死ぬんだとか言ってたじゃねぇか。なぁロッデム!」
何度も頷くロッデムに「うっせぇ!」とツッコむランド。
ま、たまにはこんな場面も良いものですね。
俺は喜びを隠すようにひとり深呼吸してから、パンッと大きく手を叩いた。
魔物が復活したかと驚いてこちらを向いたみんなに、再度パンパンと手を叩き、彼らの苦労を労いながら、「少し休憩にしましょう」と提案した。
「ヒャッホー! 休憩だ、休憩! 飯だ飯!」
気持ちを切り替えたバーサムがウキウキで荷物を投げ捨てた。飯という単語に反応し、頭上で寝ていたポンチョが目を覚まし、「ごは~ん?」と眠そうに目を擦った。
それから俺たちはしばしの休憩を取り、旅の疲れを癒やすことにした。皆が手分けして食事の準備をする中で、フロアボスは美味いというジンクスを信じてエメラルドドラゴンフライの肉を切り出した俺は、試しに〝フライのフライ〟を作って味見をしてみた。しかしドブ臭すぎる肉は食えたものではなく、残念ながら素材として回収するに留め、仕方なく持参した食材を全員に振る舞った。
「ポンチョ、おイモとキノコ好き~♪」
「おれっちもキノコ好き~♪」
「ムー、ポンチョのがもっと好きー!」
「へっへ~ん、おれっちのが好きだもんね~。ほ~れ、焼いたキノコにべっちょりタレをぶっかけて、お口にポーン!」
得意気にキノコを頬張るランドに対し、怒りに震えてムググと歯ぎしりしているポンチョ。
こらモコモコさん、そんなの相手してたらバカが移るのでおやめなさい。
焚き火を囲んでギャハギャハと喧しい面々から少し離れて座り、肉が乗ったままの皿を手に、どこかまだ現実と虚構を彷徨っている様子のマーロンさん。彼女の隣にそっと腰掛けた俺は、彼女の皿から肉を一欠片拝借し、ポンと自分の口に放り込んだ。
「…………あ、……トア」
「どうしたの、ボーッとしちゃって。あっちでみんなに混じればいいのに」
うんと頷いたものの、まだぼんやりと宙空を眺めている彼女は、皿を地面に置き、改めて自分の手のひらを見つめた。
「私さ、エメラルドドラゴンフライに、……勝ったんだね」
「そだね。だけど当然だよ。マーロンさん、いつも頑張ってるし」
「頑張るだけで強くなれるなら苦労しないよ。それにトアだったら、もっと簡単に倒せちゃったりするだろうし」
「それはそれ、これはこれ、だよ。何より今回の成果は、マーロンさん自身が努力してきた結果じゃないか。ちゃんと喜べば良いと思うよ」
「そうかな……?」と呟いた彼女の顔に、初めて微かな笑顔が浮かんだ。
そうそう、貴女にはいつも笑顔が似合います。
「あ、そうだトア。これ貸してくれてありがとね」




