第311話 封鎖虫
「ハイ~!?」と苦悶の表情で死にそうな三人をよそに、指先に唾を付けて通路内の風向きを確認したニコルは、持参した荷物の中から小瓶を取り出した。それから取り出したのは小さなナイフで、壁に小さな傷をつけ、滲んできた液体を少量だけすくって瓶の中に混ぜ合わせた。
「それは?」
「まぁ見てなさいよ。ただ……、少しだけ覚悟しといて」
グニュグニュと粘着性のある何かを混ぜ合わせたニコルは、最後に液体化させた自分の魔力を一滴投入する。すると突如ゴポゴポと沸騰したように暴れ始めた液体が気化し、恐ろしい勢いで煙を吹き上げた。
「な、なんだこりゃ!?」
「ルスカの千年樹名物、『無限爆煙』とはこれのことよ。少量の粒良石に千年樹の根液、さらに少しの素材と魔力を混ぜ合わせてやるだけで、恐ろしいほどの煙を発生させられる液体の出来上がり」
モクモクと膨れ上がった煙の束が、進行方向だけでなく全空間を埋め尽くしていく。「これじゃ何も見えないぞ!?」と騒ぐ三バカに対し、俺の腕をギュッと掴んだニコルは「アンタたちに掴まってればきっと大丈夫よね?」とウインクし、戯けながら言った。
「アハハ……、まぁそういうことね。ホントちゃっかりしてるよ」
煙は一瞬のうちに地下一帯へと広がり、細い通路を縫うように薄い煙が包んでいく。
しかし視界が奪われる代わりに、煙が行き届いた端々から別の情報が探知に飛び込んでくる。
「おい、これ……!?」
「そういうこと。この煙はちょっと特殊な性質を持っててね。煙に触れている対象者の魔力を、遠くの場所まで辿って探ることができるの。もともと広範囲の探査ができる人なら、さらに精度を上げて思った範囲に絞って探ることもできるってわけ」
煙った空間から「おおっ!」と誰かの驚きが聞こえてくる。
しかしニコルは、「だけどねぇ」と気怠そうに言葉を繋げた。
「こっちからもわかりやすくなるってことは、〝相手〟からもってことなのよねぇ。ほら、ここって高ランクのダンジョンでしょ? 中には探知の力が強い魔物もいるのよねぇって」
そう彼女が言ったのも束の間、煙の奥が微かに光った。
主に人型の魔物と言えば良いだろうか。これまで可能な限り避けてきた、二本足で歩きがちな魔物さんが、軒並み揃っての登場です。
はてさて困りました。
さすがに俺とマーロンさん、そしてシルシルだけで、この数を相手するのは骨が折れます。
いやむしろ、全滅してもおかしくありません!
「ということで、皆様準備はよろしいでしょうか?」
「いやぁぁぁ!?」と悲鳴を上げる面々をよそに、魔物たちが一斉に襲いかかってくる。
「よぉぉし、それじゃあ一斉に走るぞ、逃げろ―!!」
俺の掛け声をきっかけに、四バカの悲鳴やポンチョの嬉しそうな声がダンジョンの細道を抜けていく。アハハハと笑いながら逃亡する様は奇怪そのものですが、たまにはこんなのも良いもんだ!
「じぬ゛ぅぅぅ!! ダズゲデェェェー!」
文字通り煙に巻くを地で行く逃亡劇がしばらく続き、小一時間響いた悲鳴の渦がようやく消えかけた頃、俺たちの進む先にこれまでと違う異変が現れた。慌ててストップをかけた俺の指示をきっかけに、激しく転倒したバーサムは、「もういい加減にしてくれ……」と涙とヨダレでぐしゃぐしゃな顔で泣き言を言った。
「とは言え、さすがにコレは止まらずにおれんでしょうが。ちなみにニコルさんや、あそこのアレ、貴女は知っていらっしゃるの?」
直線的に続く小道の先で、それは堂々と俺たちの行く手を阻んでいた。
僅かに開けた空間の先で淡い光を放っているソレは、まるで微動だにせず、静かにこちらを見つめていた。
「アタシも噂で聞いたことがあるくらいなんだけどさ、下層にはね……、あの悍ましきアレがいるらしいの」
本来アレに対しアレで返すのはいただけませんが、どうやら覚えがあるらしい。
ようやく煙が晴れてきた通路の先を見据えて、ふぅと息を吐いて額の汗を拭ったニコルは、荷物の中から小さな金属片を取り出すと、徐に地面に転がした。
床と金属が奏でるカツンカツンという乾いた音が響き、先に見えていたアレに微かな変化が生じた。ぐぃと持ち上げたアレの正体が初めて露わとなり、ランドが「ヒェッ!?」と悲鳴を上げた。
「世間で俗に呼ばれてる『封鎖虫』って聞いたことないかしら。いわゆる『三獄卒』の一つね。かの有名な悪魔の通り道と呼ばれるデスロードの番人として名高いテンペストビートル、通称『鬼ゾウムシ』。そして二つ目が、魔界の釜に巣食うデモンズウォールの番人であるブラックデモンズフォーグ、通称『地獄のムカデ』。そして最後の一つ。それが回廊の下層へと続く唯一の道に住まう封鎖虫。その姿は飛ばないトンボ。もともと羽だったモノは無数の腕のように進化し、巨大な頭は内部に無数の眼を備え、全てのものを見定めると言われているわ」
「封鎖虫ねぇ。で、それの正式名称は?」
こちらの質問に対し、しばらく押し黙ったニコルは、自身の胸を三度叩いてから、己に言い聞かせるように言った。
「通称『地を這うトンボ』こと、エメラルドドラゴンフライ。もはや伝説に近い魔物の一つよ」
ニコルの言葉に、あぅあぅと言葉が出ないバーサム、ランド、そしてロッデム。それもそのはずで、それら三種の魔物は、冒険者便覧の1ページ目に記されるほどのビッグネームで、知らない冒険者はモグリと呼ばれるほどだからだ。さすがのシーリカも、咥えていたタバコの先が震え、「は?」と呟くので精一杯だった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなバケモノが、この先にいるってこと!? 無理でしょ、どー考えたって無理に決まってるでしょ!!?」
いつもならマーロンさんが言うはずの指摘をシーリカが叫んだ。自分の台詞を取られて不服だったのか、マーロンさんがどこか寂しそうにしているぞ。大丈夫大丈夫と肩をポンポンしてあげます。
「ここの地下にそんなのがいるなんて、どこかでずっと嘘だと思ってたけど、どうやら本当だったみたい。その証拠にアレ、多分だけど、過去にやられた冒険者の亡骸よね」




