第310話 走る準備
明道管が照らしていた光りが薄れ、静かな闇があたりを包み、これまで感じられていた樹の熱のようなものまでが取り払われて消えていく。文字どおりの静寂の中では、時折脈打つような樹の内側に流れていく水音だけが聞こえていた。
「なぁニコル。アンタ、この先のことも詳しいのか?」
「アタシが情報として持ってるのは上層のものがほとんどよ。だけど、そんなことよりもっと重要なことを知ってるわ」
ゴクリと息を飲むニコル。そして冷や汗の滲んだ額を拭いながら、「上層とは圧倒的に魔物のレベルが違うってこと」と呟いて微笑む。たったそれだけで四バカは竦み上がり、ガタガタと膝を震わせた。
「な、なぁ旦那、ほ、ホントに進むんですかい。俺たちゃ上層ですらどうにもなんねぇんだ、この先でどんなことがあっても、俺たちなんかじゃとても……」
そうバーサムが言いかけたところで、前行くシルシルが鼻を小刻みに鳴らしてピタリと足を止めた。無意識にハッと呼吸を止めたシーリカは、両手で口を押さえ、ロッデムを盾にして屁っ放り腰で身構えた。
「村長殿」
「ああ、うん。結構いるね。どうする?」
「ここは我が」と奥の闇を睨みつけるシルシル。
すると徐ろにギロリと輝く数多の玉が、漆黒の闇の宙空に浮かび上がった。
「あ、あ、あ……、アンバージャックウルフの群れ……。しかも、デカい」
これまで口を開いたことがなかったロッデムが、想像より2400度高いトーンで呟いた。グルルと吐息を漏らし牙を剥いたシルシルは、小型化している自身の背丈を優に超える大集団を前に、あまりにも堂々と立ち塞がった。
「あ、兄さん、あんなの勝ち目がねぇっすよ!? シルシルのアニキがやられっちまいますぜ!」
ランドが腕を掴んで引っ張るけど、残念ながら我が村の民を舐めてもらっちゃあ困る。それどころか、あの程度の魔物相手に震えていたんじゃ、我が村に住む資格すらないわけで……。
「意思も持たぬ低俗なウルフ風情が、我らの行く手を阻もうとは。片腹痛いわ!」
ウォーンと猛った遠吠えがウルフたちの身体を揺らす。
すると我慢ならず、先頭の一頭がシルシルめがけて襲いかかってきた。
「ひ、ヒィィ!」
ランドが身を引き仰け反った。
しかし小さな首を相手の巨体にぶつけただけで先頭のウルフが跳ね飛ばされ、壁にバウンドし転がった。
続けて三体が同時に飛びかかる。しかし慌てる素振りなく口から氷結魔法を放ったシルシルは、一瞬で敵を叩き落し、その喉笛を掻っ切った。
「ふん、所詮は統率も取れぬ下級ウルフよ。残りもさっさとかかってこぬか。軽く叩き落してくれる」
フグフグと荒い呼吸を撒き散らして突っ込んできたウルフを数秒で払い除け、最後の一頭の首元に咬み付くシルシル。そして余裕綽々放り投げ、わざわざウルフの山を作って俺を一瞥した。
返り血で血まみれになった身体を振り乱し、ハッハッと舌を出して駆け寄ってくる様は、忠犬のそれに似すぎている。キラキラした瞳で見つめられれば、自然とアゴ下と頭を撫でながら「偉いね~、偉いね~」と褒めてしまいそうだ。グッと我慢我慢。
「……そ、村長殿、如何なされた?」
「い、いや、なんでもないよ!? さ、さっすが高位のウルフ、あれくらいは楽勝だね」
ご機嫌にフフンと鼻を鳴らしたシルシルの頭をポンチョがナデナデする。
……くそっ、俺もしたい!
そんなほのぼの空気の村人たちとは違い、4+1人は恐ろしいものを目撃したかのように口を開けたまま立ち尽くしていた。ニコルの肩をポンと叩いたマーロンさんは、「先を急ぎましょう」と何事もなかったかのように言った。
しかし魔物の脅威を阻むことができたとて、俺たちは自分たちが目指すべき明確なゴールを知っているわけではない。大木の全てを支えている根っこは至る所にまで張り巡らされていて、必然的に広囲に渡る地下の捜索は難航を極めた。魔物との戦いを極力避けつつ地下へ地下へと進み続けたものの、丸二日が経過するも未だ根の底は見えず、網の目状に張り巡らせた千年樹の先の先を闇雲に走り回るばかりだった。
さらに道筋は根の先に進めば進むほど細く乏しいものとなり、果てには中途半端な位置で行き止まりになることもしばしばだった。そのたびに項垂れてため息を吐く者もいて、いよいよタイムリミットを考えると、限界の時刻が迫りつつあった。
「時間的にはあと半日でちょうど半分になるけど、まだまだ底に到達できる予感すらしないね。目的のアイテムだって、良く言ってまだ半分ってところかしら。ハッキリ言ってマズいわね」
客観的に指摘してくれるマーロンさん。
どうにかなるかもと簡単に考えていたあの時の俺。
しっかり反省なさいよ、ホントに!?
「ちょ、ま、待ってくれ、アンタたちは大丈夫でも、俺たちの方は精神が保ちそうにねぇよ。マジでなんなんだよ、ここの魔物。どいつもこいつもバケモノばっかじゃねぇか……」
精神をすり減らしすぎて、ダンジョンに入った頃より30キロくらい痩せたような顔してバーサムが言った。ランド、ロッデムも同じく限界が近そうだが、反対にシーリカとニコルは随分慣れたのか、ケロッとした顔でついてきていた。やはりいざというときは女性の方がシッカリしてますね……。
「ただこれだけ広いと、闇雲に走り回ったところで目的の場所へ辿り着くのはいつになることやら。ねぇシルシル、何かいい方法ないかな?」
さしものシルシルも首を横に振る。
匂いや探知で探れる範囲などたかが知れており、しかもムダな体力を使うとなればなおさらだ。
「ニコルは何か知らない?」
「そうねぇ、……確かにそれらしい方法がないわけじゃないけど。でもねぇ」
言い淀んだ彼女は、既にヘトヘトの三人を一瞥し、「大丈夫かしら?」と聞く。
彼女の言動から察するに、どうやらこの三人がネックなのは明らかだ。
「なぁ三バカ。これからニコルが何かするんだってよ。走る準備しとけな」




