第225話 まだ生きてる
地響きのように横隔膜を振動させる衝撃が激しすぎる。
同時に聞こえてくる複数の息づかい。
どうやら俺は、誰かに担がれながら移動しているらしい。
「こ、ここは……?」
「多分第三階層あたりだと思うけどハッキリはわかんねぇ。ってか、正直そんなこと気にしてる余裕ねぇんだって!」
この甲高い声はペッツか。
真後ろから聞こえるってことは、俺はアシュリーに担がれてるらしい。
なんとも無様だな……。
さらに後方からは別の足音も聞こえていた。
どうやら牙のメンバーも生き残っていたのだろう。そいつは何よりだ。
「チビ、スケ、……おい」
「起きてそうそうチビスケ呼ばわりとは、生意気な野郎だなおい!?」
「いいから……、黙って俺のリュックから、……小瓶を出してくれ。そいつを俺にぶっかけろ」
「小瓶だぁ!? んなもんどうするつもりだ!」
「いいから、……早くしろ」
「んだよそれ! ……ったくしゃあねぇな、待ってろクソがっ!」
ペッツがリュックに手を入れ、ゴソゴソと中をまさぐった。
そしてようやく見つけた小瓶を取り出し、「こいつか!?」と聞く。
「ああ、……早くしろ」
「俺に命令してんじゃねぇ!」
小瓶の突起を割り、俺の頭に雑にぶっかける。
「おい、なんか冷たいぞ!」とアシュリーがぼやいているが、そこは我慢してくれ。
自分特製のポーションを全身に浴びたことで、どうにか意識と肉体の細胞が戻ってくる。俺伝いにポーションを浴びたアシュリーも多少の回復があったらしく、「おっ、おおぉ!?」と驚きの声を上げていたが、ここにきてようやく状況が読めてきた。どうやら今はそんなことに驚いている場合じゃないらしい。
「1/10ぽっちだが、体力が戻った。どうにかいけるか」
リミッターを解除して戦ったせいで、筋繊維が千切れているのか身体は自由に動かない。しかしどうにか走るくらいはできそうだ。担いでいたアシュリーの肩を足場にして一回転して着地した俺は、「テメェ、大丈夫なのかよ!?」と目を丸くしているペッツの頭を撫でてやる。
「悪いな、助かった。今回ばかりは褒めてやるよ。ありがとうな」
頭を撫でられたからなのか、カァァァと顔を赤らめたペッツは「な、なにいってんだ、このバカ野郎!?」と目を回している。謙遜しようがバカにしようが構わないが、助けられたことに変わりはない。
「アシュリー、アンタもだ。助けてもらって済まなかった。運ばせちまって悪かったな」
背後の俺を一瞥したアシュリーは、無言で頷きつつ「そいつは言わない約束だろうが」と独り言のように言った。
「助けられたことに変わりはないさ。しかし、こんなとこで死んじまったら元も子もないよな? ……ってことで、みんな全速力で走れー!!!」
こうして俺たちは、再びの水が荒れ狂う大迷宮を、右往左往しながら地上目指して走り続けた。
奇跡的に誰ひとり欠けることなく生き残った双龍の牙の力を借りながら、俺たちは残る力を振り絞り、強引に、かつ確実に進み続けた。
どうやら地上では再び雨脚が強くなっているに違いない。流れ込んでくる水量も時間ごとに増し、もはやダンジョンが崩落するのも時間の問題だろう。しかし状況はマイナスの面ばかりでもなく、水流によってより直線的に繋がった行路は、確実に地上へと繋がっていることを意味していた。そんな中、俺たちは各自のスキルを総動員させ、地面を固めては水を止め、空中に道を作ってはそこを走り、環境を自在に操って出口を目指した。
今となっては俺の知っているダンジョンの面影は全く無くなってしまった。既に自分たちがどこにいるかもわからず、ただ上へ上へと続いている道を全員で切り開くのみだった。それがいつ終わるともわからないが、諦めてしまいそうになる牙の面々の尻を叩いたペッツは、「大丈夫、もうすぐ地上だ」と懲りることなく鼓舞し続けた。
それから時は過ぎ、俺が目を覚ましてから丸三日が経過した頃だろうか。
牙のメンバーのひとりが、瓦礫の隙間から光が差していることに気付いた。すぐに駆け寄ったアシュリーが、瓦礫を除去しながら隙間に腕を入れて、外の空間を覗き込んだ。すると穴の向こうから、ダンジョン内に充満している淀んだ空気とは違う、澄んだ外界の空気が流れ込んできた。
「そ……、外だ。…………やった、……俺たちはやったぞ!」
穴に身体を捩じ込んで這い出すなり、アシュリーが勝鬨をあげて高々と右腕を掲げた。続いた牙のメンバーがこぞってリーダーの彼を抱え上げ、順々に地上へと運び上げていく。俺は最後方でひとり大きく息を吐きながら、安堵なのか、それとも別の不安なのか、どちらとも知れない感情に覆われていた。
「な、なぁ……アンタ」
喜びの声を上げているメンバーから少し離れて、ペッツが声を掛けてきた。
俺はもう一度ペッツの頭を撫でながら、「どうしたよ、チビスケ」と返答する。
「ち、チビスケって言うな! 俺にはちゃんとペッツっていう名前があんだ。それに、歳だってもう22だしな」
「そりゃ申し訳なかった。で、なんの用だよ?」
「そ、そりゃあ、その……、アレだ……」
妙に歯切れが悪い。
視線を漂わせながら、ああだこうだと独り言を言っている。
「なにもないならさっさと行けよ。上で兄貴が待ちくたびれてるぞ」
穴の上部では、アシュリーが中の俺たちが出てくるのを待って手を伸ばしていた。しかしペッツは「ちょっと待ってろって!」と兄を制し、恥ずかしそうに俺から顔を反らしながら言った。
「そ、そのよ……。あ、ありがとな。お、お前がきてくれなかったら、多分、みんな死んでた」
俺は「ハァ」とため息をつきながら、彼女の尻をパシンと叩く。「なにすんだテメェ!?」と怒っているペッツを抱えてアシュリーにトスした俺は、「礼なら俺の仲間に言ってくれ」と付け足した。
「な、仲間……?」
「そう、俺の、俺たちの村のみんなにだな」
穴の外から不思議そうに覗き込んだペッツが、アシュリーに代わって手を伸ばした。俺は彼女の手を握り、最後にダンジョンから脱出した。
俺たちが入ってきた出入り口とは別の場所なのだろう。ボトム上に窪んだ穴底というのは同じだったが、知っている風景とは幾らか違っていた。穴から先に出ていた牙のメンバーが、すり鉢状の壁を這って登り、高い位置から砂漠地帯を見回した。すると何かを見つけたのか、その場で飛び跳ねて、「おーい」と大きく手を振った。
「アハッ」と笑みをこぼしたペッツ。
どうやら外で待機していたギルドの者たちを発見したようだ。既に体力も限界だったはずの面々が、喜び勇んで竪穴を這い上がっていく。腰に手を置いてその後ろ姿を見上げた俺は、じわじわと聞こえてくる喜びの声に安堵し、初めて自分自身が生きていることを実感した。
「おい、お前。なにボーっとつったってんだ。俺たちも早く行こうぜ」
今度はペッツが俺の尻を叩いた。「生意気なんだよチビスケめ」と先に駆けていく彼女を追いかけようとするが、気が抜けたのか足に力が入らずつんのめる。深く沈んでいく砂の地面は重く、どうやら今の俺にとっては酷く苦痛らしい。
「おい、大丈夫かよ。ほれ、手ぇかせ」
ペッツとアシュリーの手を借りて大穴の縁まで登った俺は、遠くから駆けてくるギルドの奴らに手を振った。「もう大丈夫だな」と頷いたアシュリーは、全身を汚していた砂を払いながら、痰が絡んでいる喉をただし、全員の無事を知らせるように身体を揺らし、駆けていった。
「おいおい、夢じゃねぇだろうな、本当に全員生きてんだよな!?」
いの一番に駆けつけたテーブルとローリエさんが、牙の面々と抱き合い、喜びを爆発させている。どうやらマイルネに待機していた牙の他のメンバーたちも待機していたらしく、それぞれが思い思いに仲間の帰還を歓迎している様子だった。
俺は彼らから少し離れ、肩の荷が下りたように俯き、空を見上げた。未だ降り続いている雨が直接顔を濡らしているが、泥で汚れた地下の水に比べれば幾らかマシだなと、苦笑いがこぼれてしまう。
「願い…………、叶っちまったなぁ」
一度は死を覚悟した。
自らの因果を悟り、それも仕方ないと受け入れた。
それでも俺はまだ、こうして息をしている。
「生きてる、……まだ生きてるなぁ」
なんの欲もない。
ただこの場に立てているだけで充分だった。
それなのに――
『 トア! 』




