第221話 絶望に堕ちる瞳
「こ、このバカ!? 最後に残ってたポータルの魔力、全部使っちまいやがった。俺ひとりなら行って帰るくらいの魔力は残ってたのに、どうしてテメェなんぞが!」
小脇でゴチャゴチャうるさい女子を放り投げ、俺はポンチョから拝借したリュックからハイポーションを取り出し、彼女の頭にぶっかけた。
「なにすんだ!?」と怒り狂っているペッツの額にポーションを塗り込むようガシガシ押さえつけ、「テメェはもう黙ってろ」と言い捨てる。
「こンのクソ野郎ッ! 誰だか知らねぇが、テメェなんぞきたって無駄なんだよ。わざわざ死ににきやがってマヌケ野郎!」
うるさい系女子の口をぎゅむっと掴み、「さっさと案内しろ」とひと睨み。
しかし直後、どこそかの壁からドゴンッと水が吹き出し、思わず身をすくめる。
「ちっ、前きた時よりもさらに足場が悪化してやがる。おいチビスケ、兄貴はどこだ。さっさと案内しろ」
兄貴という言葉で我に返ったペッツは、俺の手を振り切って走り始めた。
まったくどんだけ勝手なんだよ、コイツ……。
「アニキ、それに牙のみんな、無事でいてくれ!」
「他人の心配よりも自分の心配をしろ。んなことより状況整理だ。二度と同じこと言わせるな」
「ダー、なんなんだよテメェ! 牙のみんなは、この先の大空洞でまだ戦ってる、…………はずだ。俺はどうにか逃げて上に状況を伝えろって、……兄貴が」
シュンと黙り込んでしまったペッツ。
どうやら相当旗色は悪いらしい。
水で泥濘んだ足元は悪く、さらに秒ごとフロア状況が書き換えられていくダンジョンの様子も異様だ。いつ大きな異変が生じ、ダンジョンの空間ごと飲み込まれるともしれない。こうしている間にも、脱出する道すら閉ざされてしまう可能性がある。
もともと最深部フロアは、上層と比較すればそれほど大きくはない。しかし雨水で生み出された無数の穴が新たな通り道を作り、さらに奥へ奥へと流れ込んだことで、これまで存在しなかった新たな領域を生み出していた。さらにもともと住み着いていた巨大な魔物や水中を住処とする魔物が幅を利かせ、奥の領域を牛耳っているらしい。目的の広間へ向かうさなかも、巨大なナマズに似た魔物や、以前倒した小型の水竜などが、流されてくる魔物や冒険者を舌なめずりして待ち構えていた。
「悪いがお前らの相手をしてる時間はない。全部無視して突っ切る」
ペッツを抱えた俺は、向かってくる魔物を正面から躱し、奴らの頭を足場にして踏み越える。「え!?」と驚いているチビスケを無視して壁を走り抜けた俺は、いよいよ彼女の言葉にあった大空洞を検知し、慌てて足を止める。
「な、なんだ。どうしていきなり止まんだよ!」
「……この先にヤバそうなのがいる。どうやらお出ましのようだな」
魔力察知で空洞の中心部を調べてみれば、初めてその巨体が露わになった。砂地の地面を踏み鳴らし、水しぶきを上げながら移動するその巨竜は、恐ろしいほどの魔力を撒き散らしながら、近くで動く小さな魔力を執拗に追い込み、攻撃を続けていた。
「お前ら仲間は何人いた?」
「こ、今回は危険が伴うからって、精鋭部隊の八人だけだ。それがどうしたってんだよ!」
「八人……? ちっ、数が合わねぇな。何人かやられちまったってことか」
呟きにペッツが両目を見開いた。
押しのけて走ろうとするが、俺は彼女の頭を押さえ、それを許さない。
「ざけんなッ、なにしやがる!?」
「勝手に動かれちゃ迷惑なんだ。……さて、どうしたものか」
水が流れ込んだせいでボトム状に広がった大空洞の中は、その中心にまるで武舞台を模したような足場が広がっており、どうやらそこで戦闘が続いているようだ。激しく地面を揺らすほどの強い衝撃が壁伝いに伝わり、否応なしに緊張感は増していく。小脇に抱えたペッツの顔を押さえた俺は、水に擬態しながら天井に張り付き、遠目に目標の姿を捉えた。
見るからに、デカい。デカすぎる。
以前倒した硬鱗海獣よりさらに一回り大きなその土竜は、四本の首を振り乱しながら溢れんばかりの魔力を撒き散らしていた。巨木の幹のような四本の脚で泥濘む地面を踏み込むたび、周囲の水が弾け飛び、押し固められたはずの地面にヒビが入る。移動速度はそこそこだが、代わりに分厚すぎる装甲が全ての攻撃を阻んでいた。しかも、だ。
「こいつは……、〝絶対領域〟か」
エリアボス戦にのみ適用される、ある種特有とされる戦闘領域。
本来、ボス部屋と呼ばれる空間に踏み込むことによって発生する、いわゆる逃亡不可避な空間を指す領域、それが絶対領域だ。どうやらダンジョンのフロアが崩れたことが災いし、それが大空洞全体に及んでいるらしい。もし中に入れば、恐らくは敵味方、どちらかがやられるまで逃亡は不可能。生きるか死ぬかの二択となる。
「あ、兄貴は!?」
恐らくはアシュリーが下した一瞬の判断だったのだろう。
牙のリーダーである彼は、絶対領域に踏み込む直前に、自分たちがやられる可能性を考慮し、ペッツだけを逃がした。しかしその事実は、Sランク冒険者であるアシュリー自身が、瞬間的にそう判断せざるを得ない相手であることを暗に示していた。そして現に――
「あ、あああ、アシュリー!!」
左腕一本を欠損し、どうにか巨大な盾を構えたアシュリーに対して、土竜の無慈悲な攻撃が振り下ろされる。間一髪のところで受け止めた隙に、盾の真後ろでタイミングを図っていた牙のメンバーが、反撃の一撃を叩き込んだ。しかし脆くも武器は崩れ、反対にカウンターの首振りに薙ぎ払われてしまい、跳ね飛ばされた一人がボロ雑巾のように地面を転がった。
「大丈夫か、返事をしろマーック!?」
アシュリーの呼びかけが虚しく響く。
彼の声に反応し、ギリッと奥歯を噛んだペッツは、俺の手を振り切り、目に涙を浮かべながら領域へと突っ込んだ。
「よくもマックをぉぉ、殺してやるッ!」
魔力を解放させ天井を蹴って一気に速度を上げたペッツは、足元に装着していた二本の短剣を逆手に握るなり、土竜の真上に飛び出して死角から襲いかかる。
「舐めてんじゃねぇぞクソがッ。俺はSランクパーティー、双龍の牙の副リーダー。『双牙のペッツ・ドライモット』だ。覚えとけ、このド腐れ土竜ふぜいガァァァ!!」
小さな肉体からは想像もできないほどの魔力を放出させながら、ペッツは変換させた雷の魔力を両手の武器に乗せ、眼下の巨竜の首元を見据えた。そして激しく身体を回転させながら全体重を乗せ、一直線に突進していく。
『瞬光追撃アァァッッ!』
短剣が共振し、弾けるように嘶く雷鳴。速度を増したペッツの身体は、自分自身を光の筋に変えるほどのスピードで一瞬のうちに距離を詰め、極限まで高めた魔力を武器に落とし込む。揺れ動いていた四本の首の隙間を縫った双剣は、その首元でいよいよ組み合わさり、化物の急所を一瞬にして貫かんと輝きを増していく。
「砕けぇぇぇェェェッ!」
稲光が瞬き、僅かに遅れて雷鳴が轟いた。
しかしコンマ数秒後、これまでとは別の鈍い音が、空洞内に響き渡った。
「えっ……?」
全力の一撃を放った彼女の短剣が、爆ぜるように砕けて散っていく。
直後、背後から振り下ろされた土竜の尻尾が直撃し、彼女は激しく地面に叩きつけられ、砂地の地面を転がっていた。
「ガッ!? ア、ガフッ!」
「ぺ、ペッツ!? なぜだ、どうしてお前がここにいる!」
逃がしたはずのペッツを助けようと、アシュリーが手を伸ばした。しかし満身創痍の身体は自由がきかず、頼みの綱である魔力も切れかけている。なのに無慈悲に振り下ろされる土竜の首は、アシュリーの目の前に倒れた血を分けた妹を押し潰さんと速度を上げていた。
届かない。無理だ。
戦士の顔から生気が抜けていく。
万全の準備を整えたはずだった。
不測の事態にも備えていた。
俺たちは強い。
俺たちなら、どんな相手であろうと負けることはない。
そんな自負を掻き消してしまうほどの圧倒的暴力に襲われ、守るべき全てのものが目の前で掻き消されていく。伸ばした手は届かず、志を共にした者たちが死んでいく。そんな絶望に沈んだ人間の目だ。
―― しかし、俺はそれをよく知っている
同じように闇に飲まれていくその目を、これまで何度も見てきた。
いいや……、ちょっと違うか
「 楽しいかよ、ウスノロ 」




