第219話 私が行きます
男のものではない、甲高い女性の声か。
叫ぶように助けを求めるその声には、恐怖なのか、それとも悲哀なのか。
どちらにも取れる揺らぎのようなものが入り混じっていた。
「ねぇトア、あの人って……」
不意に足を止め、マーロンさんが質問する。
声の主の姿に注力し、訴えを願い出ている人物を見つめた。
首、肩、腕、足、さらには頭からも出血しているその女性は、ギルド関係者にすがりつくようにして何かを訴えている。目には涙を浮かべ、衣服にすがっているものの、彼らでは彼女の願いに答える術がないのか、ただ聞き役になっているばかりだ。
それら関係者に代わり、間に立ったのはテーブルだった。国内冒険者ギルド最高責任者であるテーブルへと目先を変え、彼の足にしがみついていたのは、他でもない『双龍の牙』の副リーダーとして君臨する、ペッツ・ドライモットだった。
「ギルマス、頼む、誰かいるんだろ!」
赤毛を振るわせて懇願する姿はあまりにも脆く、弱々しい。その姿は、俺たちがギルドで見かけた堂々としたものとは180度異なり、思わず口を結ばずにはいられなかった。
「……ペッツ、何があったんだ?」
テーブルが改めて質問する。
すると男のズボンを伝って胸ぐらまで立ち上がった彼女は、消え入りそうな声量で「お願い」と呟いた。
「このままじゃみんなが……、アシュリーが……、誰か……」
「おい、アシュリーって。アイツらに何かあったのか!? おい!」
力なく膝から崩れ落ちるペッツ。
彼女を揺すって情報を引き出そうとするも、「頼む」と繰り返すばかりで収拾がつかない。
「なんだってんだ、おいペッツ、下で何が起こった!?」
しかしペッツは喉が詰まったように声が出せず、その姿に見兼ねた俺は、話を聞き出そうとするテーブルを一度止め、彼女に回復術をかけてやった。見たところ彼女自身の傷やダメージも大きく、下で何か想定外のことが起きたのは確実だが。まずは情報を引き出す必要がある。
「なぁアンタ、下で何が起こってる?」
改めて聞き直す。
すると身体の傷が塞がったからか、腕を掴む力が僅かに増したペッツが、「アニキが、アニキが死んじゃう!」と涙ながらに叫んだ。
「アニキ……。それって確か、俺たちがギルマスに呼び出されて挨拶した。いや、でもアンタたち。確かポータルを持ってるから大丈夫って話だったはずじゃ」
小さな口を結んだペッツは、胸元に手を当てるなり過呼吸のようになって震えて黙り込んでしまった。それでも心配してしゃがみ込んだテーブルの腕をどうにか掴むなり、「俺を、俺を逃がすためにアニキの野郎が!」と絞り出した。
ちっ、嫌な予感がプンプンする。
この状況ってまさか……。
「何かあったな、最下層で。ちゃんと話してくれ。でないと俺たちにはどうすることもできん」
落ち着くよう、テーブルに頭を撫でられるペッツ。
だが彼女の言葉から想像させられる現状は、どうやらかなり『マズい』。
「アニキが死ぬ」。そして、「俺を逃がすため」。
この二言だけで、下のヤバさが想像できてしまう。Sランクパーティーのリーダーが、自らの命を投げ売ってでも、地上の仲間に対して助けを求めるなど非常事態に決まっている。しかもあれだけ勝ち気な副代表である彼女が、これだけ憔悴しているのだ。その深刻さは想像に難くない。
自分の上着をペッツに被せたテーブルは、「落ち着いて深呼吸しろ」と隣に座らせた。そして顔を合わさぬよう正面を見つめたまま、「用意ができたら話せ」と平坦に言った。
「ちゃんと、……準備はしてたんだ。アニキの野郎、いつもブツクサ文句は言う癖にヘタレだから、事前にしっかり対策して、本当に警戒して進んでたんだ。下に残ってた冒険者だって、何人か見つけた。全部、全部順調だったんだよ!」
自分に言い聞かすように呟くペッツ。
俺とマーロンさんは、二人から少し離れた場所で彼女の言葉を聞いていた。
「最下層までは特に問題なく辿り着いた。確かに中は水のせいでメチャクチャだったけど、俺たちなら問題なく進むことができた。……だけど、あんなのがいるなんて聞いてない」
「あんなの? あんなのってのは」
「わかんねぇ……、わかんねぇんだよ。俺たちが最下層に落ちた冒険者を探して回ってたときだ。『アイツ』は突然現れた。……ギルマス、ここって本当にAランクのダンジョンなんだよな!?」
震える指先でテーブルの顔に触れたペッツ。彼女の指先からは恐怖の色が窺え、何らかの脅威に晒されたであろうことが手に取るようにわかった。
「ああ、名目上はそういうことになってる。だが……」
テーブルが何かを言いかけて止めた。
しかしマーロンさんが「最後まで聞かせてください」と続きを促した。
「…………特異体。しかもそれがダンジョンボスの変異種であったとすれば、ダンジョンのランクは一気に跳ね上がる」
ダンジョンボスの特異体だって?
そいつはちょっと聞き逃がせない情報だ。
「このダンジョンの最下層については、かなり長い間、中に入った者がいなかった。その間に特異体が発生していてもおかしくはない……」
俺の脳裏にも先日の異変が過っていた。
通常とは異なる魔物の発生に加え、普通は発生するはずのないエリアボスであるマンイータースモッグの出現。生態調査を行う中でも、事前にテーブルから聞いていた情報とは異なる事象があまりにも多かった。その原因が最下層の特異体発生によるものだったのだとしたら、ダンジョンの変質ぶりにも納得がいく。
「おい、それの姿はどんなだった!? わかっていることを教えてくれ、頼む!」
テーブルがペッツの両肩を掴んで迫る。
すると彼女は俯きながら、拙い言葉を繋ぎ止めるかのように言った。
「土竜……。だけどあんなデカい土竜、今まで一度だって見たことない」
「ど、土竜だと?」
テーブルが驚愕しながら握っていた手を離した。
どうやら思い当たることでもあるのか、酷く狼狽している様に目を逸らしたくなる。
自分を諌めるように呼吸を繰り返したテーブルは、決心したように視線を定め、部下にすぐ集まるよう指示を出した。「助けてくれるのか!?」と男を掴んだペッツに対し、ギルドマスターの立場として出したテーブルの返答は、あまりに非情なものだった。
「撤退だ。俺たちではどうすることもできん。…………スマン」
「え……?」と言いかけた彼女に一礼したテーブルは、部下に「すぐ集まってくれ」と怒声混じりの号令をかけた。さらにはこれからすぐにマイルネの町へと戻り、土竜対策包囲網を敷くと宣言した。
「な、なに言ってんだ。まだアニキたちが下にいるんだぜ? おい待てギルマス、待てよ!」
ペッツが必死にテーブルの服を引っ張るも、男は無言のまま彼女の手を解き、静かにニ度首を振った。それだけで全てを悟ったペッツは、両目を見開いたまま膝をつき、崩れ落ちてしまう。
「……悪いな。恨むなら俺を恨め」
彼女の肩をポンと叩き、言葉なく目を瞑る。
砂でまみれた両手を両目に掲げたペッツは、涙で滲んだ涙袋を指先で擦り、また走り出そうとする。
しかし――
「バカ野郎! 何もできずに逃げてきたお前が戻ってどうなる!? 死にに行かせるわけにはいかん!」
「るせぇ! もうテメェらなんかに頼らねぇ、俺が、俺が戻ってアイツらを助けんだ、放せ、放せよ!」
しかし力を失ったペッツではテーブルの手を振りほどくことはできず、「放せ」と叫びながら膝を落とすことしかできない。
掛ける言葉が見つからない。
現実的に自分たちのすべきことを判断したテーブルのことを責められる者はいない。ただ助けを求め、命からがら戻ってきた彼女のことを責めることも、またできない。
「公国には、お前たちのほかに、もうSランクのパーティーはいない。俺が単騎で向かったところで、お前ら兄妹が勝てなかった化物相手に、どうこうできるとは思えん。……申し訳ない」
最後通告ともいえるギルドの長の言葉に、周囲は沈黙に包まれた。
だが俺は知っている。
こんな時に。
こんな時だからこそ。〝彼女〟は。
優しすぎる彼女こそは。
誰よりも進んで口を挟むことができるんだ。
「私が行きます」 と ――




